第9話 俺の名前

 帰りのバスは、いつにも増して静かなような気がした。相変わらず俺の隣には咲希先輩が座っているが、珍しくその口を閉ざしている。

 ——少し前、告白されたのだ。断ったとはいえ、その場に相手の男が居ないとはいえ……少なからず罪悪感にでも苛まれているのだろうか。


 “だって……たすくんは、私の弟だから”


 咲希先輩が相手の男を振った時に告げた意味不明な言葉。普段と違って咲希先輩が喋らなくて静かなせいで、余計にその言葉が頭から離れない。

 もちろん俺は咲希先輩とは血も繋がっていなければ、親戚という訳でもない……そもそも、この職場に来るまで会った事も無い。当然、生き別れの姉が居るという話も聞いた事はない。


「あの、先輩」

「ん? どーしたのたすくん」

「——俺が弟って……どういう事ですか」


 俺は勇気を出して聞いてみることにした。

 どんなにタブーを犯す行為であったとしても、血縁関係に関わる事なので聞かざるを得ない。


「……もしかして、あれ見てた?」

「……はい、すいません。盗み聞きするつもりは無かったんですけど」

「そっかぁ。聞いてたんだ」

「もしかして、俺は……咲希先輩の生き別れの弟、なんですか」

「——あっはははははは!!」


 俺の問いに、咲希先輩は大爆笑する。その笑い声はバス内に響き渡り、他の乗客からお世辞にも良いとは言えない視線を向けられた。


「何笑ってんですか……」

「あれはって事だよ! あーもう……本気にしてたの?」


 俺は内心胸を撫で下ろすと、咲希先輩はまるでそんな心を見透かすように顔を覗き込んでくる。


「いや、あんなマジトーンで言われたらちょっとは疑いますよ」

「まぁ、たすくんが弟だったら多分楽しいんだろうなぁ」


 そんな戯言を言いながら、咲希先輩は降車ボタンを押す。


「え、引っ越したんですか」

「いや、たすくんの家ってここら辺でしょ?」


 そう言われ、俺は窓の外を眺めると、いつの間にか俺が降車ボタンを押すタイミングに通る道まで走ってきていた。


「あ……そうだったんですか」

「なぁに、もっと私と居たいの?」

「いやそういう訳じゃないですけど」

「なぁんだ……こっちは全然良いのに」


 食い気味に告げた俺の返答が気に食わなかったのか、咲希先輩は露骨に悲しげな表情をしてそう呟いた。


「……いつも思うんですけど、俺と関わってて楽しいですか」

「何でそんな事聞くの?」

「俺って、返答は“そうですか”だけですし、自分から話す事はあまり無いですし……関わってて何も楽しくないと思うんです」

「ふぅん……」

「なのにどうして、先輩は俺をそんなに……えと、その……可愛がってくれるんですか」


 そう聞いた途端、まるで測ったかのようなタイミングでバスが停車した。


「——残念、もっと早ければ答えを聞けたかもね。それとも答えを聞くために私の家まで行く?」

「……いや、帰ります。明日は俺、仕事入ってないんで」

「そっかぁ……わかった。じゃあまたね」

「はい、お疲れ様です」


 俺は少し納得がいかなかったが、それを口には出さずバスを降りていった。バス内がヒーターをガンガンにかけていたからか外はとても寒く、温度差に思わず身体をブルブルと振るわせる。

 そんな凍えそうなほど寒い中、俺は家に帰るべく歩き出す。その時、うるさいエンジン音が近付いてくるのを感じて振り返ると、その直後に俺の真横にバイクが止まった。


「——迎えに来たわよ」

「サキ!? このバイクは……!」

「いいから早く乗りなさい。警察のお世話になりたいのかしら」

「え?」

「——バス停から10メートル以内の駐停車は禁止、でしょう? 教習所で習わなかったのかしら?」

「ああ……そういう事か」


 俺は納得して、いつの間にか差し出されていたヘルメットを受け取り、後部座席に座ってサキにしがみついた。

 ——まさか優に言った事をサキに言われるとは。


「気持ち悪いからくっ付かないでもらえるかしら」

「じゃあ何にしがみついてりゃいいんだよ」

「そもそも大前提として後部座席に乗る事が間違いなのよ。ロープで繋いであげるから、けん引されるがいいわ」

「引き摺られて死ねってか!?」

「——別に死んでも悔いは無いのでしょう?安心して、死亡保険金は私が貰って有意義に使ってあげるから」

「死んでも悔いは無いとは言ったが、だからって殺すのは違うだろ!」

「あら、私の面白いジョークに気付けず本気で“死にたい”とかほざいていたのは何処の誰かしら?」

「ぐっ…とにかく早く動いた方が良いぞ、警察のお世話になりたくなけりゃな」

「そうね」


 サキは頷くと、俺が身体にしがみついたままバイクを走らせた。バイクで直に冷たい風を浴びる上、俺はライダースーツも着ていない為とてつもなく寒い。


「いい加減離れてくれるかしら」

「——寒い」

「は?」

「俺はライダースーツなんて着てないから寒い!だから、サキのあったかい身体にしがみつく!」

「貴方、今自分が驚くほど気持ち悪い事を言っている自覚はあるかしら?」

「——たすくだ」

「急に貴方の名前を告げられても困るのだけれど」

「“貴方”じゃねぇ、俺には侑っていう名前があんだよ……俺だけが名前で呼ぶの、不公平じゃねぇか」

「——それもそうね、タスク」


 ヘルメットで表情はわからなかったが、声色でわかる——確かに、サキは嬉しそうに俺の名を告げた。

 てっきり“そんな穢らわしい名前、呼ぶわけないじゃない”くらい言われるもんだと思っていたから、少し意外だった。


「……あ」


 サキにしがみつきながらバイクに乗って走っていたその時、漆黒の夜空から純白の雪が降り、照明が反射して変哲も無い街並みを幻想的な風景へと変える。まるで、俺達の言葉の無い仲直りを祝福するかのように。

 ——そういえば今朝、サキに“雪が降る”って言われてたっけ。


「あら、これじゃ滑って事故をしてしまうかもしれないわね」

「雰囲気を壊すようなネガティブ発言やめないか……?」

「——少しくらい、私を信頼してくれてもいいんじゃないかしら」

「どうだろうな。サキならわざと事故って俺を殺しかねないからな」

「そんな無駄な事する訳ないじゃない、だって私は」

「——俺の為に未来から来た、そうだろ」


 俺はサキに対する疑問の結論を告げる。


「あら、随分自意識過剰な返答ね」

「ずっと疑問に思ってた。何の利益も無いのに……毒を吐いてくるくせに、何だかんだ朝起こしてくれたり、俺の朝ごはん作ってくれたり、こうやって迎えに来てくれたり、夜ご飯作ってくれたり、食べた後すぐ横になる俺を気にかけてくれたり」

「……よく見てるのね、タスクのくせに」

「未来の俺は、ロクな死に方しなかったんだろ。んで過去に来てみれば、別に死んでも構わないとかほざく……だからサキは俺が普通の人として生き、そして“生きたい”と心から言えるように——未来を変えに来たんだろ」


 俺は自分なりに考えて出した結論をサキに述べる。

 サキに言われた通り我ながら自意識過剰だと思うし、これで間違っていたら滅茶苦茶恥ずかしいのだが。


「……9割正解ね。タスクが“生きたい”と心から言えるように、という点に関してはこの時代に来てみっともないタスクを見てからよ」


 サキは運転に集中しながらそう言う。

 どちらにせよあまり変わらないんじゃないか、と思ったが……これは彼女のプライドによる細やかな抵抗なのだろう。


「そうかよ」

「だから……死を願わないで。どんな運命を背負おうが、タスクはただの人間よ」

「運命って、大袈裟だな」

「そう、大袈裟で良いの。現実にさえならなければ……それで」


 サキは運転しながらも、どこか悲しげにそう呟いた。

 俺は10年後の未来で、普通の人とは違うまともではない日々を運命というヤツによって強要されるらしい。そこからどんな過程かはわからないが、最終的には……死ぬらしい。

 恐らくサキは、そんな俺の一部始終を全て目の前で起こる“現実”として見てきたのだろう。


「ねぇ、タスク」

「何だ?」

「——ううん、何でもない……ただ呼んだだけ」

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