第21話(1) お母さん2

 そして金曜日。私は朝起きた瞬間から、なんだかそわそわしていた。もっと言えば、昨日の夜からどこか気持ちが落ち着かない。

 緊張、不安。この感覚は少し違うが、カップルコンの時のそれに似ていた。


 帰りのホームルームが終わり、教室がざわめき出す。


「いお」

「ひゃい!」


 背後から声を掛けられ、私は思わずみょうな声を上げてしまう。


「何、その声」


 振り向くと、あきれ顔のソフィアちゃんがそこに立っていた。その手にはすでに鞄が持たれており、帰る準備は万端なようだ。


「いや、いよいよだなと思うと、なんかよりいっそう緊張しちゃって」

「大丈夫、何かあったら私が守るから」

「……」


 その物言い、逆に不安になるんだけど。まるで何かが起こる事を前提としているような……。


「冗談よ」


 そう言ってソフィアちゃんが、広角を上げる。


「もう、止めてよね」


 ソフィアちゃんの発する冗談は、時々洒落しゃれにならないものが混ざっているから本当に困る。せめて冗談っぽく言ってくれればいいのだが、マジトーンで言うため区別が付かない。


「ほら、行くわよ」

「うん……」


 鞄を手に立ち上がる。そして、先を行くソフィアちゃんの後ろを、カルガモの親子よろしく付いていく。


 教室を出て、ソフィアちゃんの隣に並ぶ。


「お母さん、もう家にいるみたい」


 という事は、早坂家に着くなりエンカウントか。準備はその前に整えておかないと。直前にセーブポイントがあるといいんだけど……。


「現実逃避し過ぎ」

「いたっ」


 ソフィアちゃんによって、後頭部にコツンと軽くゲンコツが入れられる。


 痛いと言ってみたが、実際は痛みなんてなかった。いわゆる、条件反射というやつだ。


「ゲームじゃないんだから、一発勝負に決まってるじゃない」


 どうやら考えている事が、知らず知らず口から漏れ出ていたらしい。気を付けよう。


 小さく深呼吸を一つ。


「どのタイミングで言うの?」


 気持ちを切り替え、私は現実的な話をソフィアちゃんに振る。


「まぁ、流れで今と思ったらって感じよね。向こうがどんな感じで来るかも分からないし」


 確かに、変な空気の時に言い出すより、いい空気ないし普通な空気の時に言った方が美玲みれいさんも受け入れやすいだろう。タイミングを間違えたせいで、認めてもらえなかったなんて展開だけは絶対けたい。


「あー、やっぱり菓子折り用意した方が良かったかなぁ」

「なんでよ」


 私の悪あがきとも言える言葉に、ソフィアちゃんが苦笑を浮かべる。


「いつもと違う事して妙な勘繰かんぐりを受けるリスクを高めるよりも、いつも通りに行ってフラットな状態で挑んだ方が間違いは少ないと思うけど?」

「いや、そう、なんだけどさ……」


 慣れない事をする前は、変わった事をしたくなるのが人のさがというかなんというか……。


 テストの前に掃除を始めてしまう感覚、とは少し違うか。どちらかと言うと、無駄むだに単語帳を作ってしまう感覚、あるいは必要のない徹夜をしてしまう感覚、の方が近いかもしれない。共通するのは何かをした感を出したいがあまり、やらなくてもいい事に手を出してしまうという心の弱さ。それが今まさに、私の心に到来していた。


「平常心、平常心」


 言いながらソフィアちゃんが、私の背中を二度三度さする。


 不思議な事に、それだけで気持ちが少し楽になった。

 ソフィアちゃんの手には、何か特別な波動が出ているのかもしれない。人を落ち着かせるような、そんな波動が。


「ありがと」

「どういたしまして」


 二人で顔を見合わせ、にこりと微笑ほほえむ。


「大体こんなの、告白に比べたらなんて事ないでしょ?」

「それって、ソフィアちゃんが告白の時にものすごく緊張してたって話?」


 ソフィアちゃんの軽口に、私も軽口でこたえる。


 こういう返しが口を突いて出るのは、私の精神状態が上がってきた証であり、ノってきた証でもある。


「告白してきたのは、いおの方じゃない」

「ソフィアちゃんが先でしょ」


 むーっと二人でにらみ合う。そして――


「「ぷっ」」


 こらえ切れずどちらともなく、にらめっこのそれのように吹き出した。


「もう大丈夫そうね」

「お陰様かげさまで」


 緊張はまだしているし、不安もまだある。だけど、教室を出た頃と比べれば、確かにそれらは弱まっていた。


「行くわよ」


 階段を一段降りたところで、ソフィアちゃんがこちらに半身を向け、教室の時と同じ台詞せりふを再び吐く。

 その顔には、どこか挑戦的な笑みが浮かんでいた。


「うん」


 だから私は、あえて同じ言葉で応える。先程より力強い声と表情で。

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