第3話 黒い帽子 (2021:12:02)

帰省から帰る電車の中、駅前で買い込んだパンを頬張っている。ボックス席の横には膨らんだリュックと少々の荷物。窓から見えるホームは閑散としていた。開いたままのドアからは冬の風が流れ込む。デザート代わりに苺大福を飲み込んで、ふと前を見ると、自分と向かう合うように黒い帽子が置かれていた。


駅員に声を掛けようかと思う。それと同時にドアが閉まり発車ベルが鳴った。電車が緩く動き出す。到着時刻のアナウンスを聞きながら、この帽子はどうしたものか...と考えた。


前に忘れ物をした時は駅の忘れ物センターに届く筈だ。それでも見つからなかった場合は“鉄道忘れ物市”なる所で売られるらしい。

そこにこれも加わるのだろうか、と考えつつ二駅、三駅と電車は進む。田畑にいくつかの家、晴れた空の奥には山脈が広がる。のどかな町だ。帽子の持ち主も同じように風景を眺めていたのだろうか。

帽子のことが気になって、乗り換えるのが惜しくなってくる。

終点まで着いて行くのも悪くない。


帽子を見ながら、どんな人が被っていたのか想像する。

黒い厚めのフェルトに短めの鍔。

丸いシルエット。

使い込んでいるのか、

埃や糸屑が付いている。

質が良さそうな品物だ。

ひっくり返してタグを見れば詳しいことが分かるかもしれないが、流石にそこまでは出来ない。これは誰かの物で、自分のものではないからだ。

電車は進む。道の中程まで行っただろうか。見える草木は枯れた色が付き、少し寒々しく感じる。持ち主もそうなのだろうか?

例えば贈られたもの。

例えば長年寄り添ってきたもの。

手元にあるのが当たり前な、

身体のひとつとして馴染んでいるもの。

そういう物を無くした時、自分から剥がれ落ちるような感覚があることを知っている。自身の万年筆がそうだ。今になって、駅員に声を掛けなかった事を惜しんだ。橋を渡り川を越える。

「急停車します、ご注意下さい」

ブレーキがかかり、電車が線路の上で止まった。先発の方で停車したようだ。暫くすると動き出した。どうやら次の駅で暫く停まるらしい。乗り込んでくる人々も多い。一人の女性が向かいに座った。遅れてもう一人。置かれている帽子をみる。


「忘れ物ですか?」


「そうみたいで」


そう言うと、女性は網棚の上に帽子を置いた。タグが見えた!ブランド名を検索してみるも、ファーの似ていない帽子しか出て来なかった。電車は暫く動く事なく、次の駅で乗り換えなくては行けないようだ。どうやら終点まで一緒とは行かないらしい。網棚からなら、外の景色が見えるだろう。

終点の駅からは海が見える筈だ。黒い帽子はひとり旅をし、いつか持ち主のところへ帰る事を祈るばかりだ。

電車を降りる前。忘れ物をしないように、席をしっかり見直した。



「あぁ、これ。落としてしまっていたんですね」


仏前に帽子が置かれる。ビニールに包まれ、駅名と日付が書かれたタグ付き。


今日は四十九日だ。

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夜更短篇異類譚 雷鳥 @Laichou

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