第19話 愛とは
「にしてもたす兄、仕事は大丈夫なのか?」
ある程度時間が経った後、俺のベッドの上に寝転んでくつろいでいる水希が突然そんな事を聞いてきた。
「今日は休みだ」
「でも今日平日じゃね? ……あっ」
「“あっ”ってなんだ。まさか俺が会社クビになったのを隠してると思ってるだろ」
「違うのか?」
「だったらどうやってこの家の家賃払ってんだよ」
「サキ姐の給料で」
「ヒモじゃねーよ俺は」
「でも家事全般任せっきりじゃんかよ」
「それは……」
普通に“家事はサキが自分からやっている事だ”と事実を述べようと思ったが、何だか自分がクズ野郎に思えてくるので止めた。
「——私が望んでしている事よ。タスクが生きているのなら、何だって……ね」
俺が水希との会話で言葉が詰まったのを助けるかのように、サキがそう言った。
今はサキがこの家に居るのが当たり前で、家事もやってくれる……流石にそれだけで“ああっ! 俺はなんて幸せなんだろう! 生きるって素晴らしい!!”とはならないが、帰ってきて風呂が沸くのを待たなくて良いし、晩御飯も毎日違う味だし……それ以前の俺がどれだけ荒んだ日々を送っていたのか、身に染みてよく分かった。だがそれが良い発見かどうかは別だし、望んでそんな生活をしていた訳だし。
「へぇ……サキ姐、ツンツンしてるように見えて、結局たす兄の事が大好きなんだな。いわゆるツンデレって奴か!」
「ツンデレ……ふん、私に一番似合わない言葉ね。好きな人の前でわざわざ反抗的な態度を取るなんて、自分の思いを上手く言語化出来ない愚か者でしかないわ」
サキは腕を組んで、遠くを見つめるような目をしながら他人を嘲笑うようにニヤリと口角を上げて言う。
そんなサキの姿を見て、俺と水希はお互いに目を向ける。水希の呆れるような目を見る感じ、どうやら思っている事は同じようだ。
——いやサキそのものじゃねーか、と。
ツンデレというのは実に悲しい生き物である。何故なら反抗的な態度を取ってもツンデレである事を否定しても、どちらにせよ好意の裏返し……素直になれないのだという事がバレてしまうのだから。
「でも何で結婚はしねーんだ? 家事全般を担って、同棲までしてんのにさ」
「——結婚って、しなきゃいけないのか?」
「えっ、いや……そういう訳じゃねーけどさ、ちょっと気になっただけだ!」
俺が返答すると、水希は聞いちゃいけない事を聞いてしまったかのように振る舞い、焦ってそう言った。
結婚というのは基本的に祝福されるようなめでたい事なのだろうが、俺にはそうは思えない。寧ろ地獄……とまではいかないにしろ、茨の道の始まりにしか思えないのだ。
「まぁこのご時世、一概に結婚する事だけが愛の形ではないわ」
「そ、そうだよな!」
「俺はただ自分の子供に、自分と同じ思いをしてほしくないだけだ。でもそうさせない自信が俺には無い……情けないよな」
「たす兄……何があったの?」
「それは私も気になるわ。タスクがそんなに捻くれている理由がね」
水希とサキは俺の過去に何があったのかを問い詰めてくる。
何かハードルが物凄く上がっているような気がするが、別にアニメの悪役みたいな凄惨な過去って訳じゃないんだが、話しても“その程度で……”と言われる程度の内容でしかない。
「——まぁ簡単に言うと、両親が共働きで夜遅くて、学校から帰ってきても俺1人だけだったってだけだ」
「……」
「……」
2人は沈黙して、明らかに物足りなさそうな目で俺を見つめてくる。……うん、なんとなくこんな反応になるだろうなって分かってたよクソが。
とにかく、俺は家ではいつも独りだった。だからこそ優と芽理との関係が大事で、裏切られたと思い込んだ時のショックが大きくて、今でも若干引きずっているんだろうな。
「随分ベタな理由ね」
「これがベタとか世の中マジで終わってると思うんだが」
「それは否めないわね」
「夜遅くまでって、オレの母親は18時ごろにはもう家に居たぞ?」
文字にすると少し面倒だが今一度説明しておくと、水希は俺の母親の職場の同僚の女ゆえに、母親の職場の事情もある程度は知っているのである。
確かに俺の母親は仕事好きだが、だからといって自分から残業をするような性格ではない。更に付け加えると、俺が高校に入学したタイミングで母親はその職場を辞めている。その事実と水希の言葉から考えると、結論は一目瞭然だ。
「恐らく、俺の母親は一種の社内いじめに遭っていたんだろうな」
「はぁっ!?」
俺が導き出した結論に、水希は大きな声で驚く。そのリアクションから察するに、水希は俺の母親が職場を辞めた事を知らなかったようだ。それがきっかけで俺は水希と会わなくなったのだから、なんとなく察してはいるのだろうと思っていたが。
「まぁ簡単なとこだと、仕事を押し付けられていたんだろうな」
「待てよたす兄! だったら何でたす兄の母親は社内旅行やその後の食事会に行けてたんだよ」
「社内旅行の時はまだされてなかったんだろ。その後の食事会に関しては、恐らく水希が“たす兄に会いたい”って駄々を捏ねたお陰だろうな」
「ちょっ、何でその事知ってんだよっ!!」
水希は内緒にしていたつもりだったのか、その事について話されると顔を赤くして俺に飛び掛かってきてベッドの上で馬乗りになってきた。
「ちょっ、おい!?」
「忘れろ忘れろっ!! 恥ずかしいから今すぐその記憶を消せ、たす兄っ!!」
そんな無理難題を叫びながら、水希は俺に馬乗りになりながら割と強めの力でボコスカ殴ってくる。割と痛い。
ていうかさっきまで母親の社内いじめに関して話してたはずなのに、何で俺は殴られ……って、水希のされたくない話を切り出したのは俺だから自業自得か。
「——話す事も触れる事も許すけれど、タスクに馬乗りになって暴力を振るう事は流石の私でも許さないわよ」
ふと、そんな声と共に水希の身体が浮き上がる——いや、実際はサキが片手で水希を持ち上げているのだ。その表情は明らかに怒っている。
「ごっ……ごめんなさい」
「……そろそろお昼ご飯を作るわ」
申し訳なさそうに謝る水希を床に置くと、サキはそのままキッチンへ移動して今日の昼ごはんを作り始めた。
「たっ、たす兄ぃっ……」
すると水希は今にも泣きそうな表情でこちらを見つめながら、何故か音を立てずにゆっくりと歩み寄ってくる。
そりゃサキのあの顔を見たら誰だって怖いだろうが……それ以前にカジュアルな服装に巨乳で黒髪ショートヘアの眼鏡っ子にそんな表情で言い寄せられたら、誰だってドキッとするだろう。
「……」
——まぁ、俺はしないが。
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