第11話(3) 相談

 新高敷駅から歩いて数分の場所に、璃音先輩の言うお店はあった。


 ブレッド&バター。


 直訳するとパンとバターという意味になるが、その言葉にはそれ以外の意味もあった。

 飯の種、基本的な食べ物、本業、そして日々の生活に欠かせないもの。店名として相応しいのは、最後の言葉だろう。

 まぁ、単にパンを売っているからそう付けたという可能性もあるが、果たして真相はいかに。


 黒を基調とした外観の店舗は、どこかアメリカのカフェを思わせるたたずまいをしていた。


 扉を開けて中に入ると、ドーナツ屋やケーキ屋のようなショーケースがまず目に飛び込んできた。その奥には、テーブルと椅子が複数置かれていて、どうやらそこがイートインスペースになっているようだ。


 ブレッドという名前からパン屋を想像していたが、メニューやポスターを見る限り、クレープやガレットがこの店の看板商品らしい。他にはクッキー、マフィン、アイス、スコーンなんかも売っている。


 ……ブレッドどこ行った。


 飲み物は大きく分けて三種類。コーヒー、紅茶、そしてソーダだ。


「今日は私のおごりだから、好きな物を頼むといい」

「そんな悪いですよ」

「遠慮しないでくれ。いおちゃんと放課後を過ごせるだけで、十分お釣りが来る」

「そういう事なら、遠慮なく」


 友好な関係を築きたい相手なら、こういう時は必要以上に拒否しない方がいい。それがむしろ失礼に当たる事もあるからだ。


 逆に、警戒すべき相手なら、断固として拒否した方がいい。タダより怖いものはない。後で何を要求されるか分かったものではない。


 私達はマフィンを一つずつ注文し、飲み物は私がアイスラテ、璃音先輩がアイスコーヒーを選択した。


 それらを持って私達はイートインスペースに――


「向かわないんですか!?」


 璃音先輩の後ろに付いて行った私の足は自然と店外へと向かっていた。


「二人きりの方がいいと思って。大丈夫。取って食ったりはしないから」

「はぁ……」


 よく分からないが、とりあえず言う通りにしておこう。


 璃音先輩と連れ立って住宅街を歩く。


 時間が時間という事で人通りはそれなりに多く、制服姿もよく見掛ける。


「この辺り結構来るんですか?」


 かく言う私は、あまり来た事がなかった。わざわざ電車で移動してまで、新高敷に来る用事がないからだ。


「たまに。部活の帰りに仲間と寄ったり? ほら、運動するとお腹空くから」

「大変ですね」

「好きでやってる事だから」


 そう言って、璃音先輩は微笑む。


 こういう事を言える人を、私は素直にうらやましく思う。私には、そこまで熱中出来るものがないから。今も昔も。


 等と他愛もない話をしながら歩く事数分。璃音先輩が突如とつじょ足を止める。


「着いたよ」


 そこはなんの変哲へんてつもない小さな公園だった。


 五時を過ぎて、子供達はみんな帰ったのか人気は少ない。いるのは犬の散歩をしている人くらいだ。


「付いてきて」


 言われるまでもなく、私は璃音先輩の後を追う。


 公園の隅に、屋根の付いた六角形の空間があった。中央には同じく六角形のテーブルがあり、そこにはそれぞれの辺に椅子が備え付けられていた。


 璃音先輩が先に椅子に座り、私もその隣に腰を下ろす。


「ここなら人は来ない。落ち着いて話をするのには、もってこいの場所だろ?」


 私が混み入った話をすると察し、璃音先輩はあえて店内ではなくこの場所を選んだのか。


 確かに、あそこでは周りに人がいて話を聞かれてしまう恐れがある。今から私がしようとしている話は、少なくとも璃音先輩にとってはそれぐらいデリケートな問題という事なのだろう。


「とりあえず、食べようか」


 そう言って璃音先輩が、手に持ったマフィンを私に見せる。


 私はうなずくと、自分の手の中のマフィンの包みをほどき、それを口に運ぶ。


 甘く香ばしい焼き菓子の風味が、口の中に広がる。


「私、恋をした事がなかったんです」


 カフェラテでのどのどしてから、私はぼつりとそう語り出した。


「だから、本当は何も分かってないんです。この感情がなんなのかさえも」

「みんな最初は、そうなんじゃないかな。恋に限らず、初めて抱いた感情には戸惑い、そして悩む。私にもそういう経験はあるよ」

「璃音先輩にも、ですか?」


 常に飄々ひょうひょうとしていて、そんな悩みとは無縁とばかり思っていた。


「少し私の話をしようか。私には三つ上の兄がいてね」

「へー。そうだったんですね」


 璃音先輩にお兄さんがいるなんて、全然知らなかった。璃音先輩が妹。……想像出来ないな。


「私達は本当に仲が良くて、今でも二人で出掛ける事があるくらいなんだ」

「そう、なんですね」


 それは果たして、普通な事なのかはたまた変わっている事なのか、兄弟姉妹のいない私には軽々に判断出来ない事柄だった。


「ウチの両親は再婚なんだ」

「え?」


 唐突なカミングアウトに、私は一瞬どう反応したらいいか迷う。


 こういうもののとらえ方は、結局のところ本人次第だ。本人が大した事でないと思うか、そうでないか。璃音先輩は一体、どちらなのだろう?


「安心して。その事自体に思うところはもうないよ。両親が再婚したのは、八年近く前の事だしね」


 それを聞いて私は、秘かにほっと胸をで下ろす。


 しかし、話の流れはまだつかめない。


 璃音先輩はどうしてこんな話を、私に急にしてきたのか……。


「兄は母の連れ子で、私にとっては義兄ぎけいになる。つまり、血は繋がってないんだ」

「あ……」


 私はようやく、そこで全てを察した。璃音先輩の話の方向性、そしてなぜこの話を私にしてきたのかを。


「私の中で兄は兄であり、一人の男性なんだ。その事に矛盾はなく、どちらの認識もぶつかる事なく私の中で共存してる。おかしいだろうか?」


 その問い掛けに、私は首を横に振る。


 おかしいとは思わないし、私がおかしいと言うのは間違っている気がする。


「お兄さんはその事を……?」

「一度本人に思いをぶつけた事があるんだ」

「それで、結果は?」


 璃音先輩から返ってくる答えを、私は固唾かたずを飲んで待つ。


「兄は私の思いに真剣に向き合ってくれた上で、私を妹としか見れないとはっきりと告げてきた。断られた事はもちろん悲しかったけど、兄が真面目に考えてくれた事は素直に嬉しかったよ。だからこそ、気持ちの整理も付いた」


 そう口にした璃音先輩の顔は晴れ晴れとしており、その言葉に嘘や誤魔化ごまかしがない事は火を見るよりも明らかだった。


「さて、私の話はここまでだ。次は、君の話を聞かせてもらおうかな」


 口元に笑みをたたえた璃音先輩が、言外げんがいにここからが本番だと私に告げてくる。


 深呼吸を一つ。心を落ち着かせるのと同時に間を少し空けてから、私は胸の内に秘めた思いを璃音先輩におもむろに吐露とろし始めた。

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