第8話(1) 熱

 昼食を終えると私達は、いよいよ北園に足を踏み入れる。

 主役は最後に登場という事で、まずはジャコウネコやコツメカワウソがいる自然動物館を避け、他の所を見て周る事にした。


 柵の向こうには、カピバラがいた。

 動作はゆっくりで、止まっている時間も長い。水浴びをしている者、日向ぼっこをしている者、草をムシャムシャ食べている者……。それぞれがぞれぞれの方法で、のんびり自分の時間を過ごしていた。


「カピバラって、なんか呑気のんきよね」


 そんな彼らの姿を見て、ソフィアちゃんが気の抜けた声でそう口にする。


「ねぇー。見てると、こっちまで気がゆるんじゃう」


 かく言う私も、大分のほほんとした感じになっていた。どうやら、カピバラのあの雰囲気は見ている者に伝染するらしい。


「思考回路がのんびりなのかしら」

「かなー」


 こんな調子で、自然界でやっていけるのだろうか。

 らぬ心配と分かっていながら、ついついそんな事を考えてしまう。


「でも、走ると意外と速いらしいよ」


 そう。カピバラは、あの見た目に反して実は足が速い。最高速度は、なんと時速五十キロ。まさに車並だ。


「へー。まるでカバみたいね」

「げっもく界のカバって言われるくらいだから、色々と似てるのかも」


 頻度ひんどこそ違えど水の中によくいるし、川辺にいる事も多い。動きも普段はゆっくりで、だけどとっさの時には素早く動ける。

 うん。そう考えると、よく似ている。というか、そっくりだ。


「いお、スマホ貸して」

「あ、うん」


 私は言われるがまま、ソフィアちゃんにスマホを手渡す。

 写真を撮るのだろう。


 ところが、ソフィアちゃんは私から距離を取るどころか、むしろ距離を詰めてきた。


「え? ソフィアちゃん?」


 そして、肩に手が回される。


「ほら、撮るわよ」


 言われ、慌ててスマホを見る。

 画面には私達が映っていた。つまり、インカメラ、自撮りという事だろう。


「はい。三、二、一」


 カシャッという音がスマホから鳴る。


 満面の笑みを浮かべるソフィアちゃんと、引きった作り笑いを浮かべる私。両極端な二人がそこには映っていた。


「ちょっと、いお。表情、硬いわよ」

「いや、急にこんな事されたら、誰だってびっくりするって」


 もしかしたら、ようキャの人なら動揺する事なくすぐに順応するかもしれないが、私は残念ながらいんの方の人だった。こういう仕打ちには慣れていないし、慣れる予定もない。


「じゃあ、もう一枚」

「うん……」


 頷き、私は改めてスマホに視線を向ける。


 密着する体に未だ心臓はドキドキしているけど、不意打ちでない分、先程よりは平静をよそおう事が出来る。


 そう。あくまでも装っているだけで、全然平常心ではない。沈まれ、私の心臓。


「はい。三、二、一」


 再び、スマホからカシャッという音が鳴る。


 今度はマシな顔を作る事が出来た。少しぎこちなさはあるが、状況を考えれば上出来だろう。


「これはこれで可愛くていいんじゃない?」

「……」


 ソフィアちゃんの言い方に引っ掛りを覚えるが、言いたい事は分かるのであえてそこにツッコむ事はしない。藪蛇やぶへびになるかもしれないし。


「はい」


 スマホが返される。


 画面にはまだ、今さっき撮った写真が映ったままだった。


 その様は、まるで学校一のイケメンに絡まれた陰キャ女子のようだ。いや、まるでも何も八割方その通りなのだが。


 ちなみに、後方にはカピバラもちゃんと映っている。

 今の一瞬で最適な構図を作り上げるなんて、さすがソフィアちゃん、センスがある。


「あのー」


 ふいに正面から声が掛けられる。


 声のした方に目をやると、ゆるふわロングヘア―の女性が少し離れた所に立っていた。

 年は二十歳くらいだろうか、容姿に加え格好もどこかガーリーで、まさに女の子といった感じの外見だった。


 連れの人だろうか、彼女の背後にはショートカットの女性が控えていた。

 こちらも年は二十歳前後、格好は飾り気がなくシンプルな装い。全体的に外連味けれんみのない風貌ふうぼうをしている。


 あれ? よく見ると二人、おそろいの指輪を付けてる? まぁ、仲のいい友達同士なら、こういうのも有りなのだろう。そんな話を、ネットか何かで見た気もする。


「写真、いいですか?」


 ゆるふわ女子が首から掛けたカメラを持ち上げ、ソフィアちゃんにそう尋ねる。


「いいですよ」


 その申し出に対しソフィアちゃんは笑顔で了承の言葉を返すと、ゆるふわ女子に向かって、カメラを受け取ろうと手を伸ばす。


「あ、そうじゃなくて」


 しかし、ゆるふわ女子の返答は、予想に反しそれを否定するものだった。


「え?」


 ソフィアちゃんが声をあげる。


 当然だろう。私も、そのカメラで写真を撮るものだとばかり思っていた。というか、他に選択肢が思い浮かばない。


「あなたを撮らせて欲しいんですけど」

「「はい?」」


 だから、その思いも寄らぬ言葉に、私とソフィアちゃんは声を揃え、思わず顔を見合わせるのだった。

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