第9話(2) 筋肉痛

 更に一日経つと、筋肉痛は大分マシになった。動きに支障が出る事はなく、痛みも無視を出来る程度にまでやわらいでいた。


 昼休み。私とソフィアちゃんは、いつものように屋上に続く階段へ向かい、そこに二人並んで腰を下ろしていた。


 お互いのひざの上に弁当を広げ、それにはしを伸ばす。


「昨日はバイト大丈夫だったの?」

「うーん。なんとか。先輩には気付かれたみたいだけど」


 とはいえ、何かミスや遅延があったわけではないので、問題は特に起きていないのだが。


「その先輩とは、仲良くやってるの?」

「仲良くっていうか、良くはしてもらってるかな。優しくて面倒見もいいから」

「へー……」


 なんだろう? 反応に含みがあるような……。もしかして――


「焼きもち?」

「べっつにー、そんなんじゃないし」


 分かりやす過ぎる。いやまぁ、あえてそうしているんだろうけど。


「ソフィアちゃん」

「何よ」

「かわいい」


 ねたように口をとがらせるソフィアちゃんに私は、そう言って笑い掛ける。


「知ってる」


 それに対しソフィアちゃんは、そんな美人にしか許されない台詞せりふで持って応える。

 いや、現に美人なので、全然問題ないのだが。


「冗談はさておき」

「あ、冗談だったんだ」


 まるっきり本気だとは思っていなかったが、半分くらいはマジなのではと思って接していた。


 あるいは、ソフィアちゃんなら、と。


「バイト先の交友関係が良好そうで良かったわ。いお、基本人見知りだし」

「まぁ、そうね。正直、合わなかったらどうしようと思ってたけど、ふたを開けてみたらいい人ばかりで拍子ひょうし抜けしちゃった」


 バイトにおいて、働く環境というのは最重要事項だ。そして、その環境の中には当然、人間関係も含まれる。そこに問題があれば、他がどれだけ良くても長く続けていく事は出来ないだろう。


「あ、そうそう。今度私、その先輩のウチにお呼ばれしてて」


 話の流れに乗っかって私は、ソフィアちゃんにそう告白する。


 別に悪い事をしているわけではないが、黙って行くのはなんだか違う気がした。


「ふーん。いつ?」

「来月の第二日曜日」

随分ずいぶん先の話ね」


 今日が一月の第三水曜日なので、約束の日までは三週間以上も日にちがある。


「予定が合わなくて」


 うそだ。その日作った物をバレンタインに渡すために、わざと近い日付を選んだ。


 ちなみにバレンタインは、第三火曜日。つまり、三日後だ。


「そうなんだ。何しに行くの?」

漫画まんがやアニメのコレクションを見せてもらいに。結構そういうのに詳しい人でさ」


 これも嘘だ。菊池先輩が漫画やアニメに詳しいのは事実だが、家に行く理由はバレタイン用のチョコレートを一緒に作るためで、コレクションの話は一切出ていない。まぁ、結果的に見せてもらう可能性はあるかもしれないが、それが今回の目的ではない。


 チョコレートの事は、出来れば当日まで隠しておきたい。渡す事は確定しているのだが、それを実際に口にするのとしないのとではやはり雲泥うんでいの差がある。言わぬがはな、というやつだ。……少し違うか。とにかくこの世には、相手に悟られていようともあえて明言めいげんを避けた方がいい事が確かに存在する。サプライズなんかは、そのさいたるものだろう。


「二月と言えば――」

「!」


 ソフィアちゃんの発した言葉に、私は思わず体をビクリと震わす。


 やはり気付かれたか。勘付かれないように、わざわざ第二日曜日などというみょうな言い方をしてみたのだが、どうやらあまり意味はなかったようだ。


「節分ってあるじゃない?」

「え? 節分?」


 いや、バレンタインじゃなくて良かったけども。完全にそっちが来ると身構えていたので、なんだか肩かしを食らった気分だ。


「そう。節分。いおの家ではどうしてる? 何かやってる?」


 確かに、余所よその家でイベント事をどう行っているかは私もよく知らないし、気にもなる。


「少なくとも、ウチでは何もしてないかな。普通に恵方えほう巻きと豆を食べるぐらいで」


 方角や食べ方なんて気にせず、まく事もしない。ただ食べる、それだけだ。


「ソフィアちゃんの家は?」

「ウチはそういうのちゃんとやるタイプだから、恵方巻きは方角調べて丸かじりするし豆も鬼のお面を付けたお父さん目掛けて毎年まいてたわ」

「へー」


 私も幼い頃はどちらもやっていた記憶があるが、中学に上がってからは自然と二つ共やらなくなった。多分、私の家みたいなのが世間的には多いのではないだろうか。


「お父さんがその手のイベントが好きで、ひな人形やこいのぼり、ては五月人形までかざるの。まぁもちろん、コンパクトなやつだけど」

「そう、なんだ」


 私が早坂はやさか家に通い出したのは五月の中頃からだから、それらを見る機会はなく、そんな物を飾っていたとは全く知らなかった。

 ……いや、お盆に割り箸が刺さった、ナスときゅうりは目にしたか。その時はやけに古風な事をするなと感心したのだが、今の今まで存在ふくめすっかり忘れていた。


「てな感じで、ウチは家族そろってイベント事を大事にする家庭なの」

「あ、うん。それはとても、素敵な事だと思う」


 ハロウィンやクリスマスといった盛り上がるものだけを楽しむのではなく、節分のような軽く流してしまいがちなイベントまでちゃんと行うなんて。


「だから、楽しみにしててね」

「え? 節分、やるの? 別にいいけど」


 今年の節分は、えーと……金曜日か。晩御飯ばんごはんは早坂家で食べる予定だし、節分をやる上ではちょうどいい。


「いや、まぁ、うん。いいや、それで」

「?」


 なんだろう? 少し気になる言い回しのような……。


「で、どっちが鬼役? 言い出しっぺだし、私がやってもいいけど」

「えー。二人で投げようよ」


 そこからしばらく、節分に向けての打ち合わせが続いた。

 結局、鬼は何か適当な的を用意する事になった。私の案が採用された形だ。


 それにしても、こんなに節分を楽しみに思ったのは、生まれて初めてかもしれない。


 ソフィアちゃんと一緒なら、節分すら楽しいイベントに変わる。これは、私が見つけた世紀の大発見だ。

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