第5話 幼馴染との因縁
バスが自分の住むアパートの近くまで来た頃、俺は降車ボタンを押すため手を伸ばそうとしたが、肩には可愛らしい寝息を出しながら眠る先輩の顔があった。
このままボタンを押すために手を伸ばせば、今保たれている絶妙なバランスが崩れて先輩を起こしてしまうかもしれない。
そこで俺は、肩を揺らして起こす事を試みる。疲れているのだから無理に起こすのは気が引けるが、まぁバスの揺れだと誤魔化せばいいだろう。
「痛っ……」
「——あ、すいません……バスが揺れて」
バスの揺れ(嘘)によって俺の肩にこめかみをぶつけ、咲希先輩は目を覚ました。ただ当然良いとはいえない目覚めだからかその表情は少し気分が悪そうだった。
「あ……ごめんね、たすくんの肩借りちゃってた」
咲希先輩は俺にそう謝ると、ゆっくりと起き上がって俺の肩から顔を離していった。
「気にしないでください。俺もそろそろ降りるので寧ろ丁度良かったっていうか」
「……降りちゃうの?」
「はい」
「……っ」
俺の返答が少し気に食わなかったのか、咲希先輩はずっと握っていた俺の手を更に強くぎゅっと握った。
——ていうか、あれからずっと先輩の手を握ってたのか俺。割と冗談抜きに忘れてた。
「なんですか」
「あっ……あのさ……たすくん」
「はい」
「——今日だけでも良いから、私の家に泊まらない……?」
「なんでですか」
「ほら、あのたすくんの幼馴染……あの感じだと多分家まで来ると思う。用が無い限り、たすくんが逃げた時あんな必死で追いかけてこないよ」
俺は顔も見たくなかったから逃げるのに夢中で見ていなかったが、どうやら咲希先輩曰くアイツは単に俺と偶然再会したから声を掛けてきたという訳では無いみたいだ。
——あんな事しておいて、何食わぬ顔で現れて用事があるっていくらなんでも図々し過ぎるだろ。
「でね、たすくんはあの人の顔も見たくないでしょ? だったら私の家に来た方が安心できると思うの……私も一人暮らしだし、幾らでも匿ってあげるよ?」
咲希先輩の提案は、俺の頭を悩ませた。
アイツの顔は確かに見たくないし、もし仮に先輩の言う通り俺の家まで追ってきているのなら今日だけでも先輩の家で匿ってもらった方が良いのかもしれない。
だがこれはあくまで俺とアイツとの揉め事であって、先輩を巻き込みたくない——これは社交辞令ではなく普通に人として。それに家にはサキが居るし、他人の家に泊まるなんて言い出したらなんて言うか……いやまぁこれはどうでもいいのだが。
「……」
——俺は無言で、降車ボタンを押した。
「な、なんで……?!」
「……流石に先輩を巻き込む訳にはいきませんから」
「全然巻き込んで良いんだよ?! さっきも言ったよね、私はどんな時でもたすくんの味方だって!」
「巻き込む云々は建前で、実際はアイツとケリをつける良い機会だって思ったんです」
「——そっか」
咲希先輩は俺の返答を尊重してくれたのか、納得したように頷くと優しく俺の手を離した。
何だかラスボスとの決戦前夜みたいな雰囲気になっているが、単に過去の因縁と決別するだけである……いや、文字にすると尚更“それっぽさ”が凄いな。
「守るだけじゃないもんね……」
「何か言いましたか」
「ううん、気にしないで。でも一つだけ約束して」
「なんですか」
「——絶対に、相手を傷付けないで。身体的な意味でも精神的な意味でも」
いつもと違う眼差しで俺を見つめながら咲希先輩がそう言う。そんなタイミングでバスが停車して扉が開き、俺は立ち上がって下車しようとする。
「絶対守ってね!?」
「……善処します。じゃあお疲れ様です」
「うん、じゃあまた明日ね」
俺は咲希先輩と互いに別れを告げると、バスを降りていった。
乗っていたバスが発車した直後、その後ろに停車していた車から1人の男——例の幼馴染が出てきた。辺りは暗いが、バス停の照明がヤツの気まずそうな表情を淡く照らす。
「——バス停から前後10メートルは駐停車禁止だぞ、教習所で習わなかったのか」
「かといって、歩くお前を車で追う訳にもいかないだろ」
「そうやって他人のせいにして自分を正当化するのか?」
「そういう訳じゃ……まぁいい、とりあえず一旦車に乗ってくれ。移動するから」
「——ああ」
俺は幼馴染に言われるがまま、そいつが乗ってきた車の助手席に乗り込んだ。車の中は外に比べて温かいにも関わらず、雰囲気は幼馴染同士の空間とは思えないほど冷め切っていた。
幼馴染が乗ってきた車種は車に詳しくない俺でもわかる…少なくとも俺達の歳では絶対に買う事なんて出来ない程の高級車だ。
——まぁどうせ、父親のお下がりか買ってもらったのだろう。
コイツの名前は
「なぁ侑、まだあの件で怒って……るよなぁ」
自分の車を走らせながら優は、腕を組んで一切目を合わせない俺を見たのかそう言う。
「——芽理とはまだ仲良くやってるか」
俺は優にそんな疑問を問う。
「最近は向こうが冷めてきてる感は否めないな……」
「そうか、やっぱりな」
「——てっきり大笑いして馬鹿にしてくるかと思ったよ」
「まぁなんとなく予想はついてたからな……芽理の方が冷めるって」
「なんで?」
「女ってのは承認欲求の塊で、1人からの愛で満足出来るような生き物じゃねーの。ましてや大学生なんて、青春とかほざいて男と遊んでいたい年頃なんだよ」
俺は窓の外を眺めながら、半ば偏見混じりな理論を優に語る。別に色んな経験を経てそう言った結論に至った訳ではないが、過去に誰かに思いを寄せていた俺だからこそわかる。あの時の俺は……ずっとその人が好きだった。その人の事しか考えられないという程では無かったにしろ、“もしあの子と2人きりで……”なんて妄想は沢山した。だから自分を通して感じたのだ、女よりも男の方がよっぽど一途で純粋なのだと。
それに優は他人優先な性格だ。コイツの場合、優先順位が適当だから自分だけを特別扱いしてほしい女と一緒に居るには相性が悪い。
「なんか、変わったな……侑」
「変えたのはお前らだけどな」
「あれは……本当にごめん」
俺が優と芽理と絶交するキッカケとなった“あの出来事”について、今更ながら優は運転中にも関わらず俺に向けて頭を下げてきた。
もちろん今更謝られても許す気は毛頭無いが……本音を言うと、優も芽理も全然悪くなくて、ただ俺が一方的に裏切られた気分になってるだけなのだという事はわかっているのだ。
——だからと言って、心に負った傷を誤魔化せる訳じゃない。
「……正直言うとさ、仕方ない事だってわかってんだよ」
「え?」
俺と優の間で起こった揉め事…簡単に言うと、芽理を巡る恋愛事情だ。俺は思春期を迎えた時くらいから芽理に思いを寄せていて、唯一信頼出来る優に度々相談してた。色々アドバイスをくれたが、そんな優は既に芽理と付き合っていたのだ。
それを知ったのは、3人で優の家に集まってゲームしてた時だった。俺がトイレから戻ってきた時、芽理と優がキスしているところをドアの隙間から見てしまったのだ。その時は湧き出る感情を堪え、見ていないフリをして乗り切ったが…あれだけ相談に乗ってアドバイスまでしてくれていた優に騙されていたという気持ちと、あんなにアプローチしたのに芽理の思いが向いていたのは優だったという虚しさ、そして…俺が居なくなった所でそういう行為を厭わない“愛”というヤツの気持ち悪さに、当時は冷静を保ってなんて居られなかったのだ。
当然俺は自暴自棄になって、その感情の赴くままに行動して、優と芽理と絶交したのだ。
「俺が芽理の事が好きだって事を知った時、お前は既に芽理と付き合ってた……でも勇気が無くて言い出せなかったんだろ」
「……」
「言い出せないまま俺の恋愛相談に乗っていく内に、余計に言い出せなくなっていった……そうだろ」
「……ああ」
「——謝るのは、俺の方なんだよな……」
俺は窓の外を眺めながら、不意にそんな事を呟く。
そりゃそうだ。今にして考えれば、優はどんな形であれ俺の事を思って黙ってくれていたのだ。いくら感情が先走っていたとはいえ、絶交だなんてちょっと理不尽だった気もする。
「……俺さ、ただ侑に会いにきた訳じゃないんだ」
「そういえばそうみたいだな……要件は?」
「——単刀直入に言う、侑の職場に就職させてくれないか」
「断る」
俺は優からの頼みを食い気味で切り捨てる。ぶっちゃけどんな内容でも断るつもりだったが……それと同時にある疑問が浮かんだ。
「だよなぁ……」
「てかお前大学生だろ。それに俺の職場に就職するほど金に困ってねえだろ」
「それが……親父の会社、不正が発覚したとかなんとかで差し押さえられちゃったんだよ」
「……そうか」
俺は再び窓の外を眺めて、ただ頷いた。
それに断ったのも、俺が奇跡的に入社出来たからであってあの職場は基本的に男性は落とされるからというのもある。まぁ優のビジュアルならワンチャン受かりそうだが。
しかし優の父親の会社が潰れた……か。
——なるほど、道理で芽理が冷めた訳だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます