第9話(1) 筋肉痛

 翌日は案の定というか、体が重かった。特に太腿ふとももの筋肉痛がひどく、座るのも一苦労だった。

 当然、それはバイトにも影響があり……。


水瀬みなせさん、なんか今日、動き固くなかった?」


 バイト終わり、更衣室で帰り支度じたくをしていると、同じく帰る準備をしていた菊池きくち先輩にそう声を掛けられる。


「うっ。分かりました?」

「そんなあからさまじゃなかったから、確信は持てなかったけど、もしかしたらって」


 あからさまではないという事は、迷惑は掛けていないという事だろうか。だとしたら、いいのだが。


「昨日いつも以上に運動して、少し筋肉痛気味で」

「あー。それで。体育?」

「いえ、マラソン大会が近いので、放課後にプライベートで練習を」


 その結果がこのざまだ。


「マラソン大会。懐かしい響きね。私は嫌いだったなー、あれ」

「私も好きではないですね」


 そう言って私は、苦笑いを浮かべる。


 というか、好きな人の方が少ないのではないだろうか。……いや、私の勝手な予想で根拠は何もないのだが。


「でも、練習するなんて偉いね」

「本番苦しいの嫌なんで」


 別に速く走ろうとは思わないが、ちゃんと走り切りたいとは思う。

 そしてそのためには、一に体力、二に体力、三四がなくて五にも体力だ。


 帰り支度を済ませ、菊池先輩と一緒に更衣室を出る。


「大体、あんなの辛かったら、歩いていいんだよ。てか、半分くらいは歩いてるし」


 と経験者は語る。


 菊池先輩は私の通う高校の卒業生なので、その辺りの事は私より断然詳しい。


「距離が距離ですからね」

「普通に考えて運動部じゃない女子高生に七キロも走らせるなんて、ホントどうかしてるよね」

「ですよね。どういう神経してるんだが」


 七キロはどう考えても長過ぎる。


 きっとこの距離を決めた人は、根性や努力という言葉が大好物なのだろう。

 少年漫画の主人公か、まったく。


「まぁでも、男子に比べたらまだマシって考え方も、出来なくはないかな」

「確かに……」


 男子はその倍の十四キロを走るわけで、そう考えると私の走る七キロが急に少なく思える、ような、気が、しないでもない。


「ちなみに、菊池先輩は歩いたんですか?」

「まさか。ちゃんと完走したよ」

「そう、なんですね」


 菊池先輩は見るからに運動が出来そうな見た目をしているし、妥当だとうと言えば妥当か。


「私の場合、個人的に完走したい理由もあったしね」

「え?」


 ぽつりと呟くように言った菊池先輩の言葉を、私は思わず聞き返す。


「あ、いや、なんでもない。忘れて」


 どうやら今のは、無意識に発した言葉だったらしい。


 なので私も、聞かなかった事にする。なんとなく、どういう意味かは想像が付くし。


「そ、そう言えば、もうすぐバレンタインだけど、水瀬さんはどうするの?」

「一応、自分で作った物を渡すつもりでいます」


 なかなか強引な話題転換ではあったが、そこにはあえて触れず、私は普通に菊池先輩の質問に答える。


「やっぱり、ハート型にしたりするの?」

「まぁ、その方がむしろ自然かなって」


 片想いの相手に渡すならともかく、恋人に渡すなら形は別に悩む必要はないだろう。好きあっているわけだし。


「そういう菊池先輩はどうなんです?」

「私? 私はいつも市販の物を渡しちゃってる。昔から不器用で、特にお菓子作りは向いてないんだよね」


 言いながら菊池先輩は、その顔に苦笑を浮かべる。


「そんな難しくないですよ。ネット見てその通りに作れば、よっぽど失敗はないですし」

「それでも失敗するのが、私達不器用な人間なのよ」

「なるほど?」


 量も時間も詳しく書いてあるのに失敗するとは、これ如何いかに。


 ……いや、私も料理以外では割と不器用さを発揮するし、人の事は言えないか。


「とはいえ、いつか作ってみたいとは思うけどね……」


 そう口にした菊池先輩の顔には、どこかあきらめに似た何かが浮かんでいた。


「菊池先輩……」


 いつか。果たしてその時は、菊池先輩にいつ訪れるのだろう。一年後? 二年後? それとも、もっと先? 思い立ったが吉日という言葉もある。何かをしたいと思ったら、今動くべきなのでは?


「あの、菊池先輩!」


 自分でもらしくない事をしている自覚はある。だからこそ、声に力が入る。


「何?」


 そう言って菊池先輩が、首をかしげる。


「折角なら、一緒に作りませんか?」

「何を?」

「チョコレート」

「……え?」


 私の言葉に、菊池先輩が驚きの表情を浮かべる。


 ホントこんな事を言い出すなんて、自分でもびっくりだ。少し前までなら考えられなかった。成長したのかあるいは……。


「うん。いいよ。というか、この場合はお願いします、かな」

「ありがとうございます」

「なんで水瀬さんがお礼言うの? 言うなら私の方でしょ」

「そう、ですかね」


 確かに言われてみれば、そんな気もする。


「だから、ありがとう、水瀬さん。誘ってくれて」


 笑顔でお礼を言う菊池先輩を見て、私は心の中でほっと胸をで下ろす。


 良かった。余計なお世話と思われなくて。

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