第11話 俺とサキと…

「タスク、起きなさい」


 サキの声と共に肩を弱い力で揺らされ、俺は意識を取り戻す。視界には少し焦っているような表情をするサキと、若干シミが目立つ小汚い天井——どうやら俺は、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。よだれを垂らして寝ていたのか口元はベタベタしており、裾でゴシゴシ拭く。

 言われるがまま身体を起こすと、懐かしいような匂いが鼻をくすぐる。俺はテーブルに目を向けると、そこには食べ掛けのカップラーメンが置かれていた。そのカップラーメンは俺がかつて買い置きしていたものである。


「サキ、このカップラーメン……」

「いつも私が朝のエネルギー供給として摂取しているの。どうせ今後タスクが食べる事は無いのだし、勿体無いから」

「カップラーメンからバイオ燃料って生み出せんの?」

「ええ。私のようなクローンには人が食べられるモノなら何でもバイオ燃料に変換する機能が備わっているから、どんなに世界が荒廃しても生きていけるの」


 そんな機能が備わっているなんて……10年後の技術すごいな。いや、それだけ本気を出さなければいけないくらい10年後の世界情勢が切羽詰まっているという事か。

 そりゃ少子化問題解決する為に法律すら変えてしまうのだから当然といえば当然か……いやそれで納得出来てしまう世界ってどうなんだよ本当に。


「便利だな」

「タスクのような人間が不便すぎるだけよ。そんな事より、来たわよ」


 サキの言う“来た”というのは恐らく今日から居候する水希の事だろう。昨日の夜、“水希が来たら起こす”と言われていたが……幾ら休日とはいえ俺はそんなに起きるのが遅い訳ではない。そう思い時間を確認するべくスマホを取り出すと、表示された時刻は午前9時頃。


「——早過ぎないか?」

「ええ、かなり早いわね」

「まぁ来たんなら仕方ない、行ってくる」


 俺は瞼が重くまだ眠気が残っていながらも、ベッドから降りて水希の待っているであろう玄関まで向かう。そして恐らく2度目であろうインターホンを鳴らされ、俺は急かされながらも玄関を開ける。

 ——そこには、眼鏡をかけた黒髪ショートヘアで胸の大きい、スーツケースを引っ提げてこれから都会にでも出掛けるかのようなカジュアルな服装をした美少女が立っていた。


「よっ、たす兄ひさしぶりだなっ!」

「…………」

「ど、どうしたんだたす兄? そんな固まっちまってよ……?」


 そんな眼鏡美少女は俺の顔を覗き込んで困惑する。

 ——幾ら俺が中学生以来会っていないとはいえ、水希ってこんな感じだったっけ。俺の知ってる水希は眼鏡なんてかけてなくて、服装も適当で、オシャレには疎かったはず。おまけに胸でっかくなってるし。


「——お前随分変わったな」

「そうか? 逆にたす兄はあんま変わんねーな!」

「大体眼鏡なんてかけてなかったろ」

「あぁいや、これ言うのすっげー恥ずいんだけど……スマホの見過ぎで視力悪くなっちまってな、オレに眼鏡とか似合ってねーよな!」


 水希は照れくさそうに顔を赤くしながらも、愛想笑いを見せる。


「そうか?案外似合ってると思うぞ」

「へへっ、オレ達の仲なんだからお世辞なんかいいんだぜ? あのさ、さみぃからそろそろ上がって良いか?」

「ああ、いいぞ。まぁ上がっても何も付けてないから結局寒いけど」

「んじゃお邪魔しまーす」


 水希は寒そうに身体を震わせながら、俺の家へと入っていった。図々しいように見えるが、何気ない動作で脱いだ靴をちゃんと揃えていたのを見る感じ、やっぱり教養はしっかりしているようだ。

 ——しかし、寮生活の手続きが出来てなくてここに来るというのはわかるとして……何で今日からなんだ? まだ2月だし、寮にはまだ泊まらないはずだが。

 そんな事を考えながら、水希の背後についていくように廊下を歩いていると、リビングに入った直後に水希が足を止めた。


「どうした?」

「……たす兄、結婚してたのか?」


 水希は小さな声でそんな突拍子もない事を言ってきた。


「は? 結婚なんかする訳無いだろ」

「じゃああの女の人誰だよ……!? 妻じゃないなら何なんだよぉ…!?」

「全部聞こえているわよ」

「ひぃっ!?」


 俺達に背を向けたままそう告げるサキに、水希は驚いたような怯えるような声を出す。

 そういえばサキの事は一切説明してなかったな……それに、一切交流が無い人からすれば、サキの第一印象は“怖い”だろうし。


「はじめまして。私はサキよ」

「えっ、あ……初めまして。オレっ、あ、いや……私は、水……希」


 サキは振り返って軽く自己紹介をするが、何処となく敵意を向けているオーラを漂わせており、それに気付いているのか水希はしどろもどろになりながらも自己紹介をする。


「無理に畏まらなくていいわ。貴女の喋りやすい口調で構わないから」

「じゃあ、遠慮なく……オレは、水希。これから、ほんの少しの間、居候する事になったから……よっ、よろしく!」


 まるで緊張しているようにも見える水希は口調を戻して改めて自己紹介をすると、握手を求めて手を差し出した。


「ええ、よろしく」


 サキは素直に差し出された手を握り、水希と握手を交わした……が、その力をわざと強くしているのか水希が離そうとしても離れる事はなかった。


「えっ、ちょ……」

「一つ勘違いしないで貰いたいのだけれど」

「な、何だよ……?」

「——私はタスクの妻ではないわ」

「そ、そんなのわかってるよ! でも、だったらアンタはたす兄の何なんだよ?」


 水希は手を掴まれながら、どさくさ紛れに俺ですら気になる事をサキに問う。俺にではなく、サキに問うとはナイスだ……本人の口からはなんて返ってくるんだろうか。

 まぁ沈黙を貫かれる可能性も大いにあるが。


「そうね……私は、タスクのとでも思っておけば良いわ。主従関係というものね」


 サキは不敵に笑いながらそう答える。まるでそう告げて水希の困惑する姿を見たいかのように。

 恐らくあの表情からして冗談だとは思うが、それでもまさかサキの口から“俺との関係は主従関係”という言葉が出るとは思わなかった。だが確かにそれ以外で今の俺とサキの関係にぴったりな言い表し方は無い。まぁ正確には主従関係というよりサキが一方的に奉仕している感じだが。


「し、主従関係……メイド……って事は、その、あんな事やこんな事……」


 だが初対面という事もあってか、サキの冗談を冗談だと見抜けずに真に受けて水希は顔を赤くする。

 ——いやちょっと待て、“主従関係”と“メイド”って単語でどうして卑猥な想像をする?


「ええそうよ。私が同棲するようになってから、色々な事シてあげてるのよ……ね、タスク?」


 そう言って、サキは俺に目線を送る。その表情は何処となく楽しそうで、凄く悪い顔をしていた。水希が思い通りのリアクションをしてくれて嬉しいのだろう。

 しかしまぁサキも言葉が巧みだ。本人の誤解釈で意味が違って聞こえるというだけであって、言っている事自体は何も間違っていないのだ。サキがこの家に来てからは確かに色々な事をしてもらっている——主に家事全般を。


「なっ、そんなの駄目だぞたす兄っ! いや、否定はしねーけど……そういう事は、ちゃんと結婚してからっつーかさ……な!?」

「——はぁ……そろそろ意地悪はやめたらどうだ、サキ」


 この歳では珍しく純粋無垢(?)な水希がなんだか可哀想に思えてきて、俺はため息を吐いてサキにそう言う。


「あら、何も間違った事は言っていないけれど?」

「そりゃそうだけどさ……」

「そもそも“主従関係”と“メイド”という単語で卑猥な妄想をする方がおかしいと思うのだけれど?」

「……」


 俺は何も言い返せず、そのまま黙り込んだ。何せ今さっきまで思ってた事と一言一句同じな訳だし。


「うぅ……たす兄ぃ……」

「——はぁ、タスクってノリ悪いのね。友人が少ないのも納得出来るわ」

「最後の一言余計だなオイ」

「え……じゃあ、たす兄はまだ童貞なのか?」


 ようやくサキの悪い冗談だと気付いた水希は、文字通り抱えていた頭を上げて俺を見ながらそう言う。


「いや待て待て、確かにその通りだが何でそうなった?」

「だってたす兄、女と一緒に過ごすの無理そうだし」

「……」


 水希の言葉に“オイそれどういう事だよ”と反発してやりたくなったが、あの純粋無垢だった芽理ですらあんな風に変わってしまったのだ、確かに同い年の女と一緒に過ごすのは無理かもしれないと思い、黙り込んでしまった。


「あら、よくわかってるじゃない。タスクみたいに意気地無しな男、女神のような広い心を持つ私でなければ見限られてるわ」

「それって、やっぱりたす兄の事……」


 水希が何かを言おうとしたその時、風呂が沸いた時に知らせる音がリビングに響き渡り、まるで測ったかのように言葉を遮った。


「——さて、お風呂が沸いたわよ。タスク、入ってきなさい」

「いつの間に……って、こんな朝にか?」

「だって昨日お風呂に入っていないでしょう?」

「あぁ……確かに」


 言われてみれば、俺は昨日夜ご飯のピーマンの肉詰めを食べてから恐らくそのままテーブルで寝落ちしてしまったのだろうが、当然風呂に入った記憶は無い。

 それにもし俺がここで風呂に入れば、水希とサキは同じ空間に居ざるを得ない。これから短い期間ではあるが、共に暮らす仲なのだから交友は深めておかなければ。


「——それじゃ、身体洗うついでにあったまってくるわ」

「えっ! ちょっと待ってくれよたす兄っ、オレとゲームしてくんねーのかよ!?」


 サキと2人きりが嫌なのか、水希は俺を救いを求めるような目で見つめながらそんな事を言ってくる。


「出たら幾らでもしてあげるから……汗臭い奴が隣にいるの嫌だろ」

「むぅっ……わかった。絶対だかんな!」

「ああ」

「着替えは後で持っていってあげるから、直行して大丈夫よ」

「ありがとうサキ」


 俺はサキに感謝を伝えるとそのまま脱衣所に向かって服を脱ぎ、湯船に浸かった。

 いつもと同じ空間で窓もない為朝日が差し込むという訳でも無いにも関わらず、朝風呂は初めてだったから新鮮な気持ちで、中々悪くない。


 ——場合によってはただ気まずい空間に居させるだけになってしまうが……今日はいつもより長めに浸かっておこうっと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る