3話・二人の出会い
木々にそよぐ爽やかな風の音が心を落ち着かせてくれた。遠くからカッコウの会話する声も響く。森の中を通る道を歩きながら、ジャンは独り言を呟いた。
「ふ~っ、ほっとしたというか気が抜けたというか……でも、良かった。考えてみれば兵士として戦争に出るなんて……ん?」
木々の間の向こう、小さな池のほとりで、騎士が馬から降りたのが見えた。
「騎士だ……休息か?」
何故か小さな好奇心を感じ、ジャンは足を止めて木々の隙間から騎士を見つめた。馬から降りたその騎士は、水を飲むために兜を外し地面に置いた。両手で水を掬い、喉を潤したその顔はさっき見た……
「オーギュスト王子!」
ジャンは思わず声を上げて近寄った。オーギュストは驚いた表情をしたが、ジャンの方を見ると困ったような笑顔を見せた。
「バレちゃったか~、仕方ないな~」
「何で貴方がこんなところに……こんな格好で!?」
「ガリエールでは既に防衛戦が始まっている。民だけに戦を任すわけにはいくまい」
王子は先程の笑顔とは打って変わり、真摯な顔つきで答えた。
「でも、危険です!」
「ハハ……他のヤツらにも言われたよ」
王子はジャンが冗談でも言ったかのように軽く答える。
「だって、王子の身に何かあったらどうするつもりですか?」
「王子の代わりだっていくらだっているさ」
王子は置いていた兜を手に取りながら言う。
「……で、でも」
その瞬間、突如ジャンの背後を黒い影が覆った。
「危ない!」
いち早く気付いたオーギュストが叫ぶが、ジャンが振り向くより早く、背後の影は剣を振り下ろしていた。ジャンは咄嗟に身体を逸らしたが、避けきることが出来ず、切り裂かれた腕から血が滴り落ちた。
オーギュストが剣を抜き、何者かの首を打ちつけた。その何者かは吹き飛んだかと思うと、不快な音をたてて地面に倒れた。見ると、それは黒い甲冑で全身を覆われた大柄な騎士であった。
「なっ……」
遅れて恐怖を感じ、ジャンが声を詰まらせる。
「エルザリア兵だ。こんなところにまでエルザリア兵が来るようになったんだ。それより腕大丈夫か? 血が……」
傷はそこまで深くはないが、出血量が多い。オーギュストは、止血する為にハンカチを取り出し、腕の負傷した部分に巻きつける。
「あ、ありがとうございます……」
何故か申し訳ないような気分になり、照れたような笑顔でジャンはお礼を言った。王子という身分にもかかわらず、自分のような農民風情に丁寧に応急処置をしてくれたことに不思議な感覚を覚えた。しかも、一撃で騎士を打ち倒したあの強さ……。本当に噂どおりの人物だ。
急にジャンの心に強い憧れのような感情が芽生えた。この王子の傍にいて力になりたい。なにか宿命にも近しい感情を感じたのだ。
「あの……!」
強い口調でジャンは口を開いた。
「僕も一緒に戦います!」
「……へ?」
ジャンの突然の言葉に、オーギュストは言葉を詰まらせた。ポカンとしていたその時、突然の衝撃がオーギュストを襲った。衝撃音とともに、オーギュストは前方によろめき、草地に倒れた。見ると、オーギュストの後ろに黒い髪の少年が立っていた。
「王子! こんなところで何やってるんですか。陛下が心配しておいでです!」
腰に手を当て、仁王立ちの格好で立っているその人物は、強い口調で言い放った。
「いって~……後ろからキックは無いだろ。術師の癖に」
オーギュストは身体を起こしながら、黒髪の少年に向かって言う。どうやら顔見知りのようだ。少年は見た目からして王子とそう変わらない年齢であろう。一風変わった意匠の水色のローブを纏い、黒い髪を切り揃え、猫のように鋭い目つきをしている。
オーギュストの台詞と服装から術師であることを理解したが、ジャンは王子が蹴り倒されるという突拍子もない展開に唖然としていた。
「と に か く! 城へ帰りますよ!」
術師はオーギュストの襟元を引っ張って引きずるようにして、城へ連れ帰ろうとした。オーギュストは舌打ちをして仕方なく帰ることにしたようだ。王子に対する、あまりにも傍若無人な振る舞いに、ジャンはすっかり恐れ戦きながらも、恐る恐る声をかける。
「あ、あの……」
「王子、誰ですか。コイツ」
黒髪の術師は睨みつけるような目で、顎をしゃくりジャンを指した。
「えっと、ちょっと話をしてて……あ、そうだ。コイツ、怪我してるんだ。手当てしないと」
見知らぬ相手であろうと、気にかけるオーギュストに術師は軽く呆れたような表情を見せる。
「……僕が回復術をかけますからそれでいいでしょう。術をかけたら、さっさとお帰りになってもらって下さい」
「でも……」
オーギュストがどこか残念そうな表情を見せる。
「俺と一緒に戦うと言ってくれたんだ。心配して止めようとする人はたくさんいたけど、一緒に戦うなんて言ってくれたヤツは初めてだ。厚意を無駄にはしたくない。……家はどこに?」
会話をただ傍聴していたジャンは、急にオーギュストに話を振られて、驚いて答える。
「グラン村です」
「グラン村か。結構かかるだろう? もう日が暮れるし、今日は城に泊まっていったらどうだ?」
オーギュストが人懐っこい笑顔を浮かべて言う。ジャンは王子の気取らない態度にすっかり心を開いていた。
「王子!!」
面倒くさいことを言い出すなとばかりに術師が声を荒げる。
しかし、一度そうと決めたら聞かないということを知っているのか、術師の方が先に折れた。
「はぁ……、わかりました。その方も連れて、とりあえず帰りますよ」
三人は城へ帰るために、森の道を歩き始めた。
「なんか嬉しかったんだ。城以外で同じ年頃のヤツと話す機会なんてなかなか無いから……。ところで、名前はなんていうんだ?」
ジャンは聞かれて初めて、名乗っていなかったことに気付き、慌てて答えた。
「ジャンです。ジャン=マルタン」
「ジャン? 俺もジャンなんだ。ジャン=オーギュスト=ド=ガリエール。同じ名前だな!」
オーギュストはにっこりと笑って言った。その笑顔は王子というよりも、普通の十七歳の少年といった感じであった。
「はい。なんか嬉しいです」
ジャンは素直に答えた。
「……あのさ、年近いんだしタメ語でいいよ?」
オーギュストはジャンの顔を覗き込むようにして言う。
「ええっ!!! む、無理です! そんなっ……」
王子であるオーギュストの突然の申し出に、ジャンはうろたえて返事をする。王子と話をするなんてことだけでも、恐れ多いというのに、タメ語で話せるわけなどない。
「本当言うと苦手なんだよね。王子だからってそういう扱いされんの。何回も言ってるのにノエルも言葉遣い変えないし……」
そう言ったオーギュストの表情には翳りがあるように思えた。
「オーギュスト様……」
「……ああ、そうだ。こいつはノエル。ノエル=ヴァンデミエール。俺の付き人で城に仕える術師だ」
さっきの黒髪の術師を掌で指し示して言った。
「よ、よろしくお願いします」
ノエルに既に苦手意識が芽生えていたジャンは、軽く会釈しながら恐る恐る挨拶をした。
「フン」
ノエルはジャンを一瞥すると、さっさと先を歩いて行った。その態度にジャンは硬直する。
「ごめんな。ノエル、口悪いし、態度も悪いんだ。根はいいヤツなんだけど……」
申し訳無さそうな笑顔でオーギュストは言った。
城へ着くと、オーギュストは直ぐに玉座の間に呼び出された。
「……全く! お前はいつになっても城から抜け出す癖が直らないようだな」
玉座に鎮座している王は、怒気を含んだ声で言い放った。
「城で大人しくなんかしてられるか」
不貞腐れるようなオーギュストのその返答に、王はため息をつく。
「分かってくれ、オーギュスト。お前は大事な跡取り息子なんだ」
「はぁ……」
王の間を出ると、扉を背にオーギュストはため息をついた。廊下で待っていたジャンは王子に尋ねた。
「あの……、大丈夫でしたか?」
「父上はいつもああなんだ。俺のこと、全然分かってくれない」
「……そうですね」
そう言いながら、ジャンは早くに死に別れた父親のことを思い出し、少し俯いた。
「……どうかしたか?」
その様子に気付いたオーギュストが顔を覗き込む。事情の知らないオーギュストは、その表情の意味に気付いていない。
「いいえ、何でも!」
慌てて、ジャンは頭を振る。一瞬、訝しげな表情をしつつも、オーギュストはそれ以上深入りすることなく言う。
「来い。部屋に案内する」
石造りの床に赤い絨毯が敷かれ、槍を持った鎧が飾られている長い廊下を歩く。つい、ジャンはあたりを見回してしまう。今まで目にしたこともない、立派な内装だ。しばらく歩くと、王子は一つの部屋の扉を開けた。
「傭兵用の使ってない部屋だ。ここを使ってくれ」
「……有難うございます。あの、僕、本当に王子様の力になりたいと思っているんです」
王子としては異色なオーギュストに、ジャンはすっかり心惹かれていた。オーギュストが戦地に赴くというのなら、自分もその力になりたいとまで思うようになっていた。もとはと言えば、兵士になる覚悟で城まで来たのだ。覚悟はすでに出来ているようなものだった。
「ジャン、気持ちは嬉しいけど……。でも、本当にいいのか? 家に帰れば平和な暮らしが送れるんだぞ? わざわざ危険に身を晒さなくても……」
ジャンの気概を受け取りながらも、オーギュストは遠慮がちに尋ねた。
「それなら、王子だってそうじゃないですか」
ジャンが得意げに言った返答に、オーギュストは笑い出す。
「それもそうだな」
「どうして王子は危険を顧みずに戦うんですか? 国や国民が大切だからですか?」
ジャンが思っていた疑問を口にした。
「それは勿論ある。生まれ育ったこの国も人々も大好きだ。でも、それだけじゃない。昔聞かされた伝説に登場する四皇族に憧れてるんだ。彼らのような冒険がしたいとずっと思いながら育ってきたんだ」
「僕も小さい頃、聞かされました。でも、四皇族って実在したんですか? 伝説の中の存在じゃ……」
「歴史家の中でも意見は分かれてるらしいけど……俺は実在したと信じてる。だから確かめたいと思っているんだ。彼らが生きて戦ったというその証を」
オーギュストは瞳を輝かせてそう答えた。
「とりあえず、今日はもう休みなよ。また明日話そう」
長話してしまったことに気付いて、オーギュストが話を切り上げた。就寝前の挨拶を交わした後、二人はそれぞれの部屋で眠りについた。
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