人間共と

@YA07

序章 魔法五種

第1話



 西野坂 玲 享年九十二


 西野坂玲は天寿を全うした。地球に生を受けてから八十八年と、異世界で四年。地球では享年八十八と読まれるのだろうが、玲の中では九十二だ。…………なんて、もはやそんなことを言える相手も、玲の前に佇むデューネという女神様しかいないのだが。


「西野坂さん、この度は本当にお疲れさまでした。貴方が無事にその人生を終えられて、私たちも安堵しています」

「いえいえ、こちらこそ本当にお世話になりました」


 玲の地球での人生は、本来十七の時に終わるはずだった。なぜなら、玲は異世界に勇者として召喚され、地球に帰ることなど許されないのがその定めだったからだ。

 しかし玲はたゆまぬ努力の果てに、四年という月日でその世界に平和をもたらすことに成功した。そしてその活躍の褒美として、玲を召喚したデューネという女神からなんでも願いを一つ叶えるという約束をされたのだ。

 もちろん玲が望んだのは、地球へ帰ることだった。いくら異世界で四年も過ごしたとはいえ、突然別れることとなった家族や友人たちへの未練は簡単には尽きなかったのだ。しかし、玲には詳しいところまでは理解できなかったのだが、なんでも玲の身体はその世界に召喚された際に様々な改変が行われたそうで、地球に元通り帰るというのはもはや不可能ということだった。とはいえど、約束は約束。女神たちもなんとか玲の望みを叶えようと尽力した結果、定期的に身体の調整をしなければならないという条件の元、玲は異世界に召喚される直前の地球へと戻ることが叶ったのだった。


「西野坂さんとは長い付き合いになってしまいましたね」

「ええ、本当に。しかし、これで終わってしまうと思うと寂しいものですね」


 死後の世界というものがあるのか、玲は知らない。そんなことをデューネに聞いたこともなければ、興味もなかったからだ。しかし、今こうしてデューネと会話しているということは、死後の世界というものも存在しているのかもしれない。だが、もし死後の世界が存在したとしても、玲がデューネと関わることはもう二度とないだろう。女神様というのは世界を管理するのに忙しいらしく、死後の魂に関わっている暇などないだろうというのが玲の予想だったからだ。

 しかし、玲がそんなことをしみじみと思いながら口にしたその言葉は、当の女神であるデューネ本人から否定されることとなった。


「そんなことはありませんよ。…………いいえ、そうして欲しくないというのが私たちの希望ということなのですが」

「…………どういうことですか?」


 デューネが時折遠回しな物言いをするのは、彼女の癖だ。玲がそのことを聞いてみた時、彼女が「少しでも長く会話をしていたいから」などと思わず入れ込んでしまいそうになる言葉を返してきたことは、今でも玲の記憶の中に刻み込まれている。


「西野坂さんの魂は、世界を渡り歩いた経験に加えて私と長い時間触れあったことで、その質を最上のものへと変化させてしまったのです。今の西野坂さんほどの魂は、全ての世界で数えてもそう多くはありません。私たちはそういった最上の魂の持ち主に対して、その魂を失わないために転生をお願いしているのです」


 魂の質というのが何のことかはさっぱりわからないが、魂を失わないために転生をお願いしているということは、普通は死んでしまえばその魂はそれでおしまいということなのだろうか。だとするなら、玲の答えは一つだった。


「構いませんよ。転生というのは、再び赤子としてどこかの世界に生まれ落ちるということでしょうか?」

「はい。本来ならば私たちがどの世界に転生させるのかを選ぶのですが、今回は特別に西野坂さんの希望に沿う形でも良いというのが私たちの決定です。ただ、魂の消耗を回復するのに百年ほど時間がかかってしまうので、今すぐに転生をさせられるわけではありませんが」


 百年。それだけの時間が立てば、地球に転生したとしてももはや知り合いの一人も生きてはいないだろう。もしかするとひ孫が長生きしていれば一目見ることもできるかもしれないが、とても現実的ではない。


「それならば、ティテュアニア…………私が救ったあの世界に転生することは可能ですか?」

「ええ。もちろん可能です」

「ならば、ティテュアニアに」


 玲がティテュアニアを救ってから約七十年。その百年後だというのだから、約百七十年後の世界だ。自分が救った世界がどんな未来になっているのかというのは、当然気になるところである。

 それに、ティテュアニアには人間以外の知的生命体が多く存在していた。その中にはもちろん人間より長寿な種族もいて、そんな種族の知り合いならばあれから百七十年の月日が流れようときっとどこかで生きているに違いない。


「かしこまりました。それと、もう一つ。転生後に私たちのことを忘れられてしまうと不都合があるので、転生後の身体には西野坂さんの記憶を宿させていただきます」

「ええ、構いませんよ」

「ありがとうございます。しかし、幼子に記憶を宿すというのは非常に危険ですので、齢五つの時に宿させていただきますね」


 デューネはそう言うと、とても心が落ち着くような子守唄を歌い始めた。玲の意識はその唄と共に深い闇に誘われるように、どこまでも落ちていくのだった。











 ユリーチェ・ニシノザカ=アルステル 五歳


 そんな終幕だった前世のことを思いだしたのは、五歳の誕生日のことだった。

 玲の二度目の人生は、ティテュアニアの中で最も大きい大陸・ヴィーランド大陸の南西部に位置するゲルドニカ王国の、アルステル男爵家の次女・ユリーチェとして生を受けたことから始まった。このアルステルというのは、玲が勇者としてこの世界を旅した時のパーティーメンバーの一人の家名でもある。そしてミドルネームに玲の前世の西野坂という姓が刻まれている通り、玲はかつてそのアルステル家の娘と子をなし、その子孫として今の自分が生まれてきたということだ。自分の先祖が自分で、性別まで変わってしまっているというのは、何ともまあ不思議な因果だ。


 そんなアルステル家だが、勇者の末裔ということを差し引いてもかなり懐が潤っている。というのも、魔王が倒された後のティテュアニアは大きな成長期を迎えたようで、魔法の技術と共に様々な事業が革命的な進歩を遂げたのだ。そしてそれに乗っかり大きく成長した貴族家の中の一つが、このアルステル家ということになる。


「───というわけで、お二人は偉大な方の血を引き継がれたお方なのですよ」


 ニコニコとした表情でユリーチェと一つ違いのユリーチェの姉・ファラーチェに向かってそう言ったのは、二人の専属教師のティファロスだ。ティファロスはファラーチェが五歳の誕生日を迎えたその日からファラーチェの専属教師としてアルステル家に雇われ、ユリーチェが五歳の誕生日を迎えてからはこうして二人を相手に歴史や算術などの教育を施している。

 しかし、玲の記憶を受け継いでいるユリーチェにとっては、算術や道徳などの教育はたいへん退屈なものだった。ユリーチェはなるべくそれを態度に出さないようにしていたのだが、ティファロスの目はなかなかに鋭いもので、優秀ではあるが態度に難ありと厳しい評価を頂いている次第だった。

 一方でファラーチェはというと、ティファロスの話に興味こそあれ、控えめな性格が災いして気になるところを聞けずにいた。しかしティファロスは、それに気づきながらも『幼少期の教育は知識をつけることよりも知識をつける術を学ぶことの方が重要だろう』という考えのもと、ファラーチェ自らが動いてくれるまで様子を窺っている状態だった。


「さて、本日のところはこのくらいにしておきましょうか。何か質問はありますか?」


 ティファロスお決まりの締めの一言。そしてそのセリフを吐くと、次に起こることもまたお決まりだった。


「はいはい!この前の魔法五種について聞きたいです!」


 間髪入れずに飛んでくる、ユリーチェの無邪気な質問。それこそが、お決まりの流れの正体だ。ファラーチェもユリーチェのように遠慮なく聞いてくれれば良いのだが、そんな妹の姿を見ながらも真似できないでいた。


「ふむ。先日お話した時にも興味を持たれていましたね。それでは一通りお教えしましょうか」

「はーい!」


 ユリーチェは玲の記憶を受け継いではいるが、それはあくまで他人の記憶の追体験のような感覚だった。なのでユリーチェは九十二年分の玲の記憶を宿してはいても、れっきとした五歳児の少女でもあるのだ。


「そもそも魔法五種が生まれた背景には、世界の平和というのがあります。勇者により魔王が討伐されて以来、以前までは険悪だった他種族や人間同士の国々もみな、相互理解という形で歩み寄ることに成功しました。それによりほとんどの人は戦うための技術であった魔法を使う機会を失ってしまい、ある魔法学者がこのままでは魔法という技術が衰退してしまうと警告を鳴らしたのです」


 それはユリーチェにとって妙な話だった。玲の記憶では、玲がこの世界に召喚された時でもほとんどの人は魔法なんて使っていなかったのだ。というよりは、魔法を学べる環境が少なすぎたというのが正しいだろうか。とにかくそんな歴史学的に価値のある玲の記憶だったが、ユリーチェにとってはあまり興味のないことだったので意味はなかった。


「そこで生み出されたのが、闘技場における魔法戦だったのです。元々闘技場では魔法禁止のルールしかなかったのですが、これはそれを逆に魔法のみというルールで開催しようという話で、そうすることで魔法使いたちの仕事を増やし、更には一般民衆にも魔法に触れる機会を増やしてもらおうという計画だったのです。

 そして、その結果は大成功。民衆たちは魔法という技術に魅せられ、それまでは戦う技術という認識だった魔法は新たに娯楽の一つという認識を得て、民衆たちの間に大きく広まっていったのです」


 そんな歴史を前置きとして始まった魔法五種の解説を纏めると、こうなる。


 魔法五種というのは五種という名の通り、五つの競技からなるチーム対抗のスポーツで、五人一組のチームで基本的には四組が同時に戦うものだ。

 一戦目は、時には美しく時には激しい魔法の演舞を披露し、七人の審査員の評価を競い合う『アードゥラ』。

 二戦目は、魔法によって生み出された一匹の強力なモンスターを討伐するタイムを競い合う『カーディス』。

 三戦目は、魔法のみ・移動禁止のルールで戦い、持ち場から押し出されてしまったものから脱落していくという『サームエ』。

 四戦目は、魔法によって生み出された大量のモンスターを討伐するタイムを競い合う『ターミル』。

 五戦目は、剣も魔法もなんでもありで戦い、審判に有効と認められた攻撃を五回受けた人から脱落していくという『ナーバ』。

 一戦目は七人の審査員がそれぞれ一ポイントずつ所持し、最も素晴らしかったチームにポイントを与える。そして二戦目~五戦目は、一位のチームが四ポイント、二位のチームが二ポイント、三位のチームが一ポイント、四位のチームがゼロポイントを獲得し、合計ポイントが一番高かったチームが勝ちというルールだ。

 しかし、魔法というのが元々外敵と戦うための手段であった通り、直接争うサームエとナーバでは死の危険がある。そこで、サームエとナーバの選手には一定の攻撃を防げる防護服の着用が義務付けられ、その効果が切れてしまった場合も脱落というルールもあった。


「アードゥラでは様々な属性の魔法を精密に操作する技術を。カーディスでは強力な魔法攻撃を。サームエでは様々な属性の魔法も要しますが、特にそれぞれの属性に有効な防御魔法の技量を。ターミルでは強力な範囲魔法攻撃を。ナーバではとにかく純粋な強さを求められている競技となっていますね」

「私もやってみたい!」

「そうですか…………ファラーチェ様はどうですか?」

「え、えと…………わたしも…………やって、みたい…………です」

「やはりそうでしたか。ヴィクティア様に言ってみれば、きっと許してくださいますよ」

「お母様に?」


 ヴィクティア・ニシノザカ=アルステルは、ユリーチェたちの母親だ。貴族の女性にしては活発的なのが特徴で、二人には少々過保護なところもある。

 元々、ユリーチェは先日少しだけ魔法五種の話を聞いた時から興味津々だった。本当ならば母親であるヴィクティアに話をして魔法五種をやってみたいという願望もあったのだが、ヴィクティアの過保護さ故に反対されるだろうと思っていたのだ。なのでユリーチェはティファロスの言葉に疑問を示したのだが、ティファロスは何かを確信しているような笑みを返すだけだった。


「じゃあお母様に話してみる!行こ、ファー姉さま!」

「う、うん…………!」


 ユリーチェはファラーチェの手を取り無邪気に駈け出した。そしてそんな二人を見て、ティファロスはただ優しく微笑むのだった。



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