1-4.共同体の、日常

 一夜明けて、わたしは自分の身体の変化を感じた。

 昨日よりも手足をちゃんと動かすことができる。しかも、声だ。


「ザイン」

「おわっ!? ……悪い、まだ馴れなくてな」


 うまく話せるほどではないが、わたしは声を出すことができるようになっていた。しかしザインは、念話のほうが驚かないらしい。


『こちらに馴れているほうが、おかしいと思うのですが』

「とはいえ、なぁ」


 昨晩のことを思い出す。

 ザインの用意したお風呂は、ヒト一人分くらいの大きさの桶に湯を張った、簡素なものだった。

 わたしはそこでルカに身体を洗ってもらい、ジゼルの持ってきた服を着た。少々サイズが大きいが、ゆったりとした袖付きのワンピースだ。

 わたしの身体にヒトと違うところがあるのは、ルカも気付いたはずだが、それについてなにか聞かれることはなかった。


「それにしても、ラサはほとんどヒトと変わらないんだな」

『ええ、わたしも驚いています』


 昨日はザインと一緒に、ルカの用意してくれた食事をとった。パンとスープの、軽めの食事だ。どちらもムルト村で収穫した食材を使った、ルカ特製の料理だという。

 わたしの身体はヒトと同じようにお腹が空くし、ヒトと同じように口から食べ物を摂取する。そして味覚も、ヒトのそれと大差ないようだ。


「ルカ先生の料理は美味かっただろう」

『あれが美味しいという基準なら、美味しかったのだと思います』


 野菜たっぷりのスープは、食材から十分に旨味の出たものだった。ヒトの食事は単に空腹を満たし、栄養を摂取するだけのものではないらしい。


『ところでザイン、聞いても良いですか?』


 気になっていることがあった。ザインの用いた武器や、通信機といった“機械”は、高度なテクノロジーを感じさせるものだ。

 一方で、室内の照明は囲炉裏やランプ頼りであるし、お風呂だって薪で沸かしていた。このちぐはぐさは引っかかる。


「いわゆる“機械”の使用は、一部を除いて制限されているんだ」

『誰にですか?』

「おれたちの上部団体にあたる、レム・パラミア教会にだよ」


 大母樹レム・ラーズを信仰するレム・パラミア教会。この地に住むヒトは、例外なく教会の洗礼を受けているのだという。


「程度の差はあるかもしれないけどな。多かれ少なかれ、ヒトは大母樹の恵みに感謝して生きているわけだ」

『それと機械の使用を制限することに、どのような因果関係があるのですか』


 ザインは答えに窮した。


「言われてみれば、そういう教えだってくらいだな。機械は使い過ぎると大母樹に良くない影響を及ぼすとかで……だから教会が一元管理しているって話だ」


 自分の説明に、ザインは首を傾げている。


「機械は良くないものって認識だけで、どうしてそれが駄目なのか考えたことはなかった」

『非論理的ですね』

「まぁ、そう言ってくれるな」


 疑問はさておき、今日はムルト村を案内してもらう約束だった。

 ジゼルの用意してくれた靴を履き、恐る恐る床に足をつけてみる。


『立てました』

「歩けそうか?」


 一歩、そしてまた一歩と足を踏み出す。バランスを崩したところを、ザインに支えられた。


「まだ難しそうだな」

『でも、少し歩けました』

「無理しなくていい」


 ザインは黙って、わたしに背中を向けてしゃがんだ。


『あの、ザイン』

「ほら、早く行こう。ジゼルが首を長くして待っているはずだ」


 少しの、いや、多大なためらいを感じながら、わたしはザインの背中に寄り掛かる。やはり彼の背中は、広くて温かかった。


『やっぱり、歩いて行きませんか?』

「それはもう少し練習してからだな。ムルト村は結構広いんだ」


 この状態をあまり周りから見られたくない――そんなわたしの中に芽生えた気持ちなど、どこ吹く風でザインは表に出る。よく晴れた、気持ちの良い日だった。


◆ ◆ ◆


 村内のどこへ行っても、ザインに声をかける者がいた。それは挨拶程度もあれば、世間話もあったり、頼みごとの類もあった。

 ザインはそのいちいちに答え、わたしを紹介し、次々と村の各所を回っていく。


「ザインや、あそこの棚が壊れてしまってのう」

「これなら、今直しておきますよ」


 それは、ちょっとした物の修繕だったり。


「ちょうど良かった、ザイン。これ持って行きな」

「卵に野菜まで……ありがとうございます、助かります」


 村民からのいただき物があったり。


「あのあたりの森で獣を見かけたって聞いたのよ」

「しばらく重点的にパトロールしますね」


 あるいは危険を伴いそうなこともあった。しかし、どんなことでもザインは嫌な顔ひとつしない。

 そんな彼に対して、いずれの村民も好意的に見えたし、それはわたしに対しても同じだった。

 若干の好奇は見えるものの、一様に困ったことがあれば言ってくれ、と、そういう言葉をかけてくれた。


『村というものは、もっと閉鎖的だと思っていました』

「ここには身寄りをなくしたヒトも多いから、自然とこんな雰囲気になったのかもしれないな」


 ただ、一事が万事こんな調子なので、ムルト村の“学校”へ向かう頃には昼近くになっていた。


『ザインの仕事は、便利屋ですか?』

「実際、そういう部分もあるよ」


 このような辺境では、若い男手はいくらあっても足りないようで、様々なことにザインは借り出されていた。


「辺境の治安維持がおれの任務になる。ムルト村は作物も豊富だし、食料生産の要地だ。万が一があってはいけない。毎日の見回りは欠かせないんだ」

『それと雑用は、関係ないのでは』


 わたしには、体よく使われているようにも思えてしまう。だが、ザインの答えは違っていた。


「普段から話を聞いておけば、ちょっと気になることも教えてくれるようになる。実際、瘴気を出す前の滅びの種子を発見できたりするしな」


 彼に言わせれば、こういった雑用も任務の延長線上にあるそうだ。


「それに、さっき棚を直したところのシモーヌさんは薬師で、おれが体調を崩したらすぐ薬湯を持ってきてくれたりする」

『つまり、持ちつ持たれつということですか?』


 わたしの言葉を、ザインは肯定した。それがムルト村という共同体の生き方なのだろう。


「それより、もう着くぞ。ほら、あれが学校だ」

『思ったより大きな建物なんですね』


 ザインの指す先にある学校は、村で一番大きな建物だった。学校というよりは、教会に近いかもしれない。


「まあ、村の集まりごとなんかも全部学校でやるしな」


 レム・パラミア教会によって建造された建物らしい、と、ザインは付け加える。

 確かに建物の造りそのものが、村の家屋とは違った趣だ。石造りの強固そうな外観は、威厳さえ感じさせる。


「あ、ザイン先生だ!」

「ザイン先生!」


 ザインの姿を見かけるなり、ちょうど門の外で身体を動かしていたヒトの子供たちが駆け寄ってくる。

 年齢のばらつきはあるが、十数人くらいの子供が我先にとザインにまとわりついた。


「おれは先生じゃないって、言ってるだろう?」

「えー、ザイン先生は、ザイン先生だよ」


 苦笑まじりだったが、ザインもまんざらではない様子だ。安全指導などを学校で行ううちに、先生と呼ばれるようになったのだという。


「ザイン遅いよ! もうお昼じゃない」

「悪い、ジゼル」


 待ち構えていたジゼルが怒りをあらわにする。が、彼女はわたしを認めるとすぐに破顔した。


「ラサ!」


 手を振ってみると、ジゼルは全身を使ってオーバーに手を振り返してくれた。


「だれ?」

「変わったかみの毛〜」

「なんでおんぶされてるの?」


 興味の対象がザインからわたしに移る。

 ゆっくりと背中から地面へ降ろされると、わたしは子供たちの好奇心をまともに受ける形になった。

 まだ頼りない足で立つわたしにとって、口々に疑問をぶつけられるのは荷が重い。


「ほらみんな、ラサを困らせちゃ駄目でしょ」


 ジゼルがわたしの前に出て、かばってくれた。


「昨日聞いたような台詞だな」

「ふーん、そういうこと言うんだ」

「……すまん」


 何かを察したザインはすぐに謝る。なんとなく二人の力関係が垣間見えた。


「ああ、ザイン。それにラサちゃんも」


 ほどなくしてルカが表へ出てきた。両手いっぱいに大きなかごを抱えている。


「ルカ先生、手伝いますよ」

「すまないね、手伝わせちゃって」


 ザインはルカのもとに駆け寄ると、かごを受け取った。

 中に入っていたのは、人数分の昼食だ。パンに燻製肉や卵、野菜などを挟んだものが並んでいる。


「ジゼル、手伝ってくれ」

「はーい」

「走ったら危ないよ、あんたおっちょこちょいなんだから」


 ザインに呼ばれ、ルカが二人のもとへ行く。その姿は、ヒトの家族のようで――わたしは疎外感のようなものを覚えた。

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