第3話 サキ/咲希との朝

「……ほら、起きて頂戴。もう朝よ?」


 意識が朦朧とする中、透き通った綺麗な声が聞こえてくる。

 あと数時間は寝れる程の眠気を振り払って重い瞼を徐々に開けていくと、俺の目線の先には目の保養になる程の美女——サキがこちらの顔を覗いていた。


「おはよう、浮腫むくみで他人には見せられないくらい酷い顔ね」

「そうか……よいしょ」


 目が覚めて早々にそんな事をサキから告げられる。おい誰だ目の保養とか言った奴。

 俺は適当に相槌を打つと、起き上がって時間を確認する。時刻は7時半頃……普段俺が起きる時間と殆ど同じだ。俺が住んでいるアパートから職場までは大体車で30分程度の距離で、大体9時頃までに行けば問題無い。


「あ、朝ごはんならもう出来てるわよ。冷めないうちにさっさと召し上がって頂戴」


 隣に座るサキにそう言われ、俺は視線をテーブルの方に移す。するとそこには、白米と目玉焼き、そしてコップに入ったお茶が並べられていた。


「なぁ、これって」

「私のお金だから安心しなさい」

「そうか……いただきます」


 テーブルに並べられた物達がサキの自費だという事を確認すると、俺は箸を取ってそれらを口に頬張り始める。

 ——ふと、部屋の片隅にある袋に目が向いた。その中には白い粒がたくさん詰まっており、それが米だという事はすぐわかった。


「……これ、炊いたのか」

「ええ。炊飯器が無かったから電子レンジで炊いたのだけれど……その、どうかしら?」

「まず電子レンジで米って炊けるんだな」

「味を聞いているのだけれど」

「え、あ、あぁ……美味いよ」

「そう。良かった……」


 サキは安心したのか安堵のため息を吐いて少し微笑んだ……が、俺からの視線に気付くと顔を背けた後、腕を組み無表情で俺を見つめ返す。


「……何かしら。見惚れるほど私の顔が美しいのはわかっているけれど、そんな気持ち悪い視線を向けないでもらえるかしら」

「へい」


 まるで変面のように瞬時に顔を切り替えるサキに適当な相槌を打ちながら、朝ご飯を食べ進める。

 ——にしても、本当に美味しい。


「一つ聞きたいのだけれど」

「何だ」

「貴方、今までカップラーメンと冷凍食品しか食べてこなかったって言ってたわよね」

「ああ」


 実際にその通りなので普通に頷いたが、サキに言ったっけ……また未来の俺がサキに言ってたってパターンか、と脳内補完しておこう。


「どうしてそんな栄養価の低いどころか、自分の身を滅ぼすようなものしか食べないのかしら」

「……健康に気を使うと金掛かるんだよ」

「冷凍食品とかカップラーメンの方がお金が掛かると思うのだけれど……というかそこまで余裕が無いのなら一人暮らしなんて無理に背伸びしないで実家で暮らせば」

「——家族が嫌いなんだよ」


 俺はサキの言葉に食い気味でそう告げる。

 家族が嫌いだと言うと大体“育ててくれた親に〜”とか思われるかもしれないが、勝手にヤッて勝手に産んだくせに何が“育ててやった”だよって思ってしまうのだ。

 ——あんな狂った家庭見せられて“結婚”とかふざけてる。


「っ…………」

「……美味かったよ、ご馳走様」


 そんなタイミングで朝ごはんを平らげたので、俺は黙り込んでしまったサキに向けてそう言い、椅子と兼用しているベッドから立ち上がって会社へ向かう準備を始める。

 ——サキが毒を吐くどころか何も言ってこなかった事が、少し意外だった。


「ふぅ……因みに言っておくけれど、バスは8時25分発よ」


 気まずい空気だからか気持ちを切り替えるべく深呼吸をした後、サキは俺に向けてそう告げる。

 ——そうか。車が無くてこれから暫くバス出勤になるから、バスの時間とか料金とかも気にしなくては行けなくなるのか……自分の車が無いって不便だな、なんて思いつつ職場の制服に着替える。


「ああ」

「バス停は歩いてすぐだし、よっぽどの事をしない限り遅れる心配はなさそうね……まぁそもそもこの私が居るから遅れる事は決して許さないけれど……はい、これ」


 サキはベラベラと喋った後、せっせと出勤の準備を進める俺に交通系ICカードを差し出す。


「作ったのか」

「ええ、それに1ヶ月分のチャージもしておいたから。女神と同等に優しい私に感謝して受け取るといいわ」


 俺はお言葉に甘え、小さく頭を下げてサキの手にあるICカードを受け取る。


「悪いな」

「謝れなんて一言も言ってないのだけれど」

「この時代じゃ感謝と謝罪は同義なんだよ」

「そう……意味のわからない時代ね」

「本当だよ。それじゃちょっと行ってくる」

「ええ、気をつけてね」


 準備を完全に済ませると、俺は家を出て行った。現在の時刻は8時10分頃で、ここからバス停までのんびり歩いていけば丁度バスと鉢合わせるだろう。


 

 あれから少し歩くと、思っていたよりも早くバス停に着いたが……既にバスが止まっていたので俺はそのまま乗車し、サキから貰ったICカードを翳して座席を探す。


「あ、たすくーん!」


 ふと、バス内に俺を呼ぶ可愛らしい声が響く。もう誰かなんてわかっているが、声の方に目を向けると……やはり咲希先輩だった。人が少ないとはいえ、全く居ない訳ではないので少し恥ずかしい。ましてやあの人は俺より歳上だから余計に。

 俺は不本意ながらも急いで先輩の隣に座った。


「ちょ、人が居るんですからやめてくださいよ……恥ずかしいですから」

「えへへ……ごめんね、たすくんが居るのが嬉しくてさ」

「……そうですか」


 咲希先輩は本当に嬉しそうな表情でニヤニヤと微笑む——あざとい。

 そして扉が閉まり、時間より少し早いがバスが発進し始める。早めに着いてて良かったと心から思ったが…同時に“時間通りに動いてないのはどうなんだ”という疑問も浮かんだ。


「あ、そうだ!ねぇたすくん、酔い止めの薬持ってきたんだけど……飲む?」


 そう言って、咲希先輩は手持ちの鞄から酔い止め薬を取り出して俺に差し出す。


「今ですか?」

「安心して! これ飲んですぐ効くタイプだから」

「そうですか……それで、水は?」

「……あ、ごめん……持ってくるの忘れちゃった」

「え……」


 咲希先輩のミスに、俺は思わずそんな声を出してしまう。

 薬って大体水と一緒に飲むよな……ていうか咲希先輩のこういう天然な所というか抜けてるというか、そんな一面初めて見た。普段優しいが、仕事時は真面目にやっているイメージだから。


「じゃあ向こうに着いたら飲も、ね?」

「いや飲む意味無いじゃないですか」

「あそっか……じゃあ帰りの時にね!」

「……そうですね」


 そんな会話をしていると、アトラクションが目立つ遊園地が見えてくる。街の中なので小さい上にそこまで有名という訳ではないが、地域の人達にとっては愛されている昔ながらの施設である。

 俺と咲希先輩はその“葉田中遊園地はたなかゆうえんち”に勤めているのだが、従業員は圧倒的に女性の比率が高い、というか高確率で男性は面接で落とされる。そんな中で男である俺が受かった理由は、俺が面接を受ける日の面接官が咲希先輩だったからで、俺は咲希先輩のコネで入ったようなものなのだ。

 ——まぁ、当時の俺は咲希先輩とは当然交流が無かったから“コネ”というのは少し変だが。


「じゃ、今日も頑張ろうね! たすくん!」


 バスが遊園地の手前で停車したタイミングで、咲希先輩が俺に向けてそんな言葉を掛けてくる。

 ——そういえば、今日は酔わなかったな。


「はい」


 俺は適当に頷いて、咲希先輩と一緒にバスから降りて遊園地……俺からすれば職場へと入っていった。

 まだ開園前だからというのもあり、園内には全く人が居ない。お金も払わず受付を通り過ぎ、誰も居ない遊園地の中を歩くのは謎の優越感というか“やっちゃいけない事をしてる”感があって少しだけワクワクする。

 ——まぁそんな感情も段々と薄れて、当たり前になっていくのだろうが。


「あ、おはようございまーす!」


 オフィスに入ると、既に出勤してきている従業員や社長に向けて咲希先輩が元気な声で挨拶をする。


「おはよう咲希ちゃん! お、昨日に続いて明日河と一緒に出勤か?」


 この職場で咲希先輩を立場的な意味でも年齢的な意味でも唯一“ちゃん付け”で呼べる存在……社長が話しかけてくる。


「そうなんですよ! そういえば聞いてくださいよ、たすくんがバス酔いするから今日酔い止め持ってきたのに、水を忘れちゃったんですよ〜」

「あらー、そりゃ意味ないなぁ。道中平気だったか明日河?」

「あぁはい。ていうか平気じゃなきゃ多分ここに居ないと思います」

「そらそうか、ははは! いや本当に乗り物酔いってどうしようもないからなぁ……辛い時は本当に辛いから気持ちはわかるぞ」


 俺に対してそんな同情するような事を言って、社長は俺の肩にポン、と手を置く。

 この遊園地の代表である社長は、こんな感じで誰に対しても気さくで明るい人だ。本人曰く、出張が多かったり従業員と関わる時間が短い為、関われる時に関わりたいのだそうだ。


「社長、そろそろお時間です」


 ふと、いつの間にか近くにいた秘書が社長に向けてそう言う。


「あら、もうそんな時間か……はぁ、もう出張嫌だ……社長辞めようかな」

「いやいや辞めないでくださいよ!?」

「ははは……冗談だよ咲希ちゃん。俺だって創業者直々に社長という立場を託されたんだから、そんな簡単に辞める訳にはいかないよ…そんじゃ、またねー」

「はい、いってらっしゃいませー!」


 社長は俺達に向けて手を振ると、秘書と共にオフィスの外へと出ていった。社長の出張って毎度思うのだが、どこに行ってるんだろうか?


「……たすくん」

「なんですか」

「社長が私と仲良く話してて、ちょっと嫉妬した?」

「いえ全く」

「なぁんだ……そっかぁ」


 俺の返答が求めていたものではなかったからか、咲希先輩は少しだけ切なげな表情をした。嫉妬も何も、俺にとってどうでもいいから何とも思わなかったのが本音だ。


 ——それに俺はもう、他人との関係は表面上でしか築かない……少なくともそこに感情なんて含まないと決めたんだ。

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