第22話 純粋ゆえに歪んだ愛

 恥とかプライドとかそんなもの一切捨てて話すのなら……水希は俺の嫁になる為、再会するその日までに良妻としてのスキルを磨き上げ、性的なものであったり老後の事など、共に生きていく上で大切な様々な知識を身につけた。

 そんな数年間の努力の末に、遂に俺と再会する日がやってきた。だがそこに居たのは寂しく一人暮らしする俺ではなく……謎の美人と夫婦同然の暮らしをする俺であった。

 最初はその事実を受け入れて我慢して自我を保つも、あくまで友達というラインを超えてこない上に露骨なアピールをしても鈍感、仕舞いにはそういった行為を“やめてくれ”と言われる始末……そして最終的に水希は逆上し、あろう事か首を絞めてそのまま殺して我が物にしようとしたのだ。

 誰かが助けに来る事はなく——いや、後々来たのかもしれないが……少なくとも誰かの助けが来る前に俺は首を絞められたまま気を失ってしまった。


 ——あれから、俺はどうなったのかというと。



 水希に首を絞められて意識を失ってから、俺は意識を取り戻して瞼を開く。天井は白く、それゆえに微細なシミが少し目立つ。そして漂う薬品の匂い……どうやらここは病室のようだ。


「——知らない天井……ふっ、なんてな」

「タスク!」

「たすくん!」


 俺が冗談を言うと、視界の中にサキの驚いているような表情と、咲希先輩の安堵しているような表情が同じタイミングで入ってくる。その直後、何故か2人は俺の顔の上でお互い睨み合った。


「——あら、私より少し反応が遅れるなんて……“姉”として失格ね」

「いーや私の方がちょこっと早かった! あんたは一応部外者の“妻”なんだから親族に対してそれは失礼なんじゃないの?」

「親族? 血も繋がっていない、義理ですらないのに姉を名乗る不審者がよく言うわね」

「そ、それでもたすくんの事は弟のように大切にしてるんだから!」

「だったら尚更、弟の婚約相手にそんな態度はしない方が良いと思うけれど?」

「あんたみたいな顔が良いだけの毒舌女、たすくんには合わないよ!」


 目が覚めて早々、何で女同士の言い争いを見せつけられなきゃいけないんだ……それに切り出される啖呵がかなり違和感を感じるんだが。

 まず大前提として咲希先輩は俺の姉ではないし、サキは婚約済みみたいな感じで話してるけど妻であるというのはサキが勝手に言い出した事だし……まぁ、籍を入れていないだけで殆ど妻みたいなものだが。


「お前ら……有る事無い事で啖呵を切るんじゃないよ」

「あ……ご、ごめんねたすくん。せっかく目が覚めたのに」

「はしたない姿を見せてしまったわね……まぁ何はともあれ、本当に生きていて良かったわタスク」

「サキが病院まで運んでくれたのか?」

「いいえ、私は救急車を呼んだだけ。その間に胸骨圧迫と人工呼吸はしたけれど」

「そうだったのか……で、何で咲希先輩がここにいるんすか」


 普通に流してしまったが、よく考えればこの場に咲希先輩が居るのは不思議である。サキの態度を見る感じサキが呼んだ訳では無さそうだし、俺が病院に搬送された事を知る由もない筈だが。


「この女、タスクが無断欠勤したというだけでこの病院に来たのよ」

「は!?」

「しかも、受付にはタスクの姉を名乗ってこうして面会しに来て……本当、もう少しセキュリティをどうにかしてほしいものね」

「いやいや、たかが一回の無断欠勤で病院に居るって判断するのおかしいだろ」

「だって真面目なたすくんが無断欠勤なんて何かあったとしか思えないし、それで家に行っても居ないし……この辺りで大きな病院はここしかないから」

「いや待ってください、何で俺の家知ってんですか」

「ええ、それに関しては私も初耳なのだけれど」


 俺は若干引いているような感情で咲希先輩に問う。それを聞いていたサキも、戦慄しているような表情で咲希先輩を見つめていた。


「いつもたすくんが降りるバス停らへんでしょ、だからすぐわかったよ?」

「いやバス停から少し歩きますけど……」

「あれ、じゃあもしかして私知らない人の家のインターホン鳴らしてたのかな……でも確かにアパートの表札には“明日河”ってマッキーで書いてあったんだけどなぁ」


 俺の住むアパート付近に、明日河という俺と同じ苗字の人は居ない。しかも俺は自分の住んでいる部屋には表札の部分にマッキーで“明日河”と書いてある。

 バス停から割と歩く距離だというのに、まさか咲希先輩は百発百中で俺の住んでるアパートとその部屋を当てたというのか!? ていうか無断欠勤って事は、あの日から少なくとも1日は経っているって事か。


「貴女本当に何者なの……? タスクから離れて探偵にでもなった方が良いわよ」

「残念ながら私にはたすくんから離れるって選択肢は無いよ。それにたすくんは私のお陰で今の職場に就職出来てるようなものだもんねー?」

「うっ……それは……てかそんな事より」

「あ、逃げたなーっ……んぎゃあっ!」

「何かしらタスク、私で良ければ何でも聞くわ」


 サキは咲希先輩を俺の近くから退かすように突き飛ばすと、まるで“私だけを見ろ”と言わんばかりに顔を近づけてそんな事を言ってきた。一方、奥では咲希先輩が尻餅をついてどこかぶつけたのか悶えている。

 本当、何なんだコイツら……こういうのって普通ギスギスした雰囲気になるものだが、サキと咲希先輩の組み合わせだとドタバタコントかなにかを見せられてる気分になってくる。


「水希は、どうしたんだ」

「——さぁ? 今頃警察のお世話にでもなっているんじゃないかしら」


 至近距離のサキは、他人事のようにそう答えた。警察のお世話、という事はつまり捕まったという事だろう。捕まった後はどうなるのかは無縁な話なのでわからないが。


「まぁそうか……仮にも俺を殺そうとした訳だしな」

「大体動機はわかるけれどね……さしずめ、タスクへの愛に気付いてもらえなくて逆上したんでしょう?」

「……まぁ、大体合ってる」

「——あの女の事は忘れなさい。大丈夫、タスクが気に病む事なんて無いわ」

「あ、あぁ……」


 そうは言うが……そもそも俺が水希を受け入れていたら、こんな結果にはならなかったのかもしれない。だが受け入れたら受け入れたでそれは浮気ということになってしまうし……かといって、胸を張って今回の件はこれで良かったとは言えない。

 もう過ぎてしまった事だからどうしようもないとはいえ、やはりモヤモヤする。だって水希は、ただ純粋に俺の事が好きだっただけなんだ。


 ——俺はこのやるせない気持ちを抱いたまま、強く頭を掻きむしった。

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