第9話(1) 土産

 自然動物館は二階建てで、一階には夜行性の動物が、二階には爬虫はちゅう類が展示されている。

 一階部分は夜行性の動物が展示されているという事で、全体的に照明は抑えめ、薄暗い感じになっていた。残念ながらこれでは、人を含めた写真は上手く撮れそうになかった。今日のお目当ての一つだったが、こればかりは動物側の都合なので仕方ない。


 ジャコウネコは、駅に向かう前、というか、昨夜寝る前にも話したが猫ではない。胴と鼻先が長く、見た目はどちらと言うとフェレットやイタチに似ている。


 南川動植物園にいるのは正確にはコジャコウネコという種類で、体の色は灰色や茶色系統、そこに黒い線や斑点はんてんのような模様もようが入っているのが特徴だ。

 ジャコウネコは全般的に夜行性なものが多く、警戒心が強く人にはなつかないらしい。食性は雑食で、コーヒー豆の件から木の実を食べるイメージを頭に思い浮かべがちだが、意外にも肉食性の方が強いようだ。


 ソフィアちゃんはすっかりジャコウネコに夢中なようなので、カメラは私が担当する。


 適当に何枚か色々な角度から写真を撮る。

 暗いのでかろうじて姿が判別出来る程度の画像となってしまっているが、私のスマホではこれが限界、むしろこの状況ではよく撮れている方だろう。


 というわけで、スマホを下ろす。


「これがジャコウネコ……」


 ガラスの向こうでウロチョロするジャコウネコを見て、ソフィアちゃんがぼそりとそんな声を漏らす。


「どう? 憧れのジャコウネコと対面した気持ちは?」

「憧れてはないけど、少し感動はしてる。名前には聞いてたけど、実物をこうして見るのは初めてだから」


 そもそも、ジャコウネコ自体が日本では珍しい動物なので、ソフィアちゃんのような人の方がむしろ多数派だろう。

 ちなみに、地元生まれ地元育ちの私は、ジャコウネコと会うのはこれが初めてではない。三度目か四度目か。とにかく、初めましてでない事だけは確かだ。


「ジャコウネコは、どうしてコーヒー豆を食べるのかしら?」


 事情を知らない人間からしてみれば、その疑問はもっともだ。なぜ消化出来ない物を口にするのか?

 けど――


「コーヒー豆って、実は種だから」

「え? そうなの?」


 私の告げた真実に、ソフィアちゃんが驚きの声をあげる。


 やはり、知らなかったらしい。


「名前は忘れたけど、コーヒーなんちゃらっていう果実があって、その種の事をコーヒー豆って呼ぶの。だから、人間がスイカの種を食べて、消化されずに出てくるのと同じ原理ね」


 コーヒー豆なんていうややこしい名前を付けるから、変な誤解が生まれてしまうのだ。大人しくコーヒー種にしておけば、誰も誤解せずに済むのに。


「じゃあ、コーヒー豆を植えたら芽が出るって事?」

「まぁ、そうなるかな。あ、でも、飲む用のコーヒー豆は加工がされてるから、植えるなら加工前の物を仕入れないと」

「いや、別に植えるつもりはないから」


 ソフィアちゃんに苦笑されて気付く。確かに、今の言い方は、ソフィアちゃんがコーヒー豆を植える事を前提にした物言いだったかも。心のどこかに、ソフィアちゃんならやり兼ねないという思いがあったのかもしれない。気を付けよう。


「それにしても、最初にあれからコーヒーを入れようと思った人は、ホント勇者よね」


 勇者……。勇気と無謀は、紙一重という事だろうか。果たしてこの場合、ソフィアちゃんがその勇者に下した評価は一体……。


「もしかしたら、初めの内は知らずに飲んでたのかも。たまたま森に落ちてたとか」


 ふと思い付いた事を、私は口にする。


「あー。後から気付いたパターン? それはヤダなー。私なら暫く寝込むかも」


 そういう物だと分かっていて飲むのと、飲んでから知るのとでは気持ちの面で雲泥うんでいの差がある。後者の場合、そういう物と知っていたら飲まなかったという可能性もあるわけだし、寝込むという表現は強ち大げさではないのかもしれない。


「ねぇ、いおは飲みたい? ジャコウネコのコーヒー」

「……」


 ソフィアちゃんに聞かれ、考える。


 どういう味や香りがするのかという、好奇心は確かにある。ただ、それは空想の延長線上というか、決して手が届かないからこその妄想というか……。とにかく、実際に望めば飲めると言われても、多分私は尻込みすると思う。


「保留で」

「あっそ」


 私の答えに対し、ソフィアちゃんは素っ気ない返しをする。


 もし私が飲みたいと答えていたら、その時は飲めたのだろうか。そう考えると、もったいない事をした気もする。

 まぁ、とはいえ、コーヒーにしては値段が馬鹿高いというだけで、今の私でも少し無理をすれば飲めなくはない金額なのだが。


「あ、首の辺りいてる」


 ジャコウネコのその仕草を見て、ソフィアちゃんが声をあげる。


 立ち止まり、後ろ足を首の辺りでシャカシャカと小刻みに動かすジャコウネコ。こういうところは、まるで――


「「猫みたい」」


 二人の声が意図せず重なる。


 思わず顔を見合わせ、私達はにこりと微笑む。


「ジャコウネコって名付けた人も、こういうのを見て名付けたのかしら?」

「かもね」


 それから私達はジャコウネコを十二分に堪能し、その場を後にした。


 ソフィアちゃんとジャコウネコのツーショットが撮れなかったのは心残りだが、どうやら開園直前に来れば明るい状態の館内に入れるらしいので近い内にまた来よう。願わくば今度もまた二人きりで。

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