第12話(2) バレンタイン

 昼休みになり、教室がにわかに騒がしくなる。


 私も鞄と保冷バッグを手に、移動をするため席を立つ。


「ん?」


 いつもなら先に立って待っているソフィアちゃんの姿が、今日はそこになかった。


 横を見ると、ソフィアちゃんはまだ自分の席に座ったまま、立ち上がる素振りすら見受けられない。


「ソフィアちゃん」

「え? あぁ、ごめん。ちょっとぼっとしてた」


 思えば、今日のソフィアちゃんはずっとどこかおかしかった。


 どうかしたのだろうか?


「昼ご飯行くよ」

「あ、うん」


 ソフィアちゃんが立ち上がるのを見届けてから、私は出入り口に向かう。


 私が先でソフィアちゃんが後。いつもとは逆の並びだ。


 廊下に出て少し行った所で、ソフィアちゃんを待つ。そして肩を並べて歩き出す。


「日本のバレンタインは、海外から見たら異質って知ってる?」


 歩き始めてすぐ、ソフィアちゃんがふいにそんな事を私に聞いてきた。


「あぁ。欧米だとバレンタインは、むしろ男性から女性に贈り物するんだっけ?」


 日本とはまさに真逆だ。贈り物もチョコレートに限らず、色々な物が贈られるらしい。


 ではなぜ日本では、バレンタインにチョコレートを贈るようになったのか。

 そこにはクリスマスのチキン同様、企業の販売戦略が大きく関わっている。要するに、チョコレートを売りたい企業が、大々的にバレンタインを利用したのだ。それに国民がまんまと乗せられてしまった結果、今の日本独自のバレンタイン文化が生まれたと、そういうわけだ。


 ……凄いな、昔の企業。


「つまり、バレンタインに何か貰ったからと言って、それを女性からの贈り物と決め付けるのは早計そうけいって事」

「あー。朝の箱の話? いや、あれは――」


 と言い掛けて、私は途中で止まる。


 贈り主についてはまだ憶測おくそくに過ぎないし、手紙を開けば少なくとも何かしらの情報は手に入る。なので、今私の予想を話すのは止めておこう。


 別に、このまま何も言わない方が面白そうだなんて事は、これっぽっちも思っていない。いや、ホント、全然。


「というか、男性女性ってそんな重要?」

「誰も重要とは言ってないでしょ。あくまでも、そういう可能性もあるって話で……」

「そっか。まぁ、事象は観測するまで確定しないって言うしね」

「なんの話?」

「猫の話」


 言いながら私は、猫の手よろしくグーにした右手をソフィアちゃんに向けて倒す。


「シュレーディンガー的な?」

「そう。シュレーディンガー的な」


 あちらは猫の生死、こちらは贈り主の正体と、知る事の出来る情報は大きく違うが、開くまで情報を知り得ないという意味では共通している。


「ソフィアちゃんはあるの? 本命チョコ貰った事」

「どうだろう? 本命って言って渡された事はないから、どれが本命でどれが義理かなんて皆目かいもく見当けんとうも付かないわ」

「いや、友チョコならともかく、義理チョコなんて貰う事ある?」


 少なくとも、私は聞いた事がない。


「あるんじゃない? 時と場合によっては」

「時と場合? どんな?」

「さぁー」


 とぼけたように肩をすくめるソフィアちゃん。


 本当に分かっていないのか煙に巻いているだけなのか、残念ながらその表情からは読み取れなかった。


 屋上に続く階段に二人並んで腰を下ろすと、私は鞄から朝机の中に入っていた箱を取り出す。


 そこから二つ折りされた紙を抜き取り、それを開く。


水瀬みなせいおさんへ


 よろしければご賞味しょうみください。


 PS.手作りは抵抗があるかと思い、市販の物にしました。


 水瀬いおを慕う者改め、田辺たなべかおりより』


「やっぱり」


 まぁ、十中八九そうだとは思っていたが、こうして確信が得られて正直少しほっとした。


「何がやっぱり?」

「チョコの贈り主、やっぱり田辺さんだった」

「田辺さん? あぁ……」


 今の反応を見るに、ソフィアちゃんは全くその可能性を考慮に入れていなかったようだ。

 シチュエーションは、あの時にひどく酷似こくじしているというのに。


 箱を開けて中を見る。

 確かに、手紙にある通り、市販の物らしきチョコレートが箱の中には入っていた。


 これは帰ってからいただくとしよう。まだまだ日持ちしそうだし。


 ふたを閉め、箱を鞄の中に戻す。


「ねぇ、いお」

「何?」

「もしこれが本命チョコならどうしてた?」

「どうって……どうもしないけど?」


 質問の意味がよく分からず、私は首をかしげる。


 仮にこれが本命チョコだとして、一体何が変わるというのか。

 そりゃ、知らない人から貰った物の方が食べづらさはあるかもしれないが、おそらくソフィアちゃんが聞きたいのはそういう話ではない、はず。


「それは、相手が男の人でも?」

「?」


 益々ますます意味が分からない。なぜそこに性別が関わってくるのだろう。


「いおも、普通の恋愛に興味あるのかなと思って」

「何それ」

「結局、私達の関係っていつまで経ってもカップルじゃない? 日本じゃ結婚は出来ないし、子供だって……」

「ソフィアちゃん、そんな事考えてたの?」


 なんか、ショックではないが、寂しいものはある。


 その辺の事も全て承知の上で、ソフィアちゃんも付き合っているものだとばかり思っていた。


「いや、私はそれでもいいんだけど、いおはどうなのかなって」

「私、別に女の人が好きってわけじゃないから」

「え? でも……」


 だとしたら、今の関係はなんだという話になる。しかし、そこは私の中で矛盾していない。


「私はソフィアちゃんが好き。女性とか男性とか関係なく。女性だから好きなんじゃない。好きな人が女性だった、ただそれだけの事よ」


 女性である事は、ソフィアちゃんのほんの一面でしかない。


 可愛い、綺麗、運動神経がいい、頭がいい、賢い、スタイルがいい、一見気が強そうだけど実はナイーブ、怖がり、感受性が強い、お茶目ちゃめ、意地っ張り……。

 その全部がソフィアちゃんを形成している一面であり、私の好きなところだ。


「ソフィアちゃん、私はあなたの事が好き。他の誰でもない、あなたが好きなの」

「私も、いおが好き。他の誰でもない、あなたが」


 言葉と視線をまじえ、そしてどちらともなく表情を緩める。


「ごめんなさい。私……」

「ううん。今日話せて良かった」


 思っている事を知らないままでいるより知ってお互いの意見を交わした方が、きっと二人の関係は上手く行く。だから、今日のこれはいい機会だったのだ。


「あ、そうだ。チョコ、今渡しちゃうね」

「え? あ、うん」


 本当はお弁当の後にでも渡すつもりだったが、流れ的に今渡してしまった方がいいだろう。


 保冷バックを開け、中から箱を取り出す。

 その中に入っているのは、ハート型のガトーショコラ。ロールではなく、もちろん一人分のサイズの物だ。


「私の初めての本命チョコ、受け取ってくれる?」


 そう言って差し出した箱には、メッセージカードが一枚えられていた。そこには英語でこう書かれていた。


 ――For my Valentine.


 意味は……。




第三章 For my Valentine. <完>

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