第10話 月の引力

「いお」


 名前を呼ばれ、まぶたを開く。


 どうやら、眠ってしまっていたようだ。


 ぼやけた視界に、車内の風景が映る。混んではいるが満員という程ではない。席は埋まっているが立っている人は私達を含め十人程。お互いの距離はしっかり空いていた。知り合い同士でない限りは。


 ちなみに、私とソフィアちゃんの距離はゼロ、密着していた。

 それもそのはず、私はソフィアちゃんに寄りかかるように、立ったまま寝ていたのだ。


「ごめん、寝てた」

「知ってる」


 見れば分かる私のその言葉に、イーと歯を見せ、ソフィアちゃんが笑う。


「次、降りる駅だから」

「あー。なるほど」


 だから、私は起こされたのか。


 確か、今は地下鉄に乗っていたはず。という事は、次はJRか……。


 程なくして、電車が駅に到着した。


 この駅は地下鉄からJRや私鉄に乗り換えるための駅なので、降りる人が多い。乗っている人のおよそ八割が、私達同様電車を後にする。


 人の流れに乗って、地下鉄の出入り口を目指す。


「それにしても、よく寝てたわね。立ちながら」

「日頃歩かない距離、歩いたから」


 園内にいた時間は六時間半くらい。その中で歩いた時間は二時間程だろうか。それでも、十分な時間だ。


「周りの目が痛かったわ」

「それは……」


 ごめんとしか言いようがない。


 決して人が少なくない車内で、女子に寄りかかる女子。私達がいい見世物だった事は、想像に難くない。


「冗談よ」

「なんだ」


 良かった。冗談で。


「見られてたのはホントだけど」

「どっち!?」


 何これ。私、もしかしなくてもソフィアちゃんに遊ばれてる? 寄りかかって寝たから、その罰、みたいな?


「みんな、微笑ましいものを見るような感じだったから、大丈夫って事」


 それは、果たして本当に大丈夫なのだろうか。

 ……まぁ、ソフィアちゃんが大丈夫というなら、大丈夫だったのだろう。


 階段を登り、一つ上の階層に上がる。

 通路を進んだ先にある改札を抜け、更にもう一つ階段を登る。すると、広い空間に出た。


 途端、喧騒けんそうが一気に押し寄せてくる。

 三つの路線が重なる駅だけに人通りは多く、その分人の生み出す音もまた大きかった。


 雑踏ざっとうから逃げるように回れ右をして、JRの出入り口を目指す。

 改札を抜け、前進、左折、前進、左折と繰り返した後、現れた階段を降りる。


 ようやく辿り着いたJRのホームで、私達は並んで自分達の乗る電車が来るのを待つ。


 これで遠いと言ったら東京に住む人に笑われそうだが、同じ駅構内の乗り換えに十分近く掛かるのだから、十分遠い気がする。


「あ、月」


 屋根の隙間すきまから見える空を見上げ、ソフィアちゃんがふいに声をあげる。


 向こうの駅に入った時はまだ淡く見え隠れしていた月が、今ではその姿を眼前にくっきり浮かび上がらせていた。


 夕方を通り越し、外はもういつの間にか夜だった。


「月が綺麗きれいね」

「!」


 何気なく発せられたソフィアちゃんの一言に、私は少しビクっとする。


 もちろん、ソフィアちゃんにそんな意図はなかったと思うが、小説脳・漫画まんが脳の私にはその一言が特殊なものに思えてしまった。


 これだから、オタクは。


 とはいえ、ここでただ「そうだね」と返すのも味気ない。となると、私が次に言うべき言葉は――


「ソフィアちゃんと一緒に見てるからかな」


 これは、今の言葉への返しとしてポピュラーとされているものの一つだ。一つと言うからには返しはいくつかあり、イエスからノーまでそのほとんどを私は記憶している。


「……」


 おや。すぐに「何それ」という苦笑が返ってくると思ったのだが、予想に反しソフィアちゃんの反応はにぶかった。


 そして、数秒の沈黙の後――


「me too」


 予期せぬ言葉が私の耳を打った。


 これは?


 言葉の真意を探るべく、ソフィアちゃんの顔を見る。

 その顔はいたって普通で、そこから言葉の真意を読み取る事は出来なかった。


「ソ――」


 口を開き掛けた私の言葉を、駅の案内が掻き消す。


 もうすぐ、私達の乗る電車がやってくるらしい。私の家の最寄り駅は鈍行どんこうしか停まらないので、帰りはそちらに乗る事になっていた。


「あ」


 いよいよ電車が来るというタイミングで、私はある事を思い出した。


 スマホを取り出し、お父さんにラインを送る。


 最寄り駅に着く頃には外が暗くなっているから、お父さんが駅まで迎えに来てくれる事になっている。そのため、JRの電車に乗る前に、お父さんに今から乗るむねを連絡する事になっていたのだ。

 すぐに既読きどくと新たなメッセージが。『了解』だそうだ。


 ちなみに、ソフィアちゃんは今日ウチにお泊りの予定なので、そちらも問題ない。


 そんな事をやっている間に、電車が来てしまう。


 開いたドアに二人で乗り込む。


「久しぶりだし、いおのご両親に会うの、なんか緊張するわ」


 その後、私達は何事もなかったかのように、車内では普段通りの会話を交わした。


 屋根におおわれ、月はもう見えなかった。




第二章 十三夜 <完>

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