第2話
「ティファロスの噓つき!」
ユリーチェたちがティファロスの助言を受けた翌日、ユリーチェとファラーチェは近所の遊び場までやってきていた。
アルステル家はゲルドニカ王国の最東部を領地とする貴族であり、その息女であるユリーチェとファラーチェは当然領主の子供という立場だ。しかし、先進的な発展を遂げたアルステル領では教育や治安を細部まで行き渡らせることに成功しており、二人が平然と領内を出歩けるほどには平和な地域となっていた。
「ティファロスさんってユーの先生だっけ?何かあったの?」
ユリーチェの愚痴にそう返したのは、いつもここに集まる子供たちのうちの一人のマリアだった。
いつもここに集まる子供たちというのは、歳も家も近い五人の娘たちだ。ユリーチェにファラーチェ。六歳のコーメルとケイナ。そしてユリーチェの言葉に返事をした、七歳のマリア。ゲルドニカ王国では十二歳から十五歳までの四年間が義務教育の期間となっており、それまでの子供たちはこうして近所の集い場に集まって遊ぶか、家事の手伝いをするか、個別で教育を受けるかというのが定番だった。
「ティファロスがね、お母様に言えば大丈夫って言ったのにね、お母様に言ったら怒られたの!」
「何を?」
「魔法五種をやりたいって!」
魔法五種は、今では民衆の中で最も広まっている娯楽のうちの一つともいえるほどのものだ。故に一番年上であるマリアはもちろん、コーメルとケイナにもその言葉は正しく伝わった。
そして、マリアは当然だと言わんばかりに息を吐く。
「当たり前だよ。私たちがやるには危ないもん」
「そんなこと知ってる!でもやりたいんだもん!」
「うーん…………そうは言ってもなあ…………」
マリアは困ったようにそう呟きながら、遠くからこちらの様子を窺っている鎧をまとった二人組をちらりと眺めた。
その二人組はヴィクティアが二人に危険がないようにとつけている護衛のようなものだが、今まで一度もそんな危険が訪れたこともなければ、きっと二人は護衛をつけられているということすら知らないはずだ。それほど過保護なことをするヴィクティアが二人に魔法五種をやらせるなんてありえないとマリアが思うのは、至極当然ともいえることだった。
「でもさー、なんでティファロスさんはそんなこと言ったんだろーねー」
そんなマリアを他所に意味ありげなこと言ったのは、五人の中でも一番小柄なコーメルだった。
しかし、マリアは知っている。コーメルというのは基本的に何も考えていないタイプの人間で、こういう言葉にも文字通りの意味しか込めない人なのだ。もちろんまだまだ幼い子供だということを踏まえればそれが当然なのだが、それでも敢えてそうと言えるほどにコーメルは素直な言葉を投げる。そして、マリアがそんな風に人を分析できるのは、宿屋の娘として物心ついた時から大人たちの話し相手をしている経験からだった。
「でも、たしかになんでなんだろう」
「いじわるされたの!」
マリアの言葉に、すぐさま憤りを示すユリーチェ。そんなユリーチェに対して、ファラーチェは諭すように言った。
「先生は、そんなこと、しないと思う…………よ」
「ファー姉さまも騙されたじゃん!」
「で、でも…………何か、理由が…………た、多分…………」
「むー…………」
ユリーチェはファラーチェの言葉に納得したわけではないが、普段大人しいファラーチェがこうも反対意見を押してくるということの珍しさに言葉を飲み込んでしまった。そしてその隙に叩き込むように、マリアが言葉を繋げる。
「ファーの言う通りだよ。ね、二人とも」
「え、そうなの?」
「あたしのパパに言ってみよーか?」
マリアの振りに、期待の言葉とは違うものを返すコーメルとケイナ。
特にケイナに関しては話の脈絡がなさすぎるが、意外にもユリーチェの気を紛らわせることに成功したのはそんなケイナの言葉だった。
「ケイナのお父様って誰だっけー?」
「あたしのパパは魔法五種の選手なんだよ!」
「ほんと!?すごい!」
「でしょ!」
もちろんケイナも意図して出したわけではないだろうが、『ケイナの父』という話題に興味を引っ張られたユリーチェは、すっかりとティファロスに対する怒りを忘れてその話に飛びついた。
そしてファラーチェとマリアがその急な話題の転換についていけないでいるうちに、話はどんどんと進んでいく。
「あたしのパパはね、すごい魔法でモンスターを蹴散らしちゃうんだよ!」
「すごーい!見てみたい!」
「ケイのお父さん、今日も練習って言ってなかったっけー?」
「あ!そうだった!」
「ほんと!?行きたい行きたい!」
「いいよ!あたし練習場所知ってるの!」
「ごー」
「え、ちょっと、三人とも!」
「ま、待って…………」
コーメルの気の抜けるような号令を合図にして一目散に駆け出してしまった三人と、慌ててそれを追いかける二人。もちろん待てと言われて待つような三人ではなく、五人は結局ケイナの父の練習場所まで止まることなく突き進んでいくのだった。
「────というわけなんです。すみません…………」
「いや、構わないよ。それに、マリアちゃんが謝ることでもないから大丈夫。でも、ちょっとだけ待っててね」
マリアから事の顛末を聞いたケイナの父・ヒュージは、頭を下げようとするマリアを止めると奥の方へと向かっていった。
そんなヒュージの後ろ姿を見て、ユリーチェが声を荒げる。
「ケイナのお父様かっこいい!私たちのお父様とは全然違う!」
「えー、そうかなあ?」
ヒュージの外見がかっこいいかどうかはともかく、ユリーチェたちの父・レイヴンと全然違うというのは確かな話だ。
そもそもユリーチェの家系は勇者の末裔であり、この世では他にない日本人の血が混ざった人間だ。生活や文化はおろか生きてきた世界さえ違う日本人という血が混ざったニシノザカ家の人間は、皆この世界の人とは少し変わった特徴をしている。それに加え、アルステル家は長い歴史を誇る貴族の一家だ。それ故に血筋というのを重んじる傾向もあり、例えばユリーチェたちの専属教師を勤めているティファロスが王国貴族の家系で育った人であるように、アルステル家では使用人も含めてそのほとんどが王国貴族の血筋なのだ。なので、ユリーチェの周りの人間は王国貴族の血が濃い人しかいない。
それに対して、ヒュージが生まれ育ったのはこのゲルドニカ王国ではない。アルステル領は経済的にも大きな成長を遂げており、各地から有望な人材を多く招いている。正確には少し違うのだが、そのうちの一人が魔法五種の選手として招かれたヒュージというわけだ。
つまり、ユリーチェとヒュージの間にはまるで別の人種といってもいいほどの違いがあるのだ。日本人が外国人の姿を美形に感じるように、ユリーチェにとってはヒュージがそれだったという話である。
「それにしてもすごいね、ここ」
「う、うん。すごい…………!」
魔法五種の練習場というのは、ケイナを除く四人にとっては初めて訪れる場所だ。現状魔法という技術は日常生活をより快適にするために行われている研究が多いが、日常生活に溶け込ませるには確実な安全性が求められる。魔法五種というのはその実験台として使われることも多く、つまりは最先端の魔法技術が集うのがこの練習場とも言えるのだ。そしてそれに加え、ヒュージが所属するチームは大手日用魔道具会社のチームだった。なので、まさにここは最新魔道具の実験場というに相応しい場所となっている。
そんな場所を五人がはしゃいだ様子で見渡していると、ヒュージが奥の方から一人の初老の男性を引き連れて戻ってきた。
「お待たせ」
「パパー。その人誰―?」
「この人はうちのチームの監督のドリスさんだよ。今日は急だったから本当はダメなんだけど、ドリスさんの言うことをきちんと聞けるなら特別に見学してもいいって」
「ほんと!?」
「うん。絶対に迷惑はかけちゃダメだからね?」
「はーい!」
ヒュージは元気よく返事をしたケイナの頭を撫でると、他の四人にも念押しをしてからドリスを残して再び奥へと去ってしまった。ドリスはその姿を見届けると、小さくため息をつく。
「全く、せっかちな男だな。…………改めて、私がこの場の責任者をやらせてもらっているドリスだ」
「初めまして、マリアです」
「ユリーチェです!」
「コーメルですー」
「ファラーチェ・ニシノザカ=アルステルです。よ、よろしくおねがいします」
「ケイナです!」
元気よく挨拶する五人と、それを穏やかな表情で見守るドリス。一見微笑ましい光景だが、そんな中でドリスは密かに彼女たちの魔力量を測っていた。しかしそれは五人の力量を測るといった目的ではなく、彼の癖によるものだ。若いころから魔法五種の選手として、そして引退後もこうしてずっと魔法五種に携わってきたドリスは、無意識のうちに相手の魔法五種の選手としての素質を測ってしまう癖があった。
そしてドリスは、五人の魔力量を測り終えると小さく笑みを浮かべた。
「みんな、魔法五種に興味があるのかな?」
「ある!」
ドリスの言葉にいち早く返事をしたのはユリーチェだ。しかし、ユリーチェ以外の四人からも、度合いに差はあれどその表情から興味があるということは容易に見て取れた。
「よし。それでは私が君たちに魔法五種というものを教えてあげよう」
そんなドリスの言葉に、ユリーチェはもちろんのこと、他の四人も表情を輝かせる。ドリスはそんな彼女たちに若き日の自分を重ねながら、穏やかな笑みを浮かべた。
「まずは細かい話よりも実践だ。ついておいで」
五人はドリスの言葉に素直に従うと、ヒュージが去っていった方とは別の方向へと案内された。そこは何かの練習場という感じではない、もっとこじんまりとした会議室のような部屋だ。中には小さな机と、それを取り囲むように配置された椅子。そして、机の上にぽつんと置かれた小さな魔道具があった。
「なにこれ!?」
「これはね、ちょっとしたメモを記録しておける魔道具なんだ。っていっても機能はどうでもよくてね。…………みんなは魔道具を使ったことはあるかな?」
ドリスの質問に、ユリーチェとケイナが頷き、それ以外の三人は首を振った。
そしてユリーチェが頷いたことに、ファラーチェが驚きの声を上げる。
「お、お母様に魔道具は使っちゃダメって言われてるのに…………」
「えー!だって気になったんだもん!」
「うちでも魔道具には触っちゃダメって言われてます」
「あたしもー!」
「ケイ、今頷いてたじゃん」
「えへへ!」
それから好き勝手に騒ぎ出した子供たちを前にドリスは少し戸惑うと、一つ大きな咳払いをして子供たちを黙らせた。
「とにかく!魔道具というのはどの家庭でも子供には触らせないようにしているんだ。なんでかわかるかい?」
「お父さんが、子供は魔力量が少ないから危険って言ってました」
「そうだ。魔道具を使うには魔力が必要。だけど魔力を使い過ぎちゃうと、魔力欠乏で倒れてしまうんだ。もちろん一回使ったくらいじゃ欠乏したりしないけど、子供がはしゃいで何度も使うと危険だということだね。魔道具を使ったことがある二人はどうかな?使った時に変な感じがしなかったかい?」
「した!ぞわわーって!」
「えー!私は別に何ともなかったなー」
したと言うケイナと、しなかったと言うユリーチェ。そんな二人の反応を見て、ドリスは大きく頷いた。
「そうだろうそうだろう。流石勇者の末裔というべきか、ユリーチェちゃんは子供とは思えないほどの魔力量をしている。ちょっとやそっと魔道具を使ったくらいじゃあ何ともないのも当然だ」
「あたしは少ないってことー?」
「いや、そんなことはないさ。ケイナちゃんも、それに他の皆も、子供にしては明らかに多い魔力量だとも。流石はアルステル領の子供たちだ」
別にアルステル領の人と魔力量には何の因果関係もないが、「流石はアルステル領の人だ」というのは一つの称賛の句のようなものだった。そんな句が存在しているということこそが、それだけアルステル領が発展しているという事実の現れでもある。
「さて、話を戻すが、魔法五種をやるにはまず魔法を使えないと話にならないんだ。そこで皆には、まずこの魔道具を使ってみて魔力を使うということの感覚を掴んでほしい。そうしたら次は実際に魔法を使ってみて、最後に魔法五種の形式に則って魔法を使ってみよう」
「みようって…………そんなにすぐ使えるようになるものなんですか?」
当然といえば当然の疑問を口にするマリア。そしてそれを聞いたドリスもまた、当然のようにこう言ったのだった。
「もちろん。よっぽどセンスのない人じゃなきゃ、簡単な魔法くらいならすぐに使えるようになるとも」
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