1-2.立場と、関係と

 鬱蒼とした森から、徐々に周囲が開けてくる。わたしはザインに背負われて、彼らの拠点へ向かっていた。

 生い茂る木々の間に、永い時の流れを感じさせる石造りの遺構が見え隠れする。わたしたちは、遺跡地帯と呼ばれる場所を歩いていた。

 すぐ目の前から、ザインの息づかいや体温が伝わってくる。わたしの足は歩くにはまだ頼りなく、彼はそれが当然だというように背中を貸してくれていた。


「そりゃ大母“樹”っていうくらいだ、根っこだってあるだろうさ」

「アーケン、もうその話はいいだろう」

「お前はのんきすぎるんだよ」


 ここまでの道中、ザインとアーケンはずっとこの調子で議論を繰り返していた。

 大母樹レム・ラーズ――わたしたちやヒトが生きる、途方もない大きさの“空に浮かぶ”樹。頂上も、ましてやその根も、目視することさえできない。


「おれだってまだ信じられないさ。でも、理屈は通ると思う」

「それこそおとぎ話だ。どうして誰も“根”に行ったことがないと思う?」


 アーケンの言うおとぎ話とは、創世神話のことだった。

 いわく、巨人“メリアス”が始まりの地から引き抜いた世界樹――それがレム・ラーズなのだという。ヒトがこの世界をそのように捉えているのは、興味深い。


「そこだよ。だからおれは、このラサの言うことに信ぴょう性があると思うんだ」


 ザインが立ち止まり、アーケンも足を止める。


「瘴気層のことか」

「ああ。滅びの種子がどこから来るのか、お前だって考えなかったことはないだろう?」

「それは、そうだが」


 大母樹は、上から下に向かうほど瘴気が濃くなる。そうしてヒトでは到達できないエリアを指して、その一帯は瘴気層と呼ばれていた。


「ラサ、君は瘴気層の抜け方を知っているんじゃないか?」

『それは――わかりません』

「おいおい」


 アーケンは天を仰ぐような仕草を取った。

 とはいえ何もわからないとなれば、彼らの中でわたしの価値が下がるので補足をしておく。


『今は――と、言った方が正しいです。わたしは先ほど、同胞の動きが手に取るようにわかりました。はじめて見たにもかかわらず、です』

「つまり、君を何か手がかりになるような場所へ連れて行けば」

『あるいは』


 しばらくの沈黙の後、二人はどちらともなく歩みを再開する。


「だがな、ザイン。オレはやっぱり無理だと思う」

「どうして」

「お前の足、限界だろ」


 ザインの動揺が、背中越しにはっきりと伝わった。彼の右足は膝から下が義足になっている。

 それでも戦いの最中、アダマンデの攻撃をかわしつつ、その背に駆け上がるほどの動きを見せていたのだが――


「自分がなんで前線を離れたか、忘れたわけじゃないよな? さっきみたいに一戦だけ、それも敵が一体だけならいいが――」

「おれの足なら大丈夫だ!」


 むきになって反論するザインを、アーケンは抑える。


「聞けよ。“根”に向かう旅――どれほど掛かるのか、ましてやどこへ行けばいいのかすら、わからない旅だ」

「だが、おれは……!」


 それが正論だと、誰よりも理解しているのはザイン自身なのだろう。何も言い返せず、口をつぐんでしまう。


「お前の気持ちは痛いほどわかる。オレたちの悲願――その手がかりが目の前に現れたんだ」

「だったら……」


 しかしアーケンは、非情なまでの率直さで事実を告げる。


「だがそれでも、今のお前には無理だ」


 結局それ以降、森を抜けるまで二人は押し黙ったままだった。


◆ ◆ ◆


 拠点に到着する頃には、ザインの息はすっかり上がっていた。アーケンの言った限界――義足であのような動き、身体に負担がかからないわけがないのだ。

 だというのにザインは、そんな素振りを欠片も見せずにわたしを背負って歩いた。


「隊長! それに、ザインも……!」

「おう、エミル。待たせたな」


 いくつかのテントが並ぶ拠点で、わたしたちを出迎えたのは、エミルと呼ばれるヒトの女だった。

 背はザインとアーケンより幾分か低く、長い黒髪を頭の後ろで結んでいる。やはりザインたちと同じような服装をしていて、所属が共通するのだとすぐに分かった。

 彼女は急いで駆け寄ってきたが、二人に怪我がないと確認するや息をついた。


「お帰りが遅いので心配しました」

「嘘つけ。少々のことでオレたちがどうにかなるなんて、思ってもないくせに。なあ、ザイン」

「そういうなよ、心配かけたのは事実だ」


 三人の間に、穏やかな空気が流れる。いわゆる友人――とも違うようだが、居心地のよさそうな関係性が見て取れた。


「そちらは……?」

「アダマンデにさらわれたと見える子供だ。現地でザイン伍長が保護した」


 打って変わり、ぴしりとした雰囲気になる。


「ザイン伍長、報告をお願いします」


 エミルは先ほどとは違い、ザインを階級付けで呼んだ。ここからは組織の一員同士、ということだろう。


「崩落した先の地下空洞で子供を保護。直後、アダマンデ小型三体と中型一体に遭遇。これを討伐し、ただいま帰還しました」


 討伐と聞いて、エミルの表情がわずかに曇る。


「被害は?」

「ありません」


 今度は安心したような顔。エミルはヒトの感情と表情を観察するには、良いサンプルのようだ。


「それよりも、そちらはどうだった?」


 アーケンの質問に、エミルは我に返ったかのごとく答える。


「やはり、“群生”です。かなりの大規模で、大型の種子も確認されています」

「なるほどな……持ってきた装備だけでは足りない、か」


 エミルに調査資料を見せられたアーケンは、眉をしかめた。

 群生とは、一定数以上の滅びの種子がひとつの場所に集中して発生することだ。多くの場合、ヒトにとって良くない結果をもたらす。


「ザイン伍長。その子を連れてひとまずムルト村へ引き上げ、本部へ応援を頼む。その後は通常任務に戻ってくれ。我々はここで群生の“処理”を開始しつつ、監視を続ける」

「了解しました」


 アーケンの指示に、ザインは敬礼して答える。ここでの立場はアーケンの方が上だ。


「応援が来るまで少なくとも五日か、一週間はかかるだろう。それまでに決めておけよ」

「……ありがとう」


 これは“相棒”としての言葉。ヒトというのは立場で言葉づかいも変えなければならない、面倒な生き物だった。


「ザイン伍長、何人かつけましょうか?」

「いえ、隊員には処理を優先させてください」


 身を案じてくれたエミルの申し出を断り、ザインは拠点から離れる。相変わらずわたしは背負われたままだ。


『ザイン、あなたたちの関係がよく分かりません』

「二人は、同期なんだよ。訓練学校の時のな。エミルは、もう少し長い付き合いなんだが」


 治安維持部隊レム・ルシッド。それがザインたちの所属する組織だった。

 名前の通りレム・ラーズ内の治安維持と、滅びの種子の捜索ならびに焼却処理。そしてアダマンデの討伐が、主な任務という。


「今じゃアーケンは先遣部隊の隊長で、エミルはその副官。おれは今から行くムルト村の派出所勤務ってわけさ」


 でも勘違いするなよ、と、ザインは続ける。


「ムルト村は、いいところなんだ。応援を要請して――そうだな、明日には案内するよ」

『ヒトの、村』


 アダマンデにしろ、ヒトにしろ、群れを作って身を寄せ合いたがる。まるでそれが、本能だというように。


『ザインの“家族”も、その村にいるのですか?』


 わたしはヒトに対する半端な知識で、質問を誤ってしまった。


「死んだよ、十三年前に」


 その言葉は、深い悲しみと、強い怒りが折り重なるようだった。もっとも悲しみも、怒りも、具体的にどのような感情なのかは分からない。

 だがそれでも、彼がレム・ルシッドに所属していること、アーケンとのやり取り、すべてがある事実を浮かび上がらせる。

 ザインの家族を奪ったのは、わたしたちだ。


『ごめんなさい』

「いや、君は悪くない。悪いのは、おれだ」


 ヒトはこういうときに謝ればいいはずだが、ザインの反応は予想と違った。

 一言答えた後は、沈黙。ザインは今のところ最も利用できるヒトだ。彼との関係性が悪化するのは、合理的ではない。

 しかし、わたしの懸念をよそにザインは明るい声を出した。


「でも、家族か。言われてみればそうかもしれないな」

『それは、どういう意味ですか?』

「ムルト村の皆は、どうしようもない状態だったおれを受け入れ――支えてくれた。まだ二年しか経っていないが、今じゃ家族みたいなものだ」


 その言葉には、嘘がないように思えた。


「皆には感謝してもし切れない。この義足だって、村でこしらえて貰ったんだ」

『そうだったのですね』


 まだわたしには、それを家族と呼ぶ感覚が分からない。だが、ザインは力強く言った。


「今のおれが一番守りたいものは、ムルト村なんだ」


 村を守りたい――それと“根”に向かうことは、矛盾しないだろうか。

 わたしは頭に浮かんだ疑問を、今はザインに尋ねなかった。

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