1-5.答えと、来訪と
ムルト村での毎日は、またたく間に過ぎていった。
ザインは毎朝わたしを学校へ送り届けると、すぐにアーケンたちを手伝いに出掛け、村へ戻ってからはパトロールなどをこなす。
日が暮れる頃には、ルカとジゼルと一緒に食事を取って、また次の朝を迎える。そんな“普通のヒト”と同じような生活。
いつしかわたしは、朝が来るのが楽しみになっていた。家畜の鳴き声で目を覚まし、朝焼けの中にあるムルト村は黄金にすら見える。
そうして七日ほどが経ち、わたしの身体はかなり“ヒトみたいに”動くようになっていた。
「ザイン」
「どうした?」
朝食の途中で、わたしはザインに呼びかける。彼もすっかり、名前を呼ばれることに慣れたらしい。
『ザインとルカは、つがいなのですか?』
「ぶっ」
飲みかけたスープでむせたザインは、口元を抑えて咳き込んだ。まだうまく話せないので、会話は今まで通りの念話だ。
ちなみに今朝のスープは、燻製肉と芋の入った少し豪華な献立である。
「……一応聞いとくが、なんでそう思った?」
『住んでいる場所こそ別ですが、毎日顔を合わせては食事を共にし、助け合って生きています。このような組み合わせを、ヒトはそう呼ぶのでは?』
ザインは眉にしわを寄せて、黙りこくってしまう。わたしは何か間違えてしまったのだろうか。
「うまく言葉にできないが、どちらかといえば母親みたいな感じというか」
『ではルカが母親で、ジゼルは妹ですか』
ザインは寂しそうに笑う。
「仮に……あくまで仮にそうだとしても、おれなんかにはもったいないな」
『もったいない? ルカはあなたを信頼し、ジゼルもよく懐いているようですが』
「それはありがたいことだよ。二人はおれにとっても恩人だ。だけど……いや、そろそろ出ないとな」
この話題は終わりだ、と、言わんばかりにザインは席を立つ。
もったいない、という言葉を彼は使った。それは自分自身の価値を低く見ている証拠でもある。
ザインとルカ、そしてジゼルの三人は、わたしの中にある“家族”の知識と照らし合わせても違和感がない。
なぜ、ザインはこのムルト村にやって来たのだろう。そして、なぜ片足がないのだろう。
彼の自己評価の低さは、そのあたりに根ざしているような気がした。
『そういえば、いつもよりのんびりしていましたね』
「ああ、いよいよ本部から応援が到着するんだ。このまま学校へ行って、みんなに事前の説明さ」
本日、ザインはムルト村で本部からの応援を出迎える。
その準備として、今日まで村民の協力で駐留所の設営を行っていた。
わたしもできる範囲で手伝ったが、皆が自分の仕事もある中での作業は中々の重労働だったことだろう。
その甲斐あって、出来上がった駐留所はムルト村に似つかわしくないほどに立派なものとなっていた。
肝心の現場の方はというと、群生の焼却処理は三分の一程度を完了し、今のところ状態は安定しているらしい。
「とはいえ、いつどうなるかわからない状態なのは確かだ。アーケンが持ってきていた装備は、ほとんど底をつきかけているしな」
本部からの応援が到着し、件の群生について処理が終わるとき――それは、ザインがアーケンと取り交わした期日だ。
すなわち、この束の間の時間に終わりが来るということ。
『ザイン、わたしと話をしてくれませんか』
「わかっている。おれは」
『――ムルト村に残る。違いますか?』
ザインは驚いた表情で、言葉をとめた。
わずかな日数だがムルト村で暮らすうちに、わたしはこのままヒトのように生きていけるのでは、と、そんな考えが頭をよぎることもあった。
「ちゃんとおれの口から伝えるべきだった」
しかし、わたしは“根”に行くために生まれてきたのだ。それを否定することは、自分自身の存在理由を否定することでもある。
ザインは改めてわたしに向き合った。
「君の言うとおり、おれは行けない。あとはアーケンに託すつもりだ」
『わたしはどうであれ、ザインが決めたことなら受け入れます』
だからこそ、わたしはザインの答えを尊重しようと思った。
ザインの生きる場所は、きっと“ここ”なのだ。誰だって、己という存在を誰かに左右されていいはずがないのだから。
◆ ◆ ◆
ザインの寝顔は、起こすのが忍びないほど安らかなものだった。
学校で安全指導をしたザインは、そのまま授業を見学していたのだが――椅子に腰掛けたまま寝入ってしまっていた。
「あ、ザイン先生が起きた」
寝ぼけまなこのザインは、自分が眠っていたことに気付くとすぐに背筋を正した。彼にしては珍しく気が緩んでいたようだ。
「ザイン、よく眠れたかい?」
「ルカ先生! これは、つまり、その」
「ああ、いいんだよ。このところほとんど休めてなかったんだろう?」
ルカはからからと笑うと、板書を続ける。
ザインは申し訳無さそうに座り直したところで、自分の異変に気づいた。
「ん? なんだこれ!?」
「ザイン、似合ってるよ!」
ザインの後ろ髪は綺麗な三つ編みに結われていた。犯人はジゼルである。
「ジゼル、お前な」
「だって全然起きないんだもん」
三つ編みをほどこうとするザインだったが、焦りもあってうまくいかない。
「それはそれとしてジゼル、あんたサボった分の宿題出すからね」
「えーっ、お母さんだって止めなかったのに!」
「ザインを起こさないでやろうと思っただけだよ!」
教室に笑いが起きる。
やがてザインが三つ編みをほどくのを諦めたと同時に、表がにわかに騒がしくなった。
「しまった、もう来たか」
窓から村の入口を見やると、物々しい一団の姿が見える。彼らは村人の案内を受け、隊列をなして村の中を進んでいた。
「じゃあ、みんな。何度も注意したけれど、レム・ルシッドの機材とか備品には近づいたり、触ったりしないようにな!」
ザインはもう一度言い聞かせると、学校を飛び出して行った。見る間にその背中が小さくなっていく。
「ほら、静かに……あーあ、駄目だ。こりゃあ授業どころじゃないね」
ルカのぼやきは喧騒にかき消される。ジゼルをはじめ、子供たちは窓から身を乗り出してレム・ルシッドの一団を眺めていた。
「ラサ、すごいよ。あんなの見たことない」
ジゼルがわたしを手招きする。
本部からの応援は、かなり大掛かりな装備でやって来たようだ。自走する鉄の箱――車が何台も連なり、向かってくる様は壮観だった。
「あれ?」
ジゼルが声を上げる。
レム・ルシッドの一団は用意された駐留所を通り過ぎ、駆けて行ったザインをも無視して、学校へ近付いて来ていたのだ。
その理由は、学校前に停められたひときわ大きな車から降りてきた男によって明かされた。
「まったく、もてなしという言葉を辞書で引いて貰いたいものだね」
偉そうにひげを生やし、薄い髪を撫でつけた大柄な男。制服にはザインと違って、きらびやかな勲章が並んでいる。
その男はデルマンと名乗った。この部隊の指揮官だという。百名以上の部隊を率いてきただけあって、貫禄があった。
「そうだ、デルマン中佐をあのような“あばら家”に案内するとは」
デルマンの側で痩せぎすの男――こちらはボイヤーと名乗った――が、嫌味ったらしく吐き捨てる。
息を切らして追いついてきたザインは、“あばら家”という言葉に眉をしかめた。
「何だ、その不服そうな顔は」
「っ……何でも、ありません」
「あれしきの距離で息切れとは情けない。辺境警備は気楽なものだな」
ザインは必死で息を整え、押し黙っている。義足が痛むのか、庇うような立ち方だ。
「とにかく、我が隊はここに駐留させて貰う」
「しかし、それは」
「なにか問題でも? デルマン中佐がわざわざこうして部隊を率いること自体、特例なのだ。せめて相応の場所で指揮を取っていただかねばな」
音が聞こえてきそうなほど、ザインは拳を握り締めていた。今日まで村人総出でこしらえた駐留所である。
いわば善意で出来た場所を、デルマン達は無下にしているのだ。
「大体、たるんでおる。なんだその髪は。身だしなみもなっておらん。レム・ルシッドには農民と変わりないものを食わせる原資は無いのだぞ」
ねちねちと、ボイヤーはザインを責め立てる。陰湿な男だった。
「ボイヤーよ、そう言ってやるな。辺境警備などは、所詮そういう程度の者が務めるものだ」
デルマンは完全にザインを見下していた。隣でルカがわたしの袖を掴む。彼女もまた悔しさを堪えているようだ。
「しかしよくもまぁ、こんな僻地に寄越されたものだ。任務とはいえ耐え難いな」
「家畜のニオイでしょうか? 臭くてたまらない」
デルマンとボイヤーがムルト村をけなすような言葉を吐いた時、ザインは動いていた。
目にも止まらない速度でデルマンとの距離を詰め、勲章付きの襟に手を伸ばす。
仮にザインが刃物を持っていたならば、デルマンは絶命していただろう。
「きっ、貴様、ななな、なんの真似だ!?」
目を白黒させて、デルマンは縮み上がっている。ボイヤーは口元に手を当て、成り行きを見守ることしか出来ていない。周りを固めていた部隊員たちの間にも、緊張が走る。
「……失礼しました。この虫は刺されると痛むものですから」
ザインが一歩引いて手を開くと、アブに似た虫が音を立てて飛び去った。
「ぶ、無礼な! 口で言えば済むだろう!」
「そ、そうだ、まるで脅すような真似をして」
二人は取り繕うように声を上げるが、ザインは他意など無いと姿勢を正して直立したままだ。
それがますます気に障ったのか、デルマンがザインの義足を見て“侮辱の言葉”を口にしようとした時だった。
「“大尖角落とし”に随分な物言いですね」
先遣部隊の副官・エミルが間に割って入った。
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