1-6.大尖角落とし

 エミルは淀みない足取りで、デルマンとボイヤーの前に立つ。

 彼女の静かな迫力と、“大尖角落とし”という言葉を前に、二人は引き攣ったような表情を浮かべていた。


「いくら中佐が前線とご縁が無かったとはいえ、流石にご存知でしょう?」


 かつて七つの町と村を滅ぼした大厄災、後にも先にも類を見ない超大型アダマンデ。

 狼に似た体躯に一本の長大な角を持つそれは、ヒトによって“大尖角”と名付けられたという。


「長きに渡り、討伐を退けていたヒトにとっての天敵――」


 エミルはザインを引き立てるかのごとく、デルマンとボイヤーはもちろん、沈黙を守っていた応援部隊員たちにも聞こえるように言う。


「ザイン伍長はその“大尖角”を単独で討伐した英雄ですよ。彼によって一体どれほどの命が救われたことか」


 それほどの人物が、なぜ辺境警備の任についているのだろう。たとえ片足を失ったとしても、功績を考えれば要職に就いておかしくないはずだ。


「あれが“大尖角落とし”」

「いまだにアダマンデ討伐数の記録が破られていないって……」


 エミルの称賛に、興奮の混じったどよめきが起きる。ある者は畏怖し、ある者は憧れの視線をザインに向けていた。“大尖角落とし”とは、それほどの雷名だったのだ。

 一方、ザインの表情はむしろ沈んでいた。自分にはそんな価値は無いと言わんばかりに、目を伏せている。

 それはわたしとの会話で、おれ“なんか”にはもったいない、という言葉を使った時と同じだった。


「ふん、“大尖角落とし”など、噂に尾ひれがついたものだろうに」


 悔しまぎれにデルマンは鼻を鳴らすが、明らかにザインから一歩引いている。

 対するボイヤーは猫なで声で「それならそうと言えば」などとご機嫌取りだ。

 普通、上に立つ者は相応の格を持っているのではないのだろうか? わたしはヒトの組織とはどういうものか知っているつもりだったが、彼らにはそんな才覚も度量もないように見える。


「それよりも、エミル少尉はなぜここに?」


 ザインは周囲の反応など意に介さず、エミルへ問いかけた。自分がどういう存在として見られていても、彼には関係ないのだろう。

 彼女はその態度が不満そうだったが、気を取り直したように答える。


「応援部隊の対応を引き継ぎに。ザイン伍長は一度、隊長の元へ向かってください」


 ザインはエミルらに無言で敬礼をすると、ルカと子供たちに頭を下げ、踵を返した。

 それを合図に、誰からともなく学校を出てザインの後に続く。わたしも精一杯の駆け足でザインの背中を追いかけ、その袖を掴んだ。

 ザインはわたしの方を見なかったが、歩きやすいように手を繋いでくれた。

 その手はとても冷たくて、わたしはすがるように握り返すことしか出来なかった。そうしなければ、ザインがこのまま消えてしまいそうな気がしたからだ。

 そうして、学校から村民はいなくなった。


◆ ◆ ◆


 駐留所の前でルカたちと別れると、わたしとザインはアーケンの元へ向かった。

 わたしの歩調に合わせて歩くザインは、押し黙ったままだ。

 木々のざわめき以外は、足音と呼吸だけが聞こえる道中。ザインはずっと何かを逡巡していた。

 アーケンの待つキャンプまで、あとどれくらいだろうか。近いところまで来ているはずだが、まだずっと先のような気もする。


「前に、おれがどうしようもない状態だったって言ったよな」


 おもむろに口を開いたのは、ザインだった。

 わたしは黙って頷いてみせる。握った手に、少し力が入った。


「アダマンデを倒すことだけを考えていた。本当に、ただそれだけを」


 噛みしめるような告白は、きっとわたしに向けたものではない。


「寝ても覚めても、そればかりだった。どこをどう攻めれば倒せるか、効果的な攻撃手段、刺し違えても討ち取る方法……まともに眠れた日なんて、思い出せないくらいだ」


 それがどのような年月だったのかは、本人にしか分からないだろう。だがザインの張り詰めたような声は、わたしにその情景を想像させた。


「そうでもしないと、おれは自らの命を断っていたと思う」

『ザイン、それは』


 握った手が力なく緩む。


「今はもう、そんなことを考えちゃいないさ」


 ザインは笑ってみせたが、その表情はむしろ痛々しい。


「村の皆を侮辱された時、体が勝手に動いていたんだ」


 あの一瞬、誰もザインの動きに反応すら出来ていなかった。仮に武器を持っていれば、その先は説明するまでもない。


「子供たちがいたから踏みとどまれた。おれはあの時……」


 わたしはザインの手を強く握り返した。


「ラサ?」


 ザインの掌は大きくて、わたしの手はずっと小さい。それでも念話より、この方が伝わると思ったのだ。

 ダイレクトに思考を伝える手段を持つわたしが、こんな間接的な方法を取るなんて非合理的だ。本来なら選択すべきではない。


「……ありがとう」


 繋いだ手を通して、ザインの気持ちが伝わってくるようだった。わたしはむしろそのことに戸惑ってしまう。

 ザインのことをもっと知りたい。でも、全てを知る必要もないと思う。

 矛盾した感情は思考の邪魔になるというのに、わたしにはそれが心地良かった。


「ラサ、もしも……」


 ザインは言いかけたところで、口を閉ざした。

 深い森が開けて来た前方、ひときわ大きな木陰に佇むアーケンの姿を見つけたからだ。


「よう」


 アーケンは気安い様子で片手を上げ、口の端を持ち上げる。

 その視線は、繋いだままのわたしとザインの手に向けられた。


「随分と仲が良さそうだな」

「からかうなよ」


 冗談も束の間、すぐに二人の表情が真剣なものになる。


「で、答えは出たんだろうな」

「アーケン、おれは……」


 ザインの答えはすでに出ている。

 ただ、それをアーケンの前で改めて聞かされるのは、妙に胸がざわつく。

 いわば明確な終わりを告げられることと、同じなのだから。


「おれは、ムルト村に残る」


 わたしの手は力なく、すり抜けるようにザインの指から離れた。


「それが、答えか」

「ああ。ラサのことはアーケン、お前に託したい」


 ザインは揺るぎない眼差しで、アーケンと向かい合っている。

 それはアーケンも同じだった。この場で目を逸らしているのは、わたしだけだ。


「安心したぜ。もし“根”に向かうなんて言っていたら、その義足をへし折ってでも止めなきゃならんところだった」

「物騒だな」

「それくらいしなけりゃ、“大尖角落とし”様は諦めないと思ってたんだよ」


 アーケンは少しばつが悪そうに頭をかいた。


「おれの答えが意外だったのか?」

「正直に言えば、そうだ。理由を聞いてもいいか?」


 ザインは少しわたしの方を見た。わたしはその顔をまともに見れない。


「確かにおれは、できることならラサと一緒に行きたい。今だってそうだ。決して諦められたわけじゃないんだよ」


 アーケンはザインの言葉を黙って聞いていた。


「だが、それはおれ自身のわがままに過ぎない」


 事実をひとつひとつ確認するように、ザインは言葉を紡ぐ。

 

「ラサが“根”にたどり着けば、アダマンデは滅びる――その目的が達成されることが重要なんだ。だったら確率の高い方が良い」


 ザインの義足が軋むような音を立てた。


「お前の言った通りだよ、アーケン。おれのこの足は、共に行くには頼りない」

「……そうか」


 目を閉じて、アーケンは腕を組んだ。深くうつむいて、表情は見えない。

 ザインの決断は、冷静に自分自身を見つめた“合理的”なものだ。わたしとしても、本来であれば歓迎すべきものである。

 なのに、今これほど心細さを感じているのは何故だろう。


「それが最善、ってことか」

「ああ」


 アーケンは顔を上げると、強い意志のこもった瞳でザインと視線を合わせた。


「わかった。オレができる限りのことをして、こいつを“根”とやらに連れて行こう」

「頼む」


 そうして、わたしの身がザインからアーケンに引き渡されようとした時だった。

 爆発音と共に、木々を震わせる空気の揺らぎ。何かが弾け、その衝撃がここまで伝わってきた。


「見ろ、ザイン!」

「信号弾……!?」

「それだけじゃない、あれは……」


 一条の白い筋――信号弾を飲み込むように、黒々とした煙が立ち上っている。

 間違える筈もない、ムルト村の方角だ。


「緊急事態のようだな。ザイン、先に行け!」

「わかった!」

『ザイン、わたしも共に』


 念話を受け取ったザインは、わたしを担ぐように抱え上げると走り出した。

 デルマンたちの部隊と合流していない以上、群生の処理は未完了だ。アーケンの応援は期待できない。

 場合によっては、ザインは単独での行動を強いられるだろう。それでもわたしは、彼につくことを選択した。


『なにか、嫌な感じがします』

「なんでもいい、感じ取ったら教えてくれ!」


 往路とは比べ物にならない速度で、ザインはムルト村までの道を引き返していく。

 その間にも煙は勢いを増し、隆々と空にそびえていた。


 

 





 



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