1-3.はじめての、気持ち
あれからザインは一度も休むことなく進み、どうにか日が暮れる前に目的地へたどり着くことができた。
ムルト村――人口ニ百人前後とみえる、辺境の小さな村。木と土造りの家が点在し、家畜を育てる牧場や、作物の実った畑がある。
比較的新しい家屋とは別に、半ば朽ちた石造りの遺構も残っており、この場所では遥か昔からヒトが営みを続けていたのだと想像させられる。
「半日ぶりの我が家だ」
『ここが、派出所ですか』
派出所は、ちょうど村の入口にあった。外観は他の家々とさほど変わりないが、誰でも入りやすいよう間口が広くなっている。
「少し待っていてくれ」
村の入り口の常夜灯から持ってきた種火で、囲炉裏に火をつける。アダマンデを倒した武器と比べ、ずっと原始的な方法だ。
机の他にはいくつかの棚と、使い方のよく分からないものが並ぶ室内。奥には住居スペースに繋がっていそうな扉がある。
ザインはわたしを椅子に座らせると、なにやら大掛かりな鉄の箱を取り出した。
『それは、なんですか?』
「通信機だ。これで遠く離れた本部とも、すぐに連絡が取れる」
通信機を起動すると、耳が痛くなるような音がした。もっとも、ザインには聞こえていない。ヒトには分からない音なのだろう。
これもレム・ルシッドの備品なのだろうが、何か違和感を覚える。
わたしは気を紛らわせようと派出所の中を見回して、大きな鏡を見つけた。
『これは――』
角度によって色を変える髪と目。頭の上には、葉っぱのような形をした一対の耳がついている。
ヒトでいう耳があるべき場所からは、根っ子に似た触角が伸び、わたしの思うように動かすことができた。
しかし――それら以外は年齢にして十歳くらいの、ヒトの子供と変わらない。
わたしは、ヒトによく似た姿をしていた。
「どうした、じっと鏡を見つめて」
通信とやらを終えたザインが、不思議そうにわたしの様子を見ている。
『だから、ザインは上着を掛けてくれたのですね』
「っと、悪い。すぐに服を用意するよ」
ザインは慌ただしく派出所の奥へと引っ込んだ。わたしはザインの上着以外、何も身に着けていなかったのだ。
「ちゃんとした服はまた別に用意するからな」
『問題ありません』
ザインの呼びかけに答える。
待っている間、わたしは鏡の前でぱたぱたと手足を動かしてみた。
まだ十分に動かせるとはいえないが、ヒトと同じように五本の指があって、爪があって、柔らかい肌をしている。
知識として知っているアダマンデとは、大きく異なっていた。
「待たせた。とりあえずおれの服しかないんだが」
『わかりました』
そうして衣服を手渡そうとするザインだったが、わたしの様子に気付くと手を引っ込めた。
「そうか。一人では着られないよな……」
『まだ手をうまく動かせません』
ザインは少し逡巡したが、やがて諦めたように言った。
「わかった、おれが着せよう。恥ずかしいかもしれないが、少し我慢してくれ」
『なぜ、恥ずかしいのですか?』
わたしの問いに、ザインは理解できないという風にうろたえる。
「なぜって、君は女の子だろう」
『理屈がわかりません』
「理屈というかだな……とにかく、そういうのは良くないんだ。多分」
ザインの言葉は要領を得なかった。確かにわたしの外見は、ヒトの性別でいう女に酷似している。だが、今の話とどう結びつくのだろうか。
『ヒトの幼体は、より年長のヒトに世話をされるのではないのですか?』
「それは、また違うというか。うん……そういうところはヒトじゃないって感じがするな」
『論点をずらさないでください。今わたしが求めているのは、明確な答えです』
「っ! 危ないっ!」
椅子から身を乗り出して、わたしはバランスを崩した。ぐらりと身体が前に傾き、床が目の前に迫ってくる。
「……怪我してないか?」
わたしを受け止めたのは、固い床ではなくザインだった。わたしを心配して覗き込む目と視線がぶつかる。ザインの瞳は、鉄のような鈍色をしていた。
『ありがとう、ございます』
「無事ならいいさ」
ザインの行動は、彼の性質からすると自然な動きだ。誰が相手だったとしても、同じように受け止めただろう。
そう、当たり前の行動なのだ。わたしに使命が刻まれているように、ザインはそういうヒトなのである。しかし――
『ザインのいう意味が、少しわかりました』
それに気付くと、この状況も何か良くないことがわかる。わたしはザインの上着以外は何も着ていない状態で、彼に覆いかぶさっているのだ。
「今、起こしてやるからな」
『はい』
そうしてザインが起き上がろうとした時、表の扉が勢いよく開かれた。
「おかえり、ザイン!」
派出所に入ってきたのは、十二、三歳くらいのヒトの少女だった。紫がかった髪を二つ括りにして、同じく紫がかった勝ち気そうな瞳をしている。
彼女はわたしとザインを交互に見ると、こう叫んだ。
「お母さん! ザインが女の子を連れ込んでるっ!!」
「誤解だ!!」
ザインの弁明は、少女のよく通る声にかき消されてしまうのだった。
◆ ◆ ◆
少女の名は、ジゼルといった。
その隣には彼女とよく似た、四十歳半ばくらいのヒトの女がいる。紫がかった髪を肩のあたりで切りそろえ、細い半ふち眼鏡をかけていた。
「てっきり私は、ザインをレム・ルシッドに突き出さなければならないかと思っちまったよ」
「誤解がとけて安心しました、ルカ先生」
ルカはジゼルの母で、このムルト村で教師をしているという。
「ね、ザイン。この子の名前は? なんでこんなキラキラした髪と目なの? どこから来たのかな、何歳なんだろ」
「こらジゼル、困らせちゃ駄目だろ。それに、ザイン“さん”だ。あんたのほうがずっと歳下なんだから」
ジゼルはこの調子で、わたしに興味津々の様子だった。そんな彼女を、ルカがたしなめる。
「ジゼル、この子はラサっていうんだ。アダマンデにさらわれたみたいでな、まだ話すことができないんだよ」
ザインは拠点でのやり取りと同じように、そういう設定で話した。わたしとしても不要な騒ぎは避けたいところなので、異論はない。
「アダマンデに……」
ルカは胸に手を当てて、眉尻を下げる。感情の入り混じったそれは、彼女もまたわたしたちに家族を奪われたのだと察するに余りあった。
「それで身寄りもないので、しばらくここで保護することになったんですが」
「だったら、色々とお困りのことだろう? なんでも言いな、手伝うから」
「ありがとうございます。今まさに困っていたところです」
二人は一旦わたしから距離をあけて、なにかを相談し始めた。話している内容までは、ここからは聞こえない。
一方、ザインとルカが話している間、ジゼルはずっとわたしを見ていた。さっきのように質問攻めにされているわけではないが、落ち着かない気分だ。
「ラサ、でいいよね?」
ジゼルの質問に、わたしは頷いた。
「ごめんね。村の外の子と会うのって、はじめてだったから」
もじもじと、胸の前で手を組んだり離したりするジゼル。わたしは、気にする必要はないという風に首を振る。
「よかったぁ。あたしっていつも、自分がしたいようにしちゃうからさ」
よくお母さんに怒られるんだよね、と、彼女はいたずらっぽく笑った。
「友達になろうね、ラサ!」
両手を握られる。友達――意味は知っているが、それがどういうものなのかは分からない。
だが手に伝わってくるジゼルの体温は、悪くない感覚だ。
「ジゼル! 家からラサちゃんが着れそうな服を持ってきてくれるかい?」
「あたしが選んでいいの!? どんなのが似合うかな?」
ルカのよく通る声に応え、ジゼルはうきうきした足取りで出て行く。入れ替わりにルカがやってきて、わたしと目線を合わせるようにしゃがんだ。
「ラサちゃん、色々なことがあったと思うけれど……もう心配いらないからね」
ルカは言った。ここにいればザインもいるし、自分やジゼルだって――わたしの力になる、と。
「ザインだって、この村に来たときは……だから、きっとまた話せるようにもなれるから」
わたしが頷くと、ルカは嬉しそうに微笑んだ。
通りがいいとはいえ、ルカとジゼルを騙していることは事実だ。しかしこの場合、こうすることが最も合理的なのだ。
ところで、ザインも自らを指して“どうしようもない状態”だったと語ったが、わたしは彼の過去を知らない。それどころか、自分のことだってわからない。
どうしてわたしは、様々なことを“知っている”のだろう?
どうしてわたしは、“ヒトのような姿”をしているのだろう?
――頭が痛い。
「ルカ先生、火の用意が出来たんですが――ラサ?」
席を外していたザインが戻ってくる。彼はすぐにわたしの様子に気づいて、心配してくれた。
わたしはなぜか、ザインに寄り添いたくなった。
「ザイン、もう少しだけラサちゃんのそばにいてやんな。あんたには、心を開いているんだろ」
「……わかりました」
そばに体温を感じる。それでこんなにも安心するなら、言葉を交わすことができればもっと――。
わたしは自分がヒトに近づいていくのを感じたが、それを努めて打ち消した。
ヒトの気持ちは、思考の邪魔になる。
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