第3話


 魔道具で魔力を使うという感覚を掴んだマリアたちは、小さな訓練室へとやってきていた。訓練室というのはその周囲を高度な防御魔法で固めており、余程強力な魔法でも使わない限り崩れることはない。そこで実際に魔法を使ってみることになった五人は、ユリーチェを覗いて次々と魔法を使うことに成功していた。

 そして唯一成功できずにいるユリーチェは、どこか焦った様子でがむしゃらに魔法を唱えた。


「むー…………『ファイア』!」


 ユリーチェが唱えたその魔法は、たしかに魔力は流れているのだが、ボッという音を鳴らしただけで他の四人のような炎を生み出すことはなかった。

 その結果に喚くユリーチェを諭すように、マリアが優しい言葉を掛ける。


「落ち着いて。ユーは唯一魔力を使う感覚をまだ掴めてないんだから、仕方ないでしょ?」

「でも!」


 そんなマリアの言葉は、半分は合っていて半分は間違っていた。

 たしかにユリーチェは、あの会議室に置かれていた魔道具では使用魔力量が少なすぎて魔力を使うという感覚を感じることができなかった。それ故にマリアは仕方ないと言っているのだが、その一方でユリーチェには西野坂玲としてこの世界で魔法を使って戦っていた時の記憶がある。なので、魔力を使うという感覚自体は既に知っているはずなのだ。だというのに、ユリーチェは魔法が使えていない。


「なんで!?だって、こうすれば…………『ファイア』!」


 再び訓練室に虚しい音だけが響き渡る。しかし、実はその原因をユリーチェは知っていたのだ。とはいえ、それは西野坂玲だったころの記憶のもの。ユリーチェは西野坂玲の記憶を他人の記憶として刻まれているため、それを引き出そうとしなければ知ることができない。そして、かなり焦っているこの状況ではそれができずにいるのだ。

 そしてユリーチェ以外の四人は、かつて見たことがないほど焦っているユリーチェを不安げに見守ることしかできなかった。また、唯一冷静さを保っているドリスはというと、その様子を見守りながら神妙な顔を浮かべていた。


「魔力は流れている。だが、これは…………」


 何かを言い淀んだドリス。その行動の通り、ドリスには確信までは至らなくともひょっとしてという可能性に心当たりがあった。しかし、それは普通に考えたらありえないことだったため口に出すことができないでいたのだ。

 そんなドリスの頭の中に浮かぶ一人の顔。それは他ならぬユリーチェの母・ヴィクティアの顔だった。







「それで、わざわざこんなところまで連れてきて何の用なのかしら?」


 ユリーチェたちが魔法というものに触れている中、ドリスに思い浮かばれているなどとは露程も思っていないであろうヴィクティア本人もまた魔法に縁のある地を訪れていた。

 そこは、ユリーチェたちの父であるレイヴンとヴィクティアが出会った場所でもある、ゲルドニカ王国の王都に位置する王立ゲルドニカ学園だ。

 そんな王立ゲルドニカ学園まで連れてこられて拗ねたように唇を尖らせるヴィクティアに対して、その場にいるもう一人の男───レイヴンは優しい声で答えた。


「察しの良い君ならもうわかっているんだろう?あの二人のことさ」

「そう…………貴方は賛成なのね」

「いいや。私『も』賛成さ」

「…………」


 何かを確信したような話し方をするレイヴン。そしてそれに反論しないヴィクティアもまた、心の底ではそれをわかっていた。

 そんなヴィクティア反応を見たレイヴンは、優しく微笑んでヴィクティアを諭す。


「君も本当は嬉しいんだろう?あの二人が魔法五種に興味を持って」

「…………いいえ。あの子たちには魔法五種なんてやらせないわ。絶対に」


 そんなヴィクティアの言葉を聞いたレイヴンは、小さく笑いをこぼした。


「君のことだからそんなことだろうと思ったよ。だから、今日はその認識を改めさせに来たんだ」

「認識?」

「ああ。とにかくついてきてくれ」

「ちょ…………ちょっと!」


 意味深な言葉を残して学園の中へと足を踏み入れるレイヴンと、それを追うヴィクティア。ヴィクティアはレイヴンの行動に困惑しながらついて行ったのだが、間もなくそんな困惑をすっかりと忘れてしまうほどの光景を目にすることになる。


「…………うそ」


 その光景を見て、そう呟いたヴィクティア。しかしその光景は、この学園にとって───そして今の時代からしては、ごく当たり前の光景でもあったのだ。


「驚いたかい?ここに女子生徒が普通にいて、当然のように魔法の訓練をしているというのは」


 ヴィクティアがレイヴンに連れてこられた場所。それは、魔法を使用するための場所として設置されている魔法館という場所だ。授業のある時間は魔法の授業に。そして放課後は、主に魔法五種の練習場や大会の会場として開放されている。

 そんな場所で男子生徒と女子生徒が混ざって仲良く魔法を使っている光景を見て、ヴィクティアはどこか悲しそうな表情を浮かべた。


「え、ええ。だって…………」


 その先を言い淀むヴィクティア。しかし、ヴィクティアが言いたかったことは十分にレイヴンには伝わっていた。


「時代は変わった…………いや、変えたんだよ。他ならない、君がね」


 レイヴンがそう言うと、魔法館で魔法の練習をしていた一人の女子生徒がふと二人がいることに気づき、ヴィクティアの方を見て驚いたように目を丸くした。


「ちょ、ちょっと…………あれって女帝様じゃない!?」

「ほんとだ!女帝様だ!」


 その言葉を皮切りに、二人は一瞬にして魔法館にいた全ての生徒の注目を集めることになった。ヴィクティアはその懐かしい女帝という響きとその記憶に伴わない歓声にどこか恥ずかしさと戸惑いを感じながらも、生徒たちに笑顔で手を振り返す。


「ちょっと貴方、どういうことなのこれは」

「どういうことも何も、今では君が人気者ってことだよ」

「人気者って…………そんなの…………」


 ありえない。その言葉を飲み込んでしまうほど、生徒たちの顔は羨望に満ちていた。ヴィクティアがこの学園の生徒として魔法五種をやっていたあの頃の眼差しとは違って。

 その温度差に戸惑うヴィクティアに、レイヴンが大まかなワケを説明した。


「確かに君が学生だった頃は、魔法は男が使うものだった。しかも現代の戦争とまで言われている魔法五種の世界大会の選手に君がなったことは、当時では世間に全く受け入れられなかったし、君に酷いことを言う人も多かった。…………でもね、そんな君に勇気をもらった人だってたくさん居たんだよ」

「そんなことは…………」

「ないと思うかい?まあ、それも仕方ないだろう。僕も君と共に戦った一人として、君が受けてきた仕打ちの数々は知っている。あの大会を最後に、君が魔法五種とは二度と関わらないようにしていることも」


 ヴィクティアを一目見てやる気が満ちたのか、先程までよりもいっそう気迫の入った訓練を見せる生徒たち。そんな生徒たちの方を眺めながら、レイヴンはどこか嬉しそうな表情を浮かべた。


「…………でもね、私はずっと、いつかこうなるんじゃないかと思っていたんだ」

「こうなるって?」

「あの二人が、魔法五種に興味を持つんじゃないかってね。なんてったって青春を魔法五種に費やした私たちの子供なんだ。そうなっても不思議じゃないだろう?」

「…………そうかしら」


 どこか意地を張ったようなヴィクティアに、小さく笑い返すレイヴン。ヴィクティアから抗議の視線を受けたレイヴンは、慌てて首を振り、真面目な顔つきに戻った。


「それだけじゃないさ。あの二人が魔法五種に興味を持って…………そして君が再び魔法五種と向き合わなければならない状況が来るんじゃないかと、私は思ってたんだ」

「…………」

「だからそうなるまで、私はあえてこのことを君に話さないでいたんだ。君の耳がこの話題を受け入れてくれる時を待っていたと言った方がいいかな。…………とにかく、今君の目の前に広がっているこの光景が現実さ。女だからと馬鹿にするやつなんてほどんどいない。学生魔法五種では君に憧れた女子生徒たちが参入してきて、成績を残していった。それがどれほど険しい道のりかは私も知っている。だけど、君の後が続いたことによって、世間には君が特別なわけじゃないという認識が広がった。そして今ではこの通り、当たり前のように女性も魔法の世界に足を踏み入れてるんだよ」


 レイヴンの話を聞いたヴィクティアは、どこか険しい表情を浮かべていた。

 レイヴンの言う通り、女の身でありながら魔法五種に挑戦するのはとても険しい道のりだ。魔法というのは、性別によって根本的なまでに違う差が生まれる。男と女では魔法の発動のさせ方も違ければ、使える魔法まで違うのだ。どちらが優れているという話ではないが、とにかく女性の魔法はまったく伝わっていない。知りたくても、教えてくれる人がいないのだ。ヴィクティアの場合は貴族家の娘という財力や伝手を利用してわずかな情報を寄せ集めて必死に学んだが、平民ではどんなに努力しても厳しいところがあるだろう。そしてヴィクティアがそこまで努力した結果でも、世間の目は冷たいものだった。

 そんな経験をしてきたヴィクティアにとって、目の前の光景は嬉しくもあり受け入れがたいものでもあった。なぜ自分の時にこうじゃなかったのかという思いは、嫌でも抱いてしまう。

 そんなヴィクティアの様子を窺いながら、レイヴンは再び話を始めた。


「だけどね、女性の魔法は未だにあまり広まっていない。当然基本的な魔法は使えるが、高位魔法はほんの少ししか発見されていないんだ。だからみんな手探りという感じで、大会で活躍するような生徒は今でも全員が男子と言っていいくらいだろう。それに、他の国も含め女性でプロになったという話も聞かないね」

「そうでしょうね。あの子たちの表情を見れば、なんとなくわかるわ」


 もちろん彼女たちも真剣ではあるが、それでもヴィクティアからすれば甘いと言わざるを得なかった。世間から全く受け入れられず進むべき道も真っ暗な中突き進んだヴィクティアと、それが受け入れられ和気藹々と楽しむ彼女たち。だから偉いという話でもないが、当然ヴィクティアの覚悟の方が段違いだったのは明白だろう。


「ああ。だから、未だに女性の魔法なんてと軽蔑するやつだっている。エリートたちは概ねそんな雰囲気さ。だから…………誰かがその価値観をぶち壊さなきゃいけない」

「それをあの子たちにやらせようって?」

「もちろん、あの子たちが楽しむことが一番だけどね。…………話はちょっと変わるけど、今の学園では女性の魔法を教えられる人が居なくて困っているそうなんだ。だからあの子たちは、魔法を学ぶ上で一番良い環境にいるとも言える」

「…………」

「私はただ見てみたいんだよ。あの子たちも、そして君もただ楽しんで…………そしてその楽しんだ結果で、泡を吹くあの堅物共をね」


 レイヴンは、アルステル領を治めながらゲルドニカ王国の魔法省にも席を置いている。ヴィクティアと共に戦い、そして結婚した彼にとって、そんな堅物エリートたちの考えは許し難いものだったのだ。

 レイヴンの話しぶりからそれを察したヴィクティアは、彼の話を未だに吞み込み切れずにはいたものの、自分がどういう決断をするかだけはわかってしまっていた。愛する子供たちが、そして夫が望み、自分だってその未練を振り払えずにいる。自分はきっと、あの子たちに魔法を教え、そして魔法五種の道へと歩み出す後押しをするだろう。その覚悟なんてすぐに決まるはずもないが、そうなると確信できるほどの状況にいるということは、頭のどこかでわかってしまったのだった。


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