挿話・ノエルの急病

 軽快に小道を駆ける蹄の音が鳴る。早朝に降った小雨の所為で湿った土に車輪が線を描く。地理に明るいリューリクに馬車の操縦を任せ、一行はゲルトまでの道を順調に進んでいた。

「さすが王子様! 盗賊の心を改めさせるなんて! それに強いし、格好良いし……本当に完璧だよな〜〜」

 ジャンはそう言って、キラキラした羨望の目でオーギュストを見つめた。

「ジャ、ジャン……俺はそんなにすごいヤツなんかじゃないよ」

「その上、謙虚だし」

「そうだね。ジャンみたいな何の取り得もない無能な人間とは訳が違う」

 横から厭味ったらしく、ノエルが口を紡ぐ。

「む、無能!?」

 いつも言われっぱなしのジャンが珍しく反抗する。余程日頃の鬱憤が溜まっているようだ。

「いつも酷いよ! 僕だって頑張ってるのに! 少しは言い方ってものがあるだろ!?」

「本当のことだろ? 大体、お前がもっとしっかりしていれば王子が攫われるようなことはなかった。この役立たず」

「……役立たずだって!? 確かにそうかもしれないけど、そこまではっきりと言わなくたっていいじゃないか!」

 ジャンがムキになって更に喚く。

「はっきり言って何が悪い。役立たずは役立たずだろ」

 ノエルにそう言われて、ジャンはそれ以上何も言うことが出来ず、歯軋りする。

「少しは役に立ってから言って……」

 その時だった。台詞を言い終える前に、突然ノエルの身体が魂でも抜けたかのようにばったりとくずおれた。

「お、おい!?」

 突然のことに驚いたオーギュストがゆっくりとノエルの上体を起こす。額に手を当ててみると、思わず咄嗟に手を離したくなるほど額が熱い。

「すごい熱……大丈夫か!?」

 ノエルからの返事は無い。苦しそうな吐息だけが微かに口元から漏れている。熱があったのに無理をしていたのだろう。

「どうしたんですか!? 話はまだ終わってませんよ!!」

 ジャンが、ノエルの身体を揺さぶりながら叫ぶ。が、その声は、高熱にうなされるノエルには届いていないようだ。

「ノエル……!」

 オーギュストも呼びかけるが、返答はない。

「とりあえず馬車の奥で横になろう」

 オーギュストが馬車の天蓋の下へとノエルを運び、横に寝かせてブランケットをかけた。

「……どうしたんだろう?」

 ジャンが心配そうに呟く。オーギュストが水を絞ったタオルを額の上に乗せた。

「わからないけど、熱が酷い。医者に連れて行ったほうがいいな」

 オーギュストは御者席にいるリューリクに事情を説明し、近くの町の医者に寄って欲しいと声をかけた。リューリクは頷き、馬を町へと走らせた。


 しばらくすると、小さな町の診療所に着いた。症状を伝え、様子を見せると、医者はこう告げた。

「ああ、これはベスタ熱だね」

「ベスタ熱?」

 鸚鵡返しにオーギュストが尋ねる。

「感染症さ。ほら、発疹があるだろう」

 そう言って医者は、ノエルの腕の発疹を見せた。

「大抵は風邪のような症状で終わるんだが、疲れが貯まってたり栄養不足で免疫力が弱っていたりすると、発疹を伴う高熱が出ることがあるんだ」

「……っていうことは疲労が原因で……。俺がいつも心配かけてるから……」

 オーギュストが俯く。

「どうすれば治るんだ?」

 オーギュストが顔をあげて尋ねる。

「安静にしていれば、そのうち良くなるよ。だが、この病気はダラダラと長引くことがあるからねぇ。高熱が一週間くらいは続くよ。酷い時はうなされて起き上がることも出来ないんだ。今、まさにそういう状態だね」

 診療所の小さいベッドで横になっているノエルに目を向ける。息が荒く、見ているだけでも辛そうな状態だ。少しでも早く快方に向かってほしいし、それにオーギュストたちは遠征の途中である。あまり、もたもたしている暇はない。

「早く治す方法は?」

「薬があれば、一晩で熱も下がるだろう。でも生憎、今薬を切らしていてねぇ。最近、材料が手に入らないんだよ。何でも薬草の茂る草地に魔物が頻繁に出るらしくてねぇ」

「じゃあ、材料があれば薬を調合してくれますか?」

「いいけど、危ないよ。以前よりも、数も増えているし凶暴になってるんだ。薬草取りに行って怪我してちゃ世話ないよ」

「どうする? オーギュスト様」

 横で聞いていたジャンが尋ねる。

「行こう。俺が苦労かけた所為もあるんだ。それに、早く良くなってもらわないと」

 オーギュストたちは医者から、その薬草の生える場所を聞き、診療所を後にした。馬車で待っていたリューリクも連れて、一行は医者から聞いた丘へと向かった。

「いろんな薬草があるんですね」

 医者に教えてもらった薬草の種類と特徴を写したメモを見ながらジャンが言う。その横から、リューリクが口を挟んだ。

「ちょっと見せてみな。自分たちで薬草摘んだりもしてたからな。王子さんよりかはよっぽど詳しいと思うぜ」

 リューリクがジャンの手からメモを奪い取る。メモに記された薬草を見ると、説明を始めた。

「この薬草は日陰に咲くんだ。葉が細いのが特徴だ。こっちのは水辺に生えてることが多い。もう一つは……見慣れない草だな。高い場所に自生し、黄色い花をつけるらしい」

「わかった。探そう」

 三人はあたりを探し始めた。人が足を踏み入れることも少ない場所故に、草は遠慮なしに生い茂っている。その草を掻き分けながら、ジャンが言う。

「それにしても、あのノエルさんがあんなに弱るなんて。ものすごい病気ですね」

「……俺が無理させちゃったんだと思う」

「王子の所為なんかじゃないですよ。っていうか、そのうち治るみたいだし、あんな性悪術師、放っておいて先に進んでもいいんじゃないですか。少し痛い目見ればいいんですよ」

「そんな訳にはいかない。それにノエルの力無しじゃ、先に進むことは出来ないよ。今も昔も、ノエルは俺にとって心の支えなんだ」

「……そうなんですか?」

「うん。父上との軋轢や、周囲からの期待に押し潰されそうだった時、助けてくれたのはノエルだった」


 まだ、幼い顔立ちのオーギュストがいじけたように、城の庭の木に吊るされたブランコに腰を掛けている。地につけた足で軽くブランコを揺らしては、足下に転がる小石を蹴り飛ばしている。そこへノエルが歩み寄る。

「また陛下とケンカされたんですか?」

 オーギュストよりも一つ年上のノエルが身を屈めて覗き込む。

「だって、父上は何にも判ってくれない。母上が死んでから、父上は俺に厳しくなった」

「それは、王子が大切だからです。王子が大切だからこそ、陛下は厳しく接しているんです。それに、オーギュスト様はこれから、この国を担う存在なんですから」

「王子だから……国のために……もう、うんざりだ。俺は皆が期待してるような人物にはなれない。王子なんて嫌だ。普通の家に生まれたかった。王子になんて生まれなければ良かった」

 オーギュストは目に涙を浮かべながら吐き捨てる。

「王子……」

「皆、王子として俺を見る。誰も一人の普通の人間として俺を見てくれない。もう嫌なんだ!」

「王子! ……いえ、オーギュスト様。僕は王子だからオーギュスト様を大切に思っているわけではありません。ただ一人、こんな僕を卑下することなく接してくれたオーギュスト様だから……だから大切なんです」

「……」

「それに、僕はいつも王子の味方です。大丈夫、王子はそのままで十分です」

 照れくさく感じながらも、いつになく裏表のない笑顔でノエルは言った。それを聞いた

オーギュストは、ふっきれたように、ブランコから飛び降りた。

「……ありがとう、ノエル」

 短く礼を告げたオーギュストの顔には笑顔が戻っていた。そのまま、オーギュストはどこかへ走っていってしまった。

「綺麗事言うのなんて大っ嫌いなのに……僕がこんなこと言うなんてね」

 ブランコの前で残されたノエルは一人、呟いた。

「……僕も、随分変わったもんだ」


「あの時、ノエルがそう言ってくれたから今の俺があるんだ。ノエルには感謝してる。だから、早く良くなってほしいんだ」

「へぇ、ノエルさんらしくない話ですね。でも、確かにノエルさんがあんなんじゃ、調子狂いますもんね。早く治ってもらわなきゃ!」

 そう言って二人は、再び薬草を探し始める。その時、向こうの方から二人を呼ぶ声があった。

「お〜い、ありましたぜ」

 そう言って、リューリクが手を振っている。どうやら薬草を見つけたらしい。

「あそこの蔭に生えてました。あと、一種類だな」

「ありがとう、リュー。あとは、高い場所に自生するという、変わった薬草か。山の方に行って探してみるか」

 三人は、山の方を登っていった。その間、何度も魔物に遭遇した。

「医者の言ってた通り、魔物の数が多いな……」

「でもこんなのファーブニルに比べればなんてことありませんよ!」

 そんなことを話しながら、進んでいく。

「それにしても……それらしい薬草がありませんね」

「う〜ん……あっ!!」

 探しあぐねていたその時だった。切り立った崖に黄色い花をつけた植物が生えていたのをオーギュストが見つけた。しかし、手が届かないくらい高い位置にその植物は生えている。

「あったけど、あんな高いところにあるんじゃ……」

「でも、あの植物に間違いない」

 オーギュストは垂直なその崖に手をかけて登ろうとする。

「オーギュスト様!! 無茶です、こんな崖を登るなんて!!」

「王子、それなら俺が!」

 ジャンもリューリクも止めに入るが、オーギュストは耳も貸さずに登り始めた。

「人の話聞かないしっ……!」

「でも、もうあんな所まで登ってますぜ」

 二人は仕方なく下で見守っている。

「ふうっ……」

 オーギュストが一息つく。まだ、黄色い花をつけた薬草までは手が届きそうにない。更に足を踏み出して登ろうとしたその時だ。右足を掛けようとした足元の崖が崩れる。小石がパラパラと落ちる。

「……あぶなっ」

 少し位置をずらして、もう一度足を掛けようとしたがやはり足元が崩れ落ちる。

「困ったな、これ以上進めない」

 オーギュストは独り言を言う。見上げると、黄色い花が目に入る。手を精一杯伸ばしても届きそうにない距離だ。目の見える距離にあるというのに。

「王子、無茶しないで降りてきて下さい!」

 下ではジャンがまだ叫んでいる。

(ノエルが苦しんでいるんだ。目の前に目当ての薬草があるのに諦めるなんて……そうだ)

 オーギュストは背負ったままの魔剣グラムを引き抜く。

「何するつもりですか??」

 ジャンの問いには答えず、オーギュストは片手でグラムを力任せに投げた。

(頼む……!)

 オーギュストは祈るような気持ちでグラムを見守った。上空に放ったグラムは、持ち主の思いを汲んでか、うまい具合に薬草を切断した。黄色い花をつけた薬草がはらりと落ちる。

「やった!!」

 しかし、喜んだのも束の間、バランスを崩したオーギュストは足を滑らせる。そして、そのまま崖下へと落ちる。

「王子!!!」

 ジャンとリューリクの二人が同時に叫ぶ。

「……ダンシングリーフ!!」

 ジャンがそう叫ぶと同時に、大量の木の葉が現れる。オーギュストが地面に衝突する前にその木の葉はふわりと衝撃を吸収した。

「大丈夫ですか!?」

 リューリクが素早く駆け寄り、抱き起こす。

「いてて……」

 ジャンの術で衝撃は和らいだものの、やはり痛みはあるらしい。オーギュストは腰をさすった。

「……良かった、詠唱間に合って」

 ジャンが胸を撫で下ろす。どうやら物理攻撃を防ぐ術らしい。

「ありがとう、助かった」

「まったく、とんだ王子だな」

 リューリクは呆れたように言う。

「オーギュスト様、ちゃんと薬草採れてますよ!」

 ジャンが落ちた薬草を拾ってきた。

「良かった、これでノエルの病気を治せる。それと……」

 オーギュストは立ち上がって、先程力任せに投げた魔剣グラムを拾い上げる。

「ありがとう、ジークフリート」

 オーギュストは剣に向かって礼を言う。日の光で刀身がキラリと光る。薬草を見事に切ったことといい、まるで持ち主の気持ちに応えてくれているようだ。

「さて、薬草も準備できたことだし、そろそろ戻りますか」

「……そうだ、これ」

 ジャンがある物をオーギュストに手渡す。

「さっきついでに採っておいたんです」

「これは……でかした、ジャン。きっとノエルも喜ぶ」

 オーギュストはにっこりと笑った。


 診療所で早速採ってきた薬草を医者に手渡すと、医者はすぐに薬を調合してくれた。

「助かるよ。この材料でしばらくの間は事足りるよ」

 正直に言うと薬不足で困っていたらしい医者は感謝の言葉を告げた。

 相変わらず、ノエルは苦しそうにうなされている。容体は出掛ける前と変わっていないようだ。

「ノエル、薬は用意したから。これで良くなるはずだ」

 オーギュストはノエルに薬を飲ませる。

「しばらくは様子見だな。その間に夕食の準備でもするか」

 三人は退室すると、夕食の準備に取り掛かった。しばらくして、様子を見にオーギュストが病室に戻ってきた時だった。

 「うう……王子……?」

 ノエルがうっすらと目を開ける。

「良かった、気がついた……!」

 オーギュストが安堵の声をあげた。

「あれ、ここは……? 僕はいったい……」

 急に倒れてからというものの、ずっとうなされていたため、自分の状況がわかっていないようだ。

「熱を出して倒れていたんだ。でも、薬を飲んだからもう大丈夫だ。じきに治る」

「……そう言えば、なんだか体調が優れなくて。ずっと眠っていたのですね」

 まだ、熱で苦しそうなノエルが申し訳なさそう言う。

「すみません、王子。早くエルザリアに行かなくてはならないのに……こんなことで足止めを食らわせるなんて」

「ううん。元はと言えば俺が苦労かけた所為なんだ。無理させてゴメン」

「王子が謝ることじゃ……」

「夕食が出来ましたぜ」

 そう言ってリューリクが夕食を運んできた。昼に摘んだ山菜で作った粥だった。

「それ、ジャンが採ってきたんだよ。ノエルの好物だからって」

 オーギュストが説明する。ノエルはその山菜粥を口にした。

「……そうなんだ。美味しい。それに僕の好物を覚えてたなんて。……ありがとう、ジャン」

「べ、別に、薬草採るついでに採ってきただけですよ!」

「今朝は言い過ぎて悪かった。……今ならルークが君を認めたのも分かる気がする」

「そんなこと……、僕もノエルさんに苦労かけたから……。もっと強くなってノエルさんに迷惑かけないようにするよ」

 その様子を見ながら、オーギュストとリューリクが言う。

「どうやら和解したようですな」

「うん。良かった」

 こうして、その日は診療所の病室で一夜を明かした。


 その翌朝。薬の効果は絶大だったようで、ノエルの熱は大分下がったようだった。一行は馬車に戻り、再び出発することにした。

「良かった。熱下がったみたいで」

「お陰様で。大分ラクになりました。まだ本調子ではないですが」

 ノエルも言う。馬車の荷台の中に寝床をつくり、毛布を掛けたまま、そこに座っている。

「熱は下がったとはいえ、安静にしてないとな。しっかり治さないと。しばらくはノエルは馬車で休んでてくれ」

「そうそう、僕が王子を守りますから!」

 ジャンも言う。

「へぇー、ジャンが?」

 ノエルが視線を向ける。

「ジャンなんかに王子の命が預けられてると思うと、不安で余計に体調が悪化しそうだね」

 ノエルはまた挑発的な態度でジャンに言う。ああ、またそういう言い方をして……とオーギュストは項垂れる。 

「んなっ!? 昨晩は僕のこと認めてくれたようなこと言ってたじゃないですか〜〜!?」

「さぁ。覚えてませんね。熱で記憶がはっきりしないんです」

 ノエルはぷいと顔を逸らした。

「このぉ〜〜〜!! ちょっとはしおらしくなったと思ってたのに〜〜〜!!! 結局治ったらいつもの調子かよ!!」

 ジャンが怒りに肩を震わせる。

「はぁ……結局こうなるのか」

 オーギュストは溜息を吐く。

「仲直りしたと思ったのは一時だけでしたね」

 御者席のリューリクも呟いた。だが、顔を背けたノエルが照れくさそうな顔をしていたのをオーギュストは見逃さなかった。

「素直じゃないな」

 オーギュストは思わず含み笑いをする。

「……なんか言いました!?」

 ノエルがオーギュストを睨む。

 まだ、ゲルトまでの道は半ば。馬車は軽快に道を進んでいった。

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