メリアスの足
枯葉野 晴日
第一章 厄災の福音
1-1.厄災の、目覚め
まどろみの中で、詩〈うた〉が聞こえた。それは懐かしい故郷のような、忌々しい悪夢のような、相反するものが折り重なる響きだった。
詩の終わりに、わたしは声を聞いた。二つの声は、誰のものだっただろう?
「目を覚ましたみたいだ」
「こんなもの、どんな記録にもないぞ」
生まれたばかりの“わたし”が目を開けると、そこには二人のヒトがいた。どちらも年齢にして二十代半ばと見える、ヒトの男。
片方は、くすんだ金髪を首の後ろで一つにまとめた男。柔らかい印象の眼差しで、こちらの様子を伺っている。
もう片方は、煮出した紅茶のような錆色の髪を伸ばした男。鋭く射抜く目で、わたしを警戒している。
二人の服装はほとんど同じだったが、くすんだ金髪の男は上着を着ていなかった。わたしは己の肩にかけられているのが、彼の上着なのだと理解した。
この世界でわたしが最初に感じたのは、その上着の温もりだった。
『ヒトよ――わたしを“根”に』
ヒトのことは学習している。だが、知っているということと、出来るということは違う。
わたしは今できる最善の方法で、自分の意思を二人に伝えた。
「なんだ……頭の中に、直接?」
「お前も聞こえたのか、ザイン」
ザインと呼ばれたのは、くすんだ金髪の男だ。彼はわたしの方を見て、戸惑いの表情を浮かべていた。
「ザイン、ここで始末すべきだ。これは“滅びの種子”から生まれたものだ。つまりアダマンデ、オレたちの敵ってことだ」
「しかし、アーケン。こいつはあまりにも……」
錆色の髪の男は、アーケンと呼ばれた。
アダマンデ――植物に極めて近い体組織を持つ、異形の化け物。ヒトはわたしたちをそう呼んでいる。
ザインとアーケンは、わたしの処遇について意見を対立させていた。
「……無理だ。おれには、できない」
「これはお前の妹じゃない!」
「そんなことはわかっている!」
妹――ヒトの家族をさす呼び方。知識としては知っているが、わたしにはわからない。
滅びの種子は、周囲の植物から生命を吸い上げ、ヒトにとっての毒である瘴気を出すモノ。わたしたちアダマンデは、その滅びの種子から生まれる存在だ。
「お前がやらないなら、オレがやるだけだ」
「よせ!」
ザインはわたしを庇っている。ならば、それを利用するしかない。
わたしにはやるべきことがあるのだ。なににかえても果たさなければならない、絶対の使命が。
『ザイン――わたしを連れて行ってください』
「連れて行け……? 一体、どこに」
「耳を貸すな――!!」
地響き。同時に、耳をつんざくような咆哮が聞こえる。ザインとアーケンの後方から、四体の同胞が迫って来ていた。
本能的にヒトを戦慄させるはずの殺気に、しかし眼前の男たちは冷静だった。
「ザイン、話は後にするしかないな。二年ぶりだが、どうだ?」
「……やって、やるさ」
すり鉢状にへこんだ窪地に、わたしたちはいる。樹木がドーム状の天蓋を形成し、陽光が降り注いでいた。
周りの植物は枯れ果て、わたしの生まれた種子の残骸だけが残っていた。さながら朽ち果てた祭壇のようだ。
見渡す限り、逃げ場は無かった。
「小型三体に、中型一体か」
二人の目線の先、鳥に似た姿のものが三体、獅子に似た姿のものが一体、一直線にこちらへ向かって来ている。
「おれが中型を引き受ける。アーケンは飛んでるやつを頼む」
「最善だな」
ザインとアーケンは同時に散開した。
わたしはザインの右足が義足だと気付いた。左右のバランスが違うせいか、走り方に特徴がある。
『ザイン、右から来ます』
「なにっ!?」
獅子に似たアダマンデは、背の中心から一本、サソリのような尻尾が生えていた。
尻尾が振るわれ、ザインの身体が横殴りにされそうになる。身をかがめてザインは尻尾の一撃を躱した。
「お前、どうして……」
『余計でしたか?』
ザインはそのまま前方へ転がり、前脚を刈り取る。獅子の身体が傾いた。
ザインは大きなトンファー状の武器を持っていた。金属製で、取っ手から伸びる本体は全長一メートルほどある。
「いや、助かる!」
『弱点は』
「背中だろ!」
わたしは少し驚いた。ザインはわずか一合の動きで、あのアダマンデの急所――核の位置を見切っていたのだ。
『次に来る攻撃を伝えます』
「わかった!」
片足が義足とは思えない速度で、ザインはわたしの指示するままに攻撃を避け、獅子の背中へと駆け上がる。
彼はわたしが嘘をつくと考えなかったのだろうか? いや、ここは協力した方が合理的だと理解しているのだろう。
『今です、ザイン』
「おおおおっ!」
背中の上にまで到達したザインは、トンファーの先端を尻尾の付け根に突き刺し、取っ手についた引き金を引いた。
瞬間、その場所が爆ぜた。先端に仕込まれていた火薬が炸裂したのだ。
アダマンデは核を破壊されない限り、いくらでも肉体を再生できる。わたしたちを殺すには、核を潰すか、文字通り焼き尽くすしか方法がない。
『ザイン、核を破壊しました』
「お前は、味方なのか……?」
『あなたはそう思ってくれますか?』
ザインの表情が疑念に満ちたものになる。
一方、アーケンも小型のアダマンデをせん滅していた。鳥に似たアダマンデは、三体がかりであろうと彼の相手ではなかったようだ。
「やったな」
「お前こそ、腕は鈍っていないな」
合流した二人は、お互いの腕を軽くぶつけた。長い付き合いであることは、わたしから見てもわかる。
アーケンの武器は、一対の刀の形をしていた。柄にはザインのものと同じく引き金がついており、どこかに炸薬が仕込まれていることがうかがえる。
『ザイン、わたしを“根”に連れて行ってください』
「“根”、だって? それに、お前のその姿は――」
「ザイン、聞くな。言葉を解するアダマンデなんて記録にないが、危険なことに変わりはない」
アーケンはわたしに刀を突きつけた。その目には冷酷な光と、わずかに憎悪のような感情がにじむ。
「なにを企んでいるのかは知らないが、ここで終わりだ」
「アーケン!」
容赦のない眼光がわたしを射貫いている。少しでも動けば、刀で両断されることを否応なく想像させられた。
『わたしを殺すのですか?』
「ああ、そうだ。俺たちレム・ルシッドの使命は、アダマンデを一体残さず殺し尽くすことだ」
レム・ルシッドとは、彼らの所属する組織のことだろう。ヒトは服装で身分を示すというが、道理で二人の服装が共通しているわけだ。
『アダマンデを殺し尽くすこと――ならばあなたたちは、なおさらわたしに協力すべきです』
「何だと……?」
その時、ザインが一歩前に出た。アーケンの表情は変わらない。
「アーケン、頼みがある」
「言うな」
「こいつは、おれに預けてくれないか?」
先ほどまでの気安い雰囲気とは打って変わり、二人の間に緊張が走る。視線が交錯し、空気が張り詰めたようになった。
「正気か? 意思の疎通ができるとはいえ、アダマンデなんだぞ」
試すような問いは、誰に向けられたものだろうか。ザインはそれを正面から受け止める。
「ああ、正気さ。おれは本気で頼んでいる」
ザインの頼みに――少しの逡巡の後、アーケンは呆れたように武器をおろした。
「……お前に頼まれちゃ、オレが断れないって知っているだろうに」
「すまない」
「ったく、嫌なやつめ」
くつくつとアーケンは笑う。二人のあいだには、多くの言葉はいらないのだろう。
「ま、さっきのアダマンデどもは、これに敵意を向けていた。同族を狙うなんて、やつらの習性には無いはずだ」
アーケンの言葉にザインはうなずく。わたしの存在意義を考えれば、同胞がわたしを狙うのは当然だろう。
「それに、オレの殺気を前に抵抗する素振りもなかった。これ自身に大した戦闘能力はないんだろうな」
「試していたのか?」
「性格の悪さはお互い様、だろ」
アーケンの意図はそれだけではあるまい。
危険性が低いのであれば、ヒトにとってわたしは格好のサンプルとなり得る。抜け目のない男だった。
「だがザイン、これの種子が開くとき――」
「アーケン?」
「……いや、なんでもない」
何か言いかけて、アーケンは押し黙る。ザインも深く追求せず、改めてわたしに目を向けた。
「おれは、こいつがそう悪い存在だとは思えないんだ」
「それは、直感か?」
「ああ、そうだ。おれの直感は当たるって、お前も知っているだろ?」
アーケンは考え込むように、腕を組んだ。しばし難しそうな顔をしていたが、やがてその表情が和らぐ。
「わかったよ、相棒。お前がそう言うんなら、ひとまずオレの胸に留めておく」
「ありがとう、アーケン」
そうして二人は、わたしと向かい合った。
「教えてくれ。お前は一体、なんなんだ? そして“根”とは?」
ザインの問いに、わたしは答える。生まれた時から――いや、生まれる前から定められている、己が使命を。
『わたしはラサ――“厄災の福音”。わたしが大母樹レム・ラーズの“根”に行けば、すべてのアダマンデは滅びます』
それが、わたしの役目。
それが、わたしの生まれてきた理由。
そしてこれが、わたしたちの長い旅の始まりだった。
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