第21話(3) お母さん2

 着替えを済ますと、私達はリビングに足を運んだ。


 テレビに近いテーブルの上には、すでに人数分のカップとクッキーの乗ったお皿が用意されていた。

 テーブル中央に置かれた箱。それがクッキーの箱だろう。


「あらソフィア、珍しい格好してるわね」


 入口から見て奥のソファーに座った美玲さんが、ソフィアちゃんを見てそう声をあげる。


 ソフィアちゃんの現在の格好は、グレーのタートルネックのセーターに黒いロングスカートと、私同様色々な意味で大人しめな物となっている。


 確かに、あまりソフィアちゃんの着ない雰囲気の服かもしれない。


「というかあなた、そんなの持ってたかしら?」

「ミア姉が送ってきたやつ。いおのもね」

「あー。望愛さんの」


 美玲さんも、望愛さんから衣服が送られてきている事は知っているようだ。

 当たり前か。


 テーブルを挟んで美玲さんと対するようにソフィアちゃんがソファーに腰を下ろし、私もその隣に座る。


「いおさん、紅茶は大丈夫だったわよね?」

「はい。全然、問題ありません」


 これからの事に身構えるあまり、美玲さんからの問い掛けに必要以上に反応してしまった。


 そちらを見なくても、ソフィアちゃんの呆れ顔が目に浮かぶ。


 幸い、美玲さんは私のそんな言動に何も感じていないらしく、普通にカップを自分の口に持っていく。


 それにならって、私も紅茶に口を付ける。


 独特の苦味はあるがコーヒー程ではないし、何より飲みやすく美味しい。いい茶葉を使っているのだろうか。


「最近はどう? 何か変わった事はあった?」

「うっ」


 あまりにも今の状況に合い過ぎた質問に、私は思わず紅茶を吹き出し掛ける。


 すんでのところで踏みとどまったため大事には至らなかったが、高鳴る心臓の鼓動は一向に収まる気配を見せない。


 私はカップで口元を隠しながら、ちらりとソフィアちゃんの方に視線を向ける。


 ソフィアちゃんは落ち着き払っていた。


 何事もないように、カップをテーブルの上に置き、続いてクッキーに手を伸ばす。

 その様子はまるで貴族のそれのようで、いっそ優雅だった。


「これ、美味しいわね」

「でしょ? テレビでやってるのを見てずっと気になってたから、この機会に思い切って買ってみたの」


 娘の感想に、美玲さんが嬉しそうにそう言葉を返す。


「いおも食べたら?」

「うん……」


 ソフィアちゃんに勧められ、私も紅茶から一旦手を離し、代わりにクッキーをその手に持つ。


 あ、美味しい。これなら確かに、評判になるのも頷ける。


「変わった事あったわよ」


 え? このタイミングで行くの? 場を一回落ち着かせてからの不意打ち。

 まぁ、それを食らうのは、この場では私だけなんだけど。


「どんな?」

「私達付き合い出したの」

「へー……」


 私の予想に反し、美玲さんの反応は薄かった。


 いや、もしかしたら、あえてそうしているのかもしれない。爆発しそうな感情を抑えているとか? ありそうで怖い。


「いつから?」

「十月の中旬? まだひと月は経ってないかな」

「そう……」


 呟くようにそう言うと、美玲さんは胸の前で腕を組み、考え込むようにうつむいてしまった。


 私とソフィアちゃんはその様子を、黙ってただただ見守る。


 もし否定されたら、私達の気持ちや熱意を伝えるしかない。それでもダメなら――


 ふーっと、美玲さんが大きく息を吐く。

 結論が出たのか、あるいは言うべき事がまとまったのか……。


「ダメね」


 やっぱり。


 私は口を強く閉じ、視線を下に向ける。


 簡単に認めてもらえるものではない事は分かっていた。分かっていたけど、こうして実際に言葉にされるとやはり堪える。


「親としては何か厳しい事を少しは口にした方がいいんだろうけど、何も思い浮かばないわ」


 はじかれたように顔を上げる。


 そこには、優しく微笑む美玲さんの顔があった。


「だってあなた達は、今更私が言わなくても全部分かってるんだもの。だから、そんな顔をしてるんでしょ?」


 そんな顔。私はおそらく、今にも泣き出しそうな顔をしている。ソフィアちゃんは?


 表情を確認しようと、隣を見る。


 ソフィアちゃんは、気が抜けたような顔をしていた。

 ふいに、その瞳から一筋の涙が流れる。


「ソフィアちゃん……」


 気丈きじょうに振る舞っていたが、ソフィアちゃんも私同様かそれ以上に、緊張や不安を感じていたのだろう。その思いが、今一気にけ――


「え? うそ? なんで?」


 ソフィアちゃんは自分の瞳から流れるそれを、不思議そうに手でぬぐう。自身の感情に、思考が追い付いていないのだろう。


「よしよし」


 と、私はソフィアちゃんの頭を撫でる。


「泣いてない」


 どこかで聞いた台詞だった。はて、誰が口にしたものだったか。


「うふふ」


 そんな私とソフィアちゃんのやり取りを見て、美玲さんが嬉しそうに笑う。


「ホント、仲いいのね」


 その言葉に、私とソフィアちゃんは顔を見合わす。そして――


「当然じゃない」

「はい」


 微妙びみょうに息の合わない返事をするのだった。

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