第3話(1) 噂

 放課後。私は一人、一階にある第一学習センターに向かう。


 今日は今から委員会の集まりがあって、私はそれに参加しなければならなかった。


 扉を開け、中に入る。


 部屋の正面には黒板と教卓があり、そこからずらりとテーブルと椅子が無数に並んでいた。テーブルの数は横に六台、縦に十台。そのテーブル一台一台に、椅子が三脚ずつセットされていた。委員会活動の他、学年単位で集まる時や大型プロジェクタ―が設置されているため鑑賞会の時にこの部屋は使われる。

 座席にはすでに数十人の生徒が座っており、その中には同じクラスの斎藤さんの姿もあった。


 どこに座ろう。


 暗黙の了解として、前方の真ん中辺りに人が集まっているので、まずはそこに向かって歩き始める。座る場所が決まっていないため、自ずと歩く速度は遅い。


 適当に誰もいない所にでも座ろうか。


「いおちゃん」


 ふと声を掛けられそちらを見ると、璃音りのん先輩がこちらに向かって手を振っていた。


「こっちこっち」


 そして手まねきをしてくる。


「あ、はい」


 私はそれに甘え、璃音先輩の隣に腰を下ろす。テーブルの右端、それが私の座った場所だ。


 璃音先輩は真ん中に座っており、その向こう側にはもう一人女生徒が座っていた。


 確か、名前は――


「ハロハロ、いおちゃん。あ、私もいおちゃんって呼んでいい?」

「あ、大丈夫です。絹塚きぬづか先輩」


 絹塚いさぎ、先輩。いつも気だるけな表情と声をしているせいで、璃音先輩とは違った意味で本心が読めない。髪は少し長め、下の方で縛ったそれを今は肩口から流している。


「ヤダなー。いさぎでいいよ。私といおちゃんの仲でしょ」

「はー……」


 一体どんな仲なんだろう。少なくとも、私はこの先輩とまともに話した記憶がない。


「いさぎの話は適当に聞き流してくれていいから。どうせ、ノリと勢いで喋ってるだけだし」

「あはは。違いない」


 いや、自分で言う事ではないだろう、それは。


 と、そういえば――


「私、璃音先輩に聞きたい事があって」

「何? なんでも聞いて」


 では――


「菊池榛香さんって知ってますか?」

「きくちはるか……。あぁ、聞き覚えはあるが、同一人物かは分からないな」

「この学校のOGで、去年卒業したらしいんですけど」

「じゃあ、同じ人かな……。その榛香先輩がどうかした? というか、どこで知り合ったんだい? 前々から面識があったとか?」

「いえ、最近始めたバイト先の先輩で」

「へー。それはまた。奇縁というべきか偶然というべきか。榛香先輩も図書委員だったんだ」

「そう、だったんですね」


 それは知らなかった。

 まぁ、まだ出会ってひと月足らずでし、当然と言えば当然だが。


「明るくて優しい先輩だったよねー」


 それまで私達の話を黙って聞いていた絹塚――いさぎ先輩が、そう口を挟む。


「あぁ、先輩とはこうあるべきと思わせるような人だった」


 その頃をなつかしむように、璃音先輩が呟くようにそんな事を口にする。


「で、聞きたい事とは?」

「高校時代からお付き合いしてた人がいたようなんですが、知ってます?」

「いや、そういう素振りは私の前では全然……。話にも聞いた事はないし。いさぎは?」

「あー。私も直接は聞いた事ないなー。けど、なんかぽい話は聞いたような……。プレゼントがどうとか。それが、恋人にあげる物だったのかは分かんないけど」

「そう、ですか……」


 隠れて付き合っていたって言っていたし、さすがに簡単に情報は手に入らないか。


「でも、なんでそんな事を?」

「いえ、あの、隠れて付き合ってたって言ってたから、どんな人だったのかなって、ただの興味です、すみません」


 改めて理由を聞かれると、なんだか性質たちの悪い事をしているようで、途端恥ずかしい気分になってきた。


「隠れて……」


 しかし、璃音先輩はそんな私の様子には目もくれず、一人思考をめぐらす。


「璃音先輩?」

「いや、榛香先輩とは関係ない話なのだが、当時少し噂になった事があってね」

「あー。あれ? ってか、そういう事?」


 いさぎ先輩も何やら思い至るものがあるらしく、璃音先輩にそう問い掛ける。


「どんな噂なんですか?」


 私の質問に対し、璃音先輩が手招きで応える。

 耳を貸せという事らしい。


 拒否する理由も特にないので、私は素直に耳を近付ける。


 どうやら、大きな声では言えない話のようだ。


「実は――」


 その話を聞いた瞬間、私は思わず体を引き、璃音先輩の顔をマジマジと見た。


「それが榛香先輩の事だと?」

「さぁ。ただ、そういう噂が当時あったのは事実でね。とはいえ、何事もなかったという事は、少なくとも確証は得られなかったという事だろう」


 委員会が始まり、結局その話はそこで終わった。


 ただの噂話、あるいは榛香先輩とは関係のない別の人の話の可能性もある。けれど……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る