第10話 最低限と拘り

 俺とサキはバイクで降りしきる雪と風に煽られ、寒い思いをした末になんとか事故せずに帰ってきた。俺の借りている部屋にストーブは無く、エアコンはあるが節約の為に凍え死にそうな時以外は使っていない為、部屋は冷蔵庫のように冷え切っていた。


「うぅうわぁっ……クソ冷てぇ……」


 靴を脱いでリビングに向かおうとするが、蒸れて熱のこもった足で踏む床は氷のように冷たかった。


「はぁ……情けないわねタスク。過度の節約で身を滅ぼすなんて本末転倒じゃない」


 サキはため息を吐きながら、冷たさに悶える俺の隣を何も感じていないかのようにすました表情で通り過ぎ、リビングへと向かった。

 恐らくサキもこの家を出る時、こうなる事はわかっていたのだろうが……俺の節約心を尊重して敢えて何もしなかったのだろう。


「仕方ねーだろ、俺は金が無いんだからさぁっ……あぁヤバいマジで」

「——そこで立ち止まっていたら一生寒いままだと思うのだけれど。頑張ってこちらに来なさい」


 サキは俺を一切助けようとはせず、寧ろこちらには目も向けずそう言い放つ。

 俺は凍えそうになりながらも、サキの言う通りここで立ち止まっていても寒い事に変わりはないので力を振り絞って足を一本踏み出した——その時、ポケットの中のスマホが振動を始めた。


「んだよこんな時に……!」

「恐らく電話ね、早く出なさい」

「はぁ……もしもし!!」


 俺は内心腹を立てながら、通話主を確認せず“今掛けてくんな”という思いが乗った声で電話に応える。


『——ワタシ、メリーさん。今、あなたの』


 俺は何も言わず通話を切った。あのまま聞いていたらこんなイタズラ電話してきた輩(しかも女)に本気でブチギレそうであったからだ。

 そしてすぐに再び電話が掛かってくる。恐らく同じ人物からだろう……2度目は確信犯だ、声を聞いた瞬間思い切りブチギレてやろう。


『——おい! 急に……』

「テメェこのヤローこんなクソ寒い中イタズラ電話なんかくだらねぇ事してきやがって誰に番号聞いたんだあぁんさっさと吐けこのストーカーメリーさんがよぉ!?」

『…………』


 俺は内に秘めたる怒りを乗せて口から吐き出す。まだ吐き足りないが、電話に出て早々に罵詈雑言を浴びせられて困惑しているのか精神ダメージを負ったのか、電話の向こうの相手は沈黙した。


「どうした、何か言ってみろ」

『——久々に話せるって思ったのに……酷ぇよ、たすにい


 電話の向こうの女の声はどこか悲しげで震えており、今にも泣きそうであった。女だからって何しても許される訳じゃねぇぞ……なんて思ったが、女なのに男のような口調に俺を“たす兄”というチンピラじみた呼び方をする人間に、心当たりがあった。


「“たす兄”って……まさかお前、水希か!?」

『はぁ、良かった……オレの事憶えてくれてたんだな』


 俺の反応に、電話の向こうの女の声——水希は安心したようなため息混じりの声を出した。


 ——丹下たんげ水希みずき

 母親の勤め先の同僚の娘で、俺とは1歳差だが早生まれだった気がするので今は17〜8歳くらいか。

 初めて会ったのは俺が小6の時に母親の社内旅行について行った時だ。水希も親の付き添いで来たらしく、緊張しているようだったので子供勢では最年長だった俺が積極的に関わった結果、妙に好かれてしまったのだ。

 それから度々交流があったが、俺の高校入学をキッカケに会う機会は全く無くなってしまった。


「久しぶりだな水希、元気にしてたか?」

『当たり前だろ! じゃなきゃ、こうして電話してねーだろ?』

「確かにな……それで、俺に何か用?」

『あぁそうだった。あのさ、オレ実は専門校に受かって通う事になったんだけどよ……これから寮で暮らすつもりが、向こうが手続きミスっちまったみたいで』


 俺はここら辺で水希の要件が何かをわかってしまって、思わず相槌を打つのを忘れてしまった。

 実はこの近くには専門学校があり、俺のアパートとは逆の方向にその専門学校の寮がある。そして水希は専門校に受かり寮から通う予定“だった”、そして向こう側で手続きにミスが生じ、俺に電話してきた……。

 ——ここまで条件が揃えば、どんな脳筋バカでもわかる。


「まさか……」

『悪ぃんだけどさ、明日からたす兄んちに居候させてくんない?』

「…………」


 ——予想通りだった。


『あ、いや!! 専門校に通う間じゃなくて、寮の手続きが正式に住むまでの間!! な?!』


 俺が沈黙した事に機嫌を損ねたと勘違いしたのか、水希は居候の期間を言ってきた。


「……寮の手続きってどんくらい掛かるんだ?」

『え、うーん……多分長くても2〜3週間くらいじゃねーかな』

「まぁそんくらいならいいか」

『マジで!?』

「ああ、久々に水希の顔見たいしな」

『よっしゃぁああ!! ありがとたす兄! あ、ゲーム機ある?』

「無いしテレビも無いぞ」

『んじゃ持ち運びできるタイプのゲームとその充電器持ってくわ、いい?』

「好きにしな」

『よしっ、じゃあ明日からヨロだぞ! じゃーな!』


 水希は電話越しでも喜びが伝わってくるような声でそう言うと電話を切る。そういえば何で俺の電話番号知ってたんだろうか……まぁいいや。

 俺は足が取れそうなほど寒い事を思い出すと、駆け出してリビングに向かい、ベッドに飛び込んだ。が、ベッドも冷えており、俺はキッチンで料理しているサキに駆け寄る。


「何作ってんだ?」

「ピーマンの肉詰めよ」

「この時期にピーマンって売ってんの?」

「サイズは小さいけれどあるわよ。というか売ってなければここに無いでしょう? そんな事もわからないのかしら」


 確かにサキの言う通り、目の前には赤ちゃんの握り拳程度の大きさ(物によってはそれよりも小さい)のピーマンとそれに見合った量の挽肉があった。


「これに限っては目の前にあるから言い返す言葉も無いな……あ、そういえば」

「——さっき電話してた女、誰かしら?」


 俺は水希が明日からここでしばらく居候する話を切り出そうとすると、サキが機嫌が悪そうな低い声で電話の相手について聞いてきた。

 スピーカーモードにしていない上に俺自身も“水希”という名前は出したが男でもミズキという名前は居る。更に玄関からリビングまで割と距離があるし、余程の地獄耳でもなければ聞こえないはずだが……何で相手が女だって事わかったんだ?


「ああ、水希っていう親絡みの知り合いだ。明日からここに居候するんだってさ」

「明日? それは随分急ね」

「本当だよ、だからこれから食費が1人分増えるけど……良いか?」

「ダメ」


 サキは俺の頼みを即否定する。


「いや、水希だって望んで居候する訳じゃないんだ、本来は」

「仕方ないわね」


 サキは食い気味にそう言い、呆れたようなため息を吐いた。


「えっ?」

「私はそんなに融通の効かない女ではないし、タスクが他の女と関わっていようと何も感じないし、それに——もし仮に嫌だと言っても、その女は来るんでしょう?」

「まぁ、な」

「……はぁ、結局どう足掻いても私の意見なんて通らないのよ。全部タスクが決めて、勝手に動いて」


 サキは愚痴のような文句のような事を呟く。しかしその表情は悲しげで……恐らく、未来での俺と現在イマの俺を重ねているのだろう。

 ——俺が“全部決めて、勝手に動いて”……か。未来の俺は、まるで一昔前の正義感溢れるゆえに時に違反を犯す正統派主人公みたいだな。


「……ごめんな」

「別に謝罪なんて求めてないのだけれど」

「そうだが、結果的に俺はサキを悲しませたんだろ」

「そう思うのなら生きようとして。謝罪も感謝も求めていないから……ただ生きたいと思って」

「……」


 俺は素直に頷く事が出来ず、ただ黙り込む事しか出来なかった。

 サキと共に暮らすようになって、確かに少しずつ……少しずつ生活は良い方向に向かっている。だが、だからといって“生きるの楽しい!”とか“死にたくない!”とか思えるようにはならないのだ。

 ——多分、この世界のルールが変わらない限り、俺は生きる事に拘る事は無いだろう。


「どうして頷いてくれないのかしら。嘘でも良いから頷いて」

「まぁ少なくとも、もうサキと暮らす前の生活には戻れないかもな……」

「——当たり前じゃない。今のタスクに足りないものを私が供給してあげているのだから……例えるなら、組み立てただけのプラモデルを塗装しているようなものね」


 サキの言い分から察すると、俺がプラモデルでサキがモデラーなのだろう。最近は組み立てるだけ……いわゆる“素組み”でも十分だが、それでも拘る人にとって足りない箇所というのはある。それを補うのが塗装だ。

 確かに、俺はただ生きているだけで“生きる事”にこだわりはない。だがサキはそんな俺を“生かす”為にあれこれしている。


 ——言い得て妙、だな。

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