第XI話 ……だめ。

 咲希先輩はどうやら風呂が長いタイプらしく、脱衣所に入ってからかれこれ1時間が経とうとしていた。風呂場で動画でも見てるのか、それとも寝落ちしているのか……はてまた本当に1時間浸かっているのか。

 その間、最初はリビング内を歩き回ったりしていた。本棚には医療関係の本が並んでおり、咲希先輩の夢は看護師とか医療関係の仕事をする事だったんだろうなーとか考えたりした。

 しかしリビング探索に飽きてからは特に何かをする訳でもなく、ほぼ床に等しい寝床に寝転がってのんびりしていた。テレビは瀬里香が映りかねないし、スマホも何かゲームをインストールしている訳でもない。更に、身体は疲れているにも関わらず目を瞑っても眠れない。感覚としては、修学旅行とかの宿泊先で中々寝付けないのと似た感じである。

 ——いや友達がいる分、修学旅行の方がマシなのかもしれない。たった一人で上司の家で何もせず過ごすというのは、本当に苦痛である。


「……ん?」


 ふと寝返りを打った時、ベッドの下に目線がいった。その目線の先にはガムテープでぐるぐる巻きにされた何かがあり、まるで隠すかのようにベッドの裏に貼り付けられていた。

 他人の家のものを勝手に触るのは失礼に値するが、この時の俺は何故か好奇心が勝ってそこまで頭が回らなかった。俺はそれに向けて手を伸ばし、接着を無理矢理剥がすとそれを表に取り出すと、ガムテープを剥がしていった。


「何だ、これ」


 丸裸になった“それ”は、強いて例えるなら細長いタイプのモバイルバッテリーのような見た目をしていた。しかしUSBの差込口はあるものの、裏にはボタン電池が描かれた電池蓋があった。よくみるとUSBの差込口は正規品とは思えない程チープな作りになっており、さながら“フェイク”のようであった。

 缶電池型の充電器はコンビニとかでよく見るがボタン電池は見た事がない……いや、もしかしたらあるのかもしれないが、であればわざわざUSBの部分はフェイクにする必要はないはず。そもそもUSBが使えないのなら充電出来ないじゃないか。


「見た目が似てるってだけで、もしかしてモバイルバッテリーじゃないのか……?」


 俺は疑問を声に出す。

 大体、何でこんなものを隠すような形でベッドの裏に貼り付けていたのだろうか。俺に見られたらまずい代物なのか、それとも咲希先輩すら知らない物なのか……。


「——まさか、盗聴器……!?」


 どうしてそんな飛躍した結論に至ったのかは自分でもわからなかったが、20代前半のOLの一人暮らしがいつの間に仕掛けられた盗聴器によって何者かに筒抜けになっていると思うと、俺はその犯人に対する嫌悪感から居ても立っても居られなくなって思わず咲希先輩の居る脱衣所に駆け込んでいった。


「咲希先輩!! 盗聴器が……」


 俺は脱衣所の扉を開けてすぐに盗聴器が仕掛けられている事を告げた……が、目に入ってきたのは、バスタオルで裸体を覆い隠す格好のまま体育座りをして俯く咲希先輩の姿だった。


「……何してるんですか」

「たすくん……私のコト、嫌いなの……?」

「へ?」


 俯いたままそんな事を聞いてくる咲希先輩に、俺は戸惑いよりも先にハテナが頭に浮かんだ。


「今の私達は上司と部下じゃなくて、屋根の下の男女なんだよ……? なのにずっと敬語だし、何もしてきてくれないし……」

「……そんな事より、盗聴器が」

「あやふやにしないでちゃんと正直に答えて……私のコトが嫌いなら、ちゃんとダメなとこ直すから……!」

「ッ……」


 “正直に答えて”か……それは非常に難しい頼みだ。別に明日であの職場を辞めるとかであれば容赦なく本音を放つのだが、これからも共に仕事をしていくビジネスパートナーだ。にも関わらずこの場で俺の本音を放てば、これから共に仕事するどころかこの後が気まずい。

 だから咲希先輩の意には反してしまうがここは……。


「別に変わる必要なんて無いですよ。大体こんなに良くしてもらってるのにどうして俺が先輩を嫌うんですか、もし嫌いだったら家に泊まるなんて事しませんよ」

「……嘘」

「え?」

「そんな嘘つかなくてもいいよ、本当はわかってるから……だってその盗聴器仕掛けたの、私だから」

「なっ……!?」


 咲希先輩の口から明かされた事実に、俺は衝撃を受けて思わず目を見開いた。

 確かに咲希先輩には、それこそ俺が風呂に入っている時とかにこの盗聴器を仕掛けるタイミングがあったが……まさか俺の本音を聞く為にわざわざこんな事したとでも言うのだろうか。


「ねぇ……私の何がダメなの?」


 俺にそう問いかけながら、咲希先輩は立ち上がる。すると身体を覆い隠していたタオルがはだけ、細くて白い裸体が露わになる。


「っ……」

「——ふぅん……相手が嫌いな女でも、おっぱい小さくても、裸を見るのは恥ずかしいんだぁ?」


 顔を赤くして恥部を見ないように目線を逸らした俺の姿に、咲希先輩は何故か嬉しそうに微笑むと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

 俺はまるで殺人鬼が犠牲者の最期に見せるかのような表情に戦慄し、ずっと手に持っていた盗聴器を咲希先輩に向けて投げつけて脱衣所から出ると、玄関の扉から脱出を試みた……が。


「あ、開かねえっ!? 何でだよ!!」


 玄関の扉は内側から鍵を掛けるタイプで鍵が掛かっている訳でも無いはずなのに、どれだけ力を入れてもビクともしなかった。そして背後にピタピタと水が滴るような足音が近づいてくる度に段々と焦りが大きくなり、同時に背筋が冷えていくような感覚に襲われる。


「駄目だよぉ? いくら嫌いな女だからって物投げて逃げ出すなんて……ほら、たすくんのせいで身体も心も傷付いちゃった」

「っ……!」


 振り返ると、そこにはニヤニヤと笑みを溢しながらこちらを見つめ、濡れたまま裸で近付いてくる咲希先輩の姿があった。その手には俺が先ほど投げつけた盗聴器が握られており、角に少し血が付いていた。よく見ると咲希先輩の胸元あたりに傷が出来ており、そこから血が流れてきていた。


「でーもぉ……ぜーんぶ許しちゃう。たすくんが付けたってだけで、それも愛しく思えるから」

「なっ……何なんだよお前……!? 俺に何を求めてんだよ……!?」

「あー、やっと敬語じゃなくなったぁ……あぁ……その怯えた顔も可愛いなぁ……」

「ふざけんな! こんな事して、何が目的だって言ってんだよ!!」

「えぇ……目的ぃ? そ〜れ〜はぁ……

「————は?」


 俺は咲希の言葉の意味が全く理解出来なかった……というより、理解する前に盗聴器の角で頭を思い切り殴られて気を失ってしまった。


 ——“俺が咲希の弟に”って、一体……?

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