第8話(2) 熱

「ごめんなさいね」

「え?」


 突然ショートカット女子に声を掛けられ、私は驚きのあまり、わずかに体を震わす。


 まさか、声を掛けられるとは思わなかった。連れが撮影に夢中になっているため、手持ち無沙汰ぶさたなのだろう。


「あの子、になるものを見つけると、すぐ写真に収めたがるの」


 少し離れたところで行われている撮影会の様子を見つめながら、ショートカット女子がそんな事を言う。


「二人は付き合ってるの?」

「はい!?」


 何を急に言い出すんだ、この人は。


「いや、今日はあんな格好だから分かりづらいですけど、ソフィアちゃんは女性ですし」

「そこは別に、勘違いしてないけど?」

「え?」


 じゃあ、なんで?


「ちなみに、私達は付き合ってるわ」

「そう、なんですか?」


 どちらかの性別が見た目と反しているわけではなく、という事だろう。私の周りでは聞いた事はないが、今時はそういう関係も珍しくないのだろう。


「変?」


 フルフルと顔を横に激しく振る。


「ありがとう」


 微苦笑のような表情を浮かべ、ショートカット女子がそう口にする。


 その表情から、彼女達の苦労の一端が垣間かいま見えた気がした。


「遠くから見てて、なんとなく二人の雰囲気がそう見えたから聞いてみたんだけど、私の勘違いだったみたいね」


 私達二人は、傍から見たらそう見えるのだろうか? そんなにおかしな行動はしていないつもりだけど……。


「あなたは、男性が好きなの?」

「……分かりません」


 今まで男性をそういう対象として見た事はなかった。もちろん、アイドルや漫画のキャラを格好いいと思う事はあるが、それはあくまで自分とは違う世界の話で、そこに恋愛感情が発生する事は当然ない。


 撮影が終わったのか、こちらを振り返り、ゆるふわ女子が手を振る。

 それに、ショートカット女子も控えめに手を振りこたえる。


「別にすすめてるわけではないけど、もしその時が来たら自分の気持ちに嘘は吐かない事ね。自分自身の事で嘘を吐くと、必ずどこかでしっぺ返しがくるから」

「それって……」


 私の問い掛けには答えず、ショートカット女子は静かに笑った。


 二人と分かれ、私達は次の動物の元に向かう。


 付き合っているという彼女達は、言われてみればそのように見えた。

 やり取り、雰囲気、表情……。友人同士以上の関係性が、そこからは見て取れる。


 恋人か……。


 全く考えた事がないわけではなかった。ソフィアちゃんとそういう関係になったらと、妄想した事も一度や二度ではない。だけど、それは所詮想像の中の出来事で、現実にはまず起こり得ない事だった。夢見る女子がテレビの向こうのアイドルと付き合うような、そんな夢物語、無想の産物、ドンキホーテの挑んだ巨人、マッチ売りの少女が最期に見た祖母のようなものだ。


「さっきの人と何話してたの?」


 歩き始めて少しすると、ソフィアちゃんがふいにそんな事を私に聞いてきた。


 撮影されている最中も、何気なくこちらの様子をうかがっていたのだろう。


「あの二人、付き合ってるんだって」

「へー」

「それで――」


 次の言葉が出てこなかった。


 さり気なく口にしてしまえばなんでもない話になるのに、それがどうしても出来なかった。


「それで?」


 突然言いよどんだ私に、ソフィアちゃんがそう続きをうながす。


めなんかを少々……」


 結局、私の口を突いて出たのは、真実とは程遠い誤魔化ごまかしの言葉だった。


「ふーん」


 ソフィアちゃんはそんな私の様子を怪しみながらも、一応納得したように振る舞う。


 追求されてもこれ以上は何も出てこないので、正直助かる。


「で、いおは二人が付き合ってるって聞かされて、どう思ったの?」

「どうって……。別に、そういう事もあるのかなって」


 当事者なら何か思う事もあるかもしれないが、人様の話なら個人の趣味趣向の範疇はんちゅうに収まる事柄なので、特に何かを思う事はない。強いて言えば、堂々としていて格好いいなと思ったぐらいだろうか。


「そっか……」

「ソフィアちゃんは? そういうの抵抗ある人?」


 震えそうになる声を必死に抑え、私はそうソフィアちゃんに尋ねる。


 その答え次第では、私のこれからの人生が決まる可能性がある。決して大げさな表現ではなく、割とマジで。


「私も別に、当人同士の自由かなって。外野がとやかく言う事じゃないしね」

「だよね」


 ソフィアちゃんの答えを聞き、私は内心でほっと胸をで下ろした。


 あくまでも他人に対する話ではあるが、ここで拒否反応を示されたら当然その先はない。

 とりあえず、前段階はクリアといったところだろうか。


 ……いや、何私は、ソフィアちゃんと付き合う事を前提で話を進めているのだろう。いつの間にか思考があらぬ方向に羽ばたき始めており、自分でもびっくりだ。


 それに、私はまだ完全に自分がそうだと認めたわけでは……。


「いお」


 手をつかまれ、無理矢理歩みを止められる。


 その衝撃で、腕が少しビーンとなり、主にひじにダメージが加わる。

 とはいえ、痛みは一瞬、長引くものではない。


「どこまで行くの?」


 どうやら私は、無意識に次の動物の場所を通り過ぎていたらしい。


「ごめん。ぼっとしてた」

「まったく。気を付けてよね」


 そのままソフィアちゃんに手を引かれ、ビーバーの柵の前に行く。


 変な事を考えていたせいか、繋いだお互いの手の結合部が、まるでホッカイロのようにやけに熱く感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る