夕方になって、華が家を訪れた。俺は華と座敷で向き合って話をしていた。華は、与一が死んだという知らせを聞いて、憔悴しきっていた。哀しそうに、その黒い瞳を伏せていた。

 死体の状態が酷いからと、村の役人たちは死体に立ち会うことを止めたが、華はそれを振り切った。そして、想像した以上の凄惨な有り様と、恋人の死を目の前にして泣き崩れたそうだ。

 華はずっと与一の話をしては涙を流していた。俺はただ話を聞いて、そんな彼女を宥めていた。

「弥一も辛いでしょう? 御両親が亡くなってからは、たった一人の家族だったものね」

 華は涙を拭うと、少し落ち着きを取り戻して、俺を労わる言葉をかけた。俺はそれにただ頷いた。

 最初から最後まで、華は与一の話ばかりだった。死んでからも、華の心は俺ではなく与一のものなのだと知ると、やり切れない気持ちになる。でも、それもあと僅かだろう。与一は死んだ。きっと誰もの心から死んだ与一は薄れていつか消えていく。どんなに大切な存在でも、死んでしまえば、やはりその記憶は次第に薄れて、新しいものに切り替わっていくものだ。それは、恋人であった華も例外ではないだろう。

 ――そして、いつか俺が与一から全てを奪う日が来る。


* * *


 あいつが死んでから五日が経った。いや、正確には殺されてから……か。

 死んだ人間の魂は四十九日までこの世に留まるというけれど、あいつの魂もまだここらにいるのだろうか。俺は真新しい座敷に大の字に寝転び、口元を歪めた。

 ――そんな訳はない。死人に口なし。魂もなにもあるものか。死んだらそこで終わりだ。お前はもう、この世には存在しない。何も手に入れることもないし、何も持つことも出来ない。もう俺から奪えるものはない。いい気味だ。そう思うと、自然と口元が綻ぶ。


 ……リン


 不意に、玄関から聞き慣れた、澄んだ音が聞こえた。それは、微かな鈴の音。俺は咄嗟に首を向ける。

 あれは、与一がいつも持っていた根付けの鈴の音。あいつが帰ってくる時、靴を履く時、いつも響かせていた音色。

 ……そんな筈はない。あいつはもう、いないのだから。あの音が聞こえる筈はないんだ。勿論、その場には誰の姿もない。

 ――馬鹿馬鹿しい。気のせいだと思い、俺はそれ以上気にしないよう努めた。


* * *


 ドンドン……


 日も、もう落ちるという夕暮れ時。玄関の戸を叩く音が聞こえる。俺は、面倒臭いと思いつつも、重い腰を上げると戸を開けた。

「よう、弥一」

 戸を開けた先に立っていたのは、三軒となりに住む、源さんだった。本名を源三といい、昔から俺たちの面倒をよく見てくれた、恰幅のいい男性だ。

「家にいたのか。与一が死んで、落ち込んでるんじゃないかと心配でな」

 源さんは言った。

「……与一のことは残念だったな。山神様も何か思うところがあったんだろう。あんまり、気を落とすんじゃねぇよ?」

 ……気を落とす? 俺が? 殺したのは俺なのに?

「……はい」

 俺は目を伏せて、答えてみせた。

「もうすぐ日が暮れるってのに、フラフラ歩いてたから心配になってよ。お前、声掛けても、気付かなかったみたいで、歩いてっちゃうし」

「え……?」

 俺は一瞬固まる。全く心当たりがないからだ。

「……源さん、それ何の話?」

「何って、ちょっと前、奥の神社への道を歩いてったろ? 呼んだのに、気付かずにどんどん坂道を登ってっちゃうんだもんなぁ……これは相当落ち込んでんだなと思ってさ」

「それ、いつの話……?」

「いつって、小一時間くらい前だよ。自分がいつ、どこを歩いてたのかも忘れたのか?」

 ――いや、今日は午後になってから外を歩いていない筈だ。昼過ぎに華が来て、話した後、華を家の外まで見送ったきり、外にも出ていない。その後は、ずっと家にいた。ましてや、夕刻前に神社へ続く山道なんて歩いてなどいない。

「どうした? 顔色が悪いぞ?」

 源さんが顔を覗く。俺は何も言えなかった。俺じゃない……。

 なら誰が?

「無理もないか……。もう休め」

 源さんはそう言って、帰った。

 源さんが帰った後、俺は玄関に立ち尽くしていた。ふと、視線を落として気付く。

「あ……、与一の履き物……」

 玄関には、もう既に持ち主のいない履き物が、綺麗に並べて置いてあった。

 ……あいつは律儀だから、いつも履き物をきちんと揃えていたっけ。そんなことを思い出して、ハッとした。

 昼間、華が来た時には、いつも自分が使っているものと華が履いてきたものしかなかった筈だ。華が、与一と同じように、丁寧に履き物を揃える様子を目にしていたから、玄関の様子もよく覚えている。

 この履き物は、あいつが死んでからこのままだったっけ? 覚えていない。

 ……だが、少なくとも華が家を訪れた時には見当たらなかった筈だ。何の変哲もない履き物が、急に禍々しいものに見えた。目の前の風景が渦を巻く。死んだ筈の与一が、まだ、この家を歩き回っているような感覚。

 それに、源さんが見たのは? 源さんが見たのは、俺によく似た何か……。もしかしたら、それは与一の姿だったのではないだろうか……。

 そんなことを思うと、急に周りの温度が下がったように、背筋がぞっとした。

「有り得ない。あいつは死んだんだ……! 俺が殺した!」

 俺は自分に言い聞かせるように、声に出して否定していた。

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