第10話(2) マラソン大会

 マラソン大会のコースは、川側をまず走り、中間地点のコーンで折り返し、今度は土手側を走ってスタート地点まで戻ってくる、そういう形になっていた。

 そのため、私とは逆方向に走っていく生徒の姿がどうしても目に入ってくる。


 別に、ズルも得もしているわけではないのに、それをうらやましく思ってしまう自分がいた。ホント嫌になる。


 五分程走り、ようやくペースが掴めてきた。


 砂の地面はタータンやコンクリートよりも何倍も不安定で、どうしてもいつもより足に掛かる負担は多くなる。

 その事を踏まえ、私はスピードを調整していく。いつもと同じ調子で走っていては、すぐにバテてしまう。少し抑えて、慎重に。


 この辺りになると、前の生徒を抜く回数が目に見えて増えてくる。中には序盤にも関わらず、早くも歩き出している生徒もいて、モチベーションの違いを私は改めて実感するのだった。


 れ違った璃音りのん先輩といさぎ先輩に声を掛けられながら、一キロ地点を通過する。

 体調不良や怪我けがに備えて一キロ毎に教師が立っており、それがイコールチェックポイント代わりになっていた。


 一キロの通過タイムは六分四十分。足場の悪さを考慮こうりょに入れれば、まぁまぁのタイムと言えるだろう。後はこの調子がどこまで続くか、だが。


 二キロを過ぎた辺りから、急に体が重くなる。呼吸も乱れ、息も苦しい。


 まだこれから五キロ近く走らないといけないのに、こんな調子で大丈夫か――という思考が一瞬頭をよぎるが、すぐにいつもの事と思い直す。

 いつまでもこれが続くわけではない。無視して走っていれば……。


 ふいに、夢か幻かのように、体の不調がやわらぐ。

 この現象は、一時的な酸欠状態によるものらしい。一時的とあるように、大抵は少ししたら自然と収まる。体が今の状況に適応するのだろう。ここで下手にスピードを落とすと逆に辛くなるので、注意が必要だ。


 一つ目のとうげを越え、俄然がぜんやる気が出てくる。

 距離で言ったら、三分の一を消化したところ。そう考えたら……うん。まだまだ先は長い。


 そんな事を考えながら走っていると、反対側の走路にソフィアちゃんの姿を見掛ける。

 分かっていたが、大分差が付いている。もうすぐ三キロといったところだから、その差は一キロ以上……。さすがに速過ぎでは?


 擦れ違い様、手を上げ互いにエールを送り合う。


 実際、少し元気が出た。


 コーンで折り返し、ようやく半分。後は今来た道を戻るだけだ。


 四キロを通過。タイムは二十六分五十秒。ここまではいい感じに来ている。

 残り三キロ。このまま何事もなく行ければ……。


 そんな私の甘い考えを嘲笑あざわらうように、五キロ過ぎからどっと疲れが押し寄せてくる。二キロ過ぎで感じたものとは、比べものにならない疲労感と苦しさだった。


 スピードをゆるめる? いや、いっそ足を止めてしまおうか。


 ソフィアちゃんも菊池先輩も言っていたではないか。本当に辛かったら歩いてもいい、と。


 よく頑張った。私はよく頑張った。だから――


 ん?


 スピードを緩め掛けた私の目に、バテながらも一生懸命に走る少女の背中が映る。


 体は前のめり気味、足もあまり上がっていない。けれど、少女は自らスピードを緩める事はしない。その姿はまるで、くじけそうになる自身と必死に闘っているようで……。


 よし。私も。


 折れそうになっていた心を、再びふるい立たせる。


 後少し、後一キロ半、なんとか頑張ろう。そうしたら……。


「頑張る事はとてもいい事だと思うわ。けど――」


 頭のすぐ上から声が降ってくる。優しく可愛かわいらしい天使のような声。


「学校のマラソン大会で倒れるまで頑張るのは、ちょっとどうかと思う。さすがに」

「……」


 正論過ぎて、ぐぅのも出なかった。

 まさにその通り、自分でもどうかと思う。


 私は今、ソフィアちゃんにもたれて川辺に座っていた。


 ゴールまではなんとか辿り着いたものの、私の体力も気力もそこで限界を迎え、立っている事すらままならない状態となった。

 周りの目は気になるが、一人で座れない今の状態ではとてもではないがそんな事を言っていられない。膝枕ひざまくらでないだけでまだマシ。そう思う事にしよう。


 とはいえ、無理をしたお陰で、当初の目標である四十九分以内でのゴールは見事達成した。


 決して誇れたタイムではないが、私にしては頑張った方だろう。


「ほら、紗良紗さらさ言われてるよ」


 声のした方に目をやると、少し離れた所で木野きのさんが足を伸ばして座る秋元あきもとさんのももに頭を乗せて寝転んでいた。


「うー。ちょっと今頭働かないから、説教なら後にしてくれる」


 寝転んだまま発せられる木野さんのその声には力がなく、本当に疲れきっている事がよく分かった。


 ちなみに、私が五キロ半で見た背中は木野さんのものだ。


 なので、ある意味目標が達成出来たのは、木野さんのお陰という事になる。


 ありがとう、木野さん。またいつか、何かお礼します。……多分。


「いお、水いる?」

「いるー」


 ソフィアちゃんの質問に、私は即答する。


 正直、もうのどがカラカラだった。


「はい」

「ありがとう」


 ソフィアちゃんから紙コップを受け取る。


 スタート地点けんゴール地点であるこの場所には、折りたたみ机の上に大量の紙コップと共にウォータータンクが置かれており、中の水を生徒は自由に飲んでいい事になっていた。


 紙コップを口に運ぶ。


 かわいた喉と体に、久しぶりの水分が心地良く浸透しんとうしていく。


 生きていて良かった、と割と本気で思う。

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