2話・ジャンの旅立ち

 ガリエール王国にある農村のグラン村。ここに住むジャンは母親と二人で農作物を耕して生活していた。決して裕福とは言えない慎ましやかな生活だったが、親子はこの平穏な生活に満足していた。

 グラン村は質素ながらも美しい村だ。ガリエールの西南の外れにあるこの村は、絵画から抜け出たような田園風景が広がり、特に秋には、稲穂が黄金の輝きを見せる。平和な大国、ガリエールの台所を支える農産地としても機能している。そんな生まれ育った土地での暮らしに、二人は何の不満も持っていなかった。

 ところが、このガリエールで戦争が始まるかもしれないという危機が迫っている。西北の島国エルザリアが、この国に兵を送り、侵略を開始しようとしているからである。何故、これまで続いていた平和に水を差すように、エルザリア国王が侵攻を開始したのかは分からない。平和条約が結ばれてからは、この大陸の主要国間では、争いなどなかったのである。ガリエールの国王も全く予想だにしなかったことで、対処に遅れてしまっているのが実情である。

 そしてある日、兵士になるように書かれた手紙がジャンのもとにも届いてしまったのだ。

 ジャンはまだ十五歳。本来なら、まだ年若い彼に召集の手紙が届くほど、切羽詰った状況ではない筈である。

「なんであんたの元に手紙が……。あんたはまだ若いのに。行かないどくれ、ジャン……」

 泣き崩れる母親を見て、ジャンは躊躇った。父はジャンがまだ幼い頃に亡くなったため、母は女手一つでジャンを育ててきた。自分がいなくなったら誰が畑仕事を手伝うのだろう……母はこの家に一人きりで残されてしまうのだ。

 それでも彼は決心した。行かなくてはならないと感じたのだ。重たい口を開き、母に告げる。なるべく明るい口調で。

「仕方ないよ。手紙が来てしまったんだ。必ず戻ってくるよ」

 ジャンは悲嘆に暮れる母親にそう言うと、準備を始めた。母親もその気概に負けて、弁当を作って持たせてくれた。

 母親に見送られ、坂の道を下っていく。後ろでは母親がいつまでも手を振ってくれていた。


 やがて、ガリエールの首都、シュラールに到着した。華やかで人通りが多く、商人たちが通りを賑わせている。長閑な農村のグラン村とは対照的であった。田舎者のジャンが物珍しそうに周りを見回していると、何やら城の前の広場に人だかりが出来ている。

「何だろう……?」

 気になったジャンは、背伸びをして人の合間から見ようとした。

「はぁ、今日も素敵だわ」

「本当。輝くようだわ……」

 ジャンの少し前にいる娘たちの、うっとりするような声が聞こえた。見渡すと、視線の先には演説をしているガリエール王国の王子、オーギュストの姿があった。昨日もエルザリア兵が侵攻してきたこと、それを撤退させたことの国民への報告であったようだ。

(本当だ。かっこいいんだな~……)

 ジャンはその様子を眺めながらぼんやりと思う。

(でも、なんていうか……王子らしくないといえばらしくないな)

 王子は彫刻作品のように整った顔をしており、貴族階級の特権である煌びやかな衣装を纏っている。しかし、高貴な雰囲気を感じさせてはいるものの、その表情は腕白そうな普通の少年といった感じであった。王子は武芸に長けていて、国内で開催される武芸大会では王子に勝った者はいないという。その上、気さくで国民からは好かれているそうだ。

 畑仕事でいつも泥だらけ。服装もボロボロ。その上、平凡な顔でとりたてて取り得も無い。そんな自分と比較してしまい、ジャンは途端に自分が情けなくなった。

(僕とは住む世界の違う人なんだな……)

 そんな事を思いながらジャンは広場を後にした。


 ジャンは城へ入り、兵士として集められた何人かの男たちと共に、王の座に招き入れられた。いずれもジャンよりも逞しい年上の成人男性ばかりであった。

「よく来てくれた。ガリエールの為に戦って欲しい」

 王はそう言って、集められた男たちを見渡した。オーギュスト王子と雰囲気の似た、まだ三十代であろう若々しい王であった。

「ん? まだ少年ではないか。何故、君のような者がここに?」

 王はジャンを見ると言った。

「でも、僕のところにも手紙が来ました。……これです」

 ジャンは自分の元に届いた手紙を手渡した。

「ふむ……資料を持ってこい」

 王は一番近くにいた兵士に呼び掛けた。渡された資料に目を通すと、王は納得した様子をみせた。

「成程。これは手違いだ。君と同姓同名の若者に出すはずのものだったのだ。遠路はるばるとすまなかったな。帰ってもよいぞ。誰かこの者に馬車を出すように!」

「あ、大丈夫です! 歩いて帰ります!」

 王の前で緊張していたジャンは、歩いて気持ちを落ち着かせたい気分だったのだ。

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