第11話(3) チョコレート

 家に帰ると、ほのかに甘い香りがした。


 このにおいは……。


「ただいまー」


 扉を開け、リビングに入る。


「お帰り」


 キッチンからお母さんの声がした。夕食の準備をしているようだ。


 上着と鞄をポールハンガーに掛け、キッチンに近付く。


 甘い香りは、距離に比例して段々と強くなる。


 という事は――


「お母さん、今日チョコ作ったの?」

「うん。もうすぐバレンタインだから、そのために、ね」


 いやまぁ、それはそうなんだけど、そうじゃなくて……。


 バレンタインは明後日、そして火曜日だ。ならば、日中お父さんがいる日曜日に、わざわざチョコを作る必要はないだろう。少なくとも、今まではそんな事なかった。なのに、今日に限ってどうして……。


「上手く教えられたの?」

「え?」

「バイト先の先輩とチョコ作ってきたんでしょ?」

「あぁ。うん」


 主語もなく急に言われたものだから、咄嗟とっさに理解が追い付かなかった。考え事をしていたというのも、その理由の一つだが。


「上手く出来たと思う。味も悪くなかったし」


 冷凍庫で一時間寝かせた後、カットをし味見をした。


 味は普通に美味しかった。


「なら、良かった」


 そう言ってお母さんが笑う。


「何か手伝う事ある?」

「うーん。じゃあ、お刺身さしみ切ってくれる? 後ろに出てるから」

「はーい」


 魚用のまな板をセッティングし、容器から取り出した刺身をそこに置く。そして、包丁でそれを切っていく。


「ソフィアちゃんに渡すチョコはどうするの?」

「? 作るよ。前日に」


 というか、今までもチョコは大体前日に作っていた。もちろん、友チョコを、だけど。


「どんなの作るの?」

「何? そんなに気になる?」


 今回はやけに聞いてくるじゃん。いつもは聞いてこないのに。


「だって、いおが作る初めての本命チョコでしょ。そりゃ、気になるよー」

「うっ」


 本命。そう改めて言葉にされてしまうと、なんだかこう、むずがゆいものがある。


「で、どんなの作るの?」

「とりあえず、初めてだし、ハート型にはしたいなって」

「いいじゃない。それで?」

「出来ればちょっと手の込んだ物にもしたくて」


 別に手間暇てまひまを掛ければいいというものでもないが、そこはなんというか気持ちの問題というか……。


「だったら、ケーキにしちゃうとか?」

「ケーキか……」


 それも候補こうほとして、考えていなかったわけではない。ただ持ち運びが面倒というのがネックで、どうしようか悩んでいたのだ。


 切り終えた刺身を大きめのお皿に乗せる。


 ウチは一人一人盛り付けず、勝手に持っていくスタイルで刺身を出していた。


「もうこれ、持ってっちゃっていいの?」

「うん。お願い」


 取りばしと共に刺身の乗ったお皿を運び、食卓の中央に置く。


 この配置で分かるように、今日のメインは刺身。後は、今お母さんが作っている豚汁と後ろに出ていた小鉢が今日のおかずだ。


「こっちももう出来るから、お父さん呼んで」

「分かった」


 スマホを取り出し、お父さんにラインを送る。


 これでその内来るだろう。


「うふふ。いいわね」

「何が?」

初々ういういしいしくて」

「……」


 他人事ひとごとだと思って。いや実際、他人事なんだけど。


「大丈夫よ。いお、当時の私より断然料理上手いし、結局最後は気持ちなんだから」


 当時とは、一体いつの事を言っているのだろう? 詳しく知りたいような知りたくないような……。


「ね? あなた」


 そう口にしたお母さんの視線の先を追うと、お父さんがリビングに入ってきたところだった。


「あぁ、うん。そうだね。よく分からないけど」


 そりゃ、そうだ。お父さんはまさに、今来たばかりなのだから。これで分かったら、それこそエスパーだ。

 というか、なのになぜ答えた。


「お、今日はお刺身かい? 美味しそうだね」


 さっきまでのやり取りをすっかりスルーして、お父さんが食卓の上に置かれたお刺身を見てそんな事を言う。


「いおが切ったのよ」

「だからかー」

「……」


 その反応は、さすがに適当過ぎないか。まぁ、別にいいけど。

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