第VII話 知る人ぞ知る“汚れ”
咲希先輩と奢る云々の話を終えてラーメンを待っていると、ポケットの中のスマホが小刻みに震え始める。俺はそれを取り出して画面を確認すると、そこには非通知の文字が表示され、何者かから電話が掛かってきていた。
「ちょっとトイレに行ってきます」
「うん。あ、場所わかる?」
「大丈夫です」
俺は立ち上がって一瞬でトイレを発見するとそこに駆け込んでいき、個室にて電話に出る事にした。
「もしもし」
『貴方……こんな時間まで一体何処で油を売っているのかしら?』
電話の相手はサキだった。しかしその声は平然を保っているようだが、沸々と湧き上がる怒りを隠し切れていない。
——そういえば、コイツに今日は帰れない事を伝えるのを忘れてた。
「サキ……」
『私言ったわよね、待っている側は気が気でないって』
「悪い、今日は急遽帰れなくなった」
『まさかと思うけれど、何か危ない目に遭っている訳じゃないわよね』
「そういう訳じゃない、色々あって先輩の家に泊まる事になった。だが明日には戻ってくるから」
『その先輩って、まさか女?』
「それ聞いてどうすんだよ」
『——いいえ、やっぱり何でもないわ。どうせ貴方みたいな軟弱者に歳上の女性を襲う勇気なんて無さそうだもの』
「好きでもない女を襲うほど盛ってねぇよ」
『やはりその先輩は女なのね。まぁせいぜい真夜中に一人でムラムラして苦しむがいいわ、それじゃ』
終始怒っているような口調だった電話の向こうのサキは最後にそう言い放つと、俺の返しも聞かず一方的に電話を切ってきた。
「あ、おい! はぁ……何だアイツ」
俺はサキに対しての愚痴を漏らしながら、ポケットを貫く程の力でスマホを突っ込んで個室から出てテーブル席へと戻っていった。どうやら俺が電話している間に注文の品が来ていたようで、ラーメンが俺と咲希先輩の分として2皿置かれていた。
安くて美味いラーメンと聞いていたので、てっきり昔ながらの質素なラーメンかと思っていたが……テーブルに置かれていたのは二郎系と言って差し支えが無い程にもやしとキャベツが山盛りになった特製豚骨ラーメンであった。
「あ、たすくん! ついさっき来たんだよ。ちゃんと麺硬め、味濃いめ、脂多めの全マックスにしておいたからさ!」
「なんすかこれ……ほぼ二郎系じゃないですか」
「凄いよね、これでワンコインなんだから」
「この量で500円!?」
質素な醤油ラーメンですら700円はするこの時代で、二郎系と呼ぶに相応しいもやキャベ山盛りの特製豚骨ラーメンが500円は流石に破格過ぎる。いくら店の外の雰囲気がアレだからって、SNSが普及しまくってるこの時代でここが繁盛してないのが不思議だ。
「良いリアクションすんねぇ後輩ちゃん」
破格の値段設定に驚いていた俺を見ていたのか、奥から店主が馴れ馴れしく話しかけてきた。
「価格高騰の激しいこの時代で、この量で500円なんて大赤字なんじゃないですか?」
「まぁもやしは年中安いし、キャベツに関してはうちの畑で育ててるヤツだからな。材料に関してはぶっちゃけそんなコスト掛かってねぇんだ。だが値段で驚いてるとこ悪ぃんだが……残念ながら今は750円だ」
店主は本当に申し訳なさそうな表情でそう言う。その表情から値段250円アップは余程苦渋の決断だったのだろうが……正直まだ安い、他の店なら恐らく1500円は軽々超える量だから。
「えっ、私が来ない間に値上げしたんですか!?」
「ああ、最近物価高で麺の原材料が高騰しててな……流石にこっち側に少しでも利益がねぇと続けられねぇんだ」
「それでも750円は安い方ですけどね」
「でもよ、俺のラーメンが食いたいからっつって500円玉握りしめて来店してくる客に“値上げしました”っつーの、
「まぁ、確かに……」
「それに安いんじゃねぇ。周りが高過ぎんだよ、何の変哲も無ぇラーメンに1200円とかもはや詐欺だろ。10円ガムを100円で買ってるようなもんじゃねーか」
「……」
多方面に喧嘩を売るような発言を平然と抜かす店主は、昔の考えに縛られているタイプの人間なのだろうとわかった。だが他の老害と違うのは、彼は“昔は良かったもの”を今もあの手この手で続けて人に提供しているという点だ。
「後輩ちゃんよ、ぶっちゃけ店の外の雰囲気悪いって思ってただろ?」
「え、まぁ……その」
「ぶっちゃけて良いんだぜ。俺はシャレた店ってのが好きじゃねぇんだ、最近は流行に乗っかってチャラチャラしてる若者が多いじゃねぇか。俺は嫌いだから、そういうヤツを寄せ付けない為に敢えて今の状態のままにしてんだ」
店主の話を聞いていて、俺はなんとなく気が合いそうな気がした。確かに俺の嫌いなタイプの人間はこの雰囲気の店に入ろうとも思わないだろうし、まず美味しいラーメン屋だとも思わないだろう。
「じゃあ尚更、咲希先輩が来た時は驚いたんじゃないですか」
「もちろん驚いたな。思わず“出てけ若者ッ!”って言っちまいそうになったな当時は」
「えー酷いですよ店主〜!」
「まぁ咲希ちゃんは若者では珍しいわかってる人だからな、今じゃ大歓迎よ!」
「なんとなくこの店を見てビビッと来たんですよ、“ここは隠れた名店だ”って!」
「鋭いんだよ咲希ちゃんはさ。そんな咲希ちゃんが連れてきた後輩ちゃんも、きっとわかってる人だって信じてるぜ俺ぁ」
「俺は正直連れてこられただけなんですけど……店主の性格も相まって結構好きですよ、この店」
「ほらな、やっぱ咲希ちゃんの連れも見る目あんのよ!! ま、そろそろラーメンも猫舌でも美味しく食えるくらいになっただろ。今回は特別に一皿500円にしとくから、いっぱい食べな!」
「本当ですか!? ありがとうございます店主!」
咲希先輩の感謝を背に、店主はサムズアップしながら厨房へと戻っていった。店主も咲希先輩も俺が猫舌だという事は知らないだろうからきっと偶然なのだろうが、俺から見てあの店主はかなり好感度は高くなった。
改めて俺と咲希先輩は、ずっとテーブルの上に放置されていた二郎系紛いのラーメンに目を向ける。お互い割り箸を手に取って2分割にし、手を合わせる。
「「——いただきます!」」
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