第7話(1) 子連れ

 マヌルネコは、くだんの動画でブレークした期待の新星だ。

 もちろん、昔から日本にもいたのだろうが、少なくとも私はマヌルネコという生き物の見た目はおろか、名前すら知らなかった。


 ちなみに、その動画を作ったのは、今日訪れているこの動物園とは違う動物園だ。だからどうという事もないが、一応情報として知っておいて損はないだろう。


 体はモフモフとした体毛に覆われており、耳は丸く小さく、足は短い。顔にある模様が特徴的で、目から頬に掛けて二本線のようなものが入っている。顔付きは独特で、よくパーツが顔の真ん中に寄っているとしょうされる事がある。


「マヌルネコは猫なのよね?」


 ジャコウネコの事があるからか、ソフィアちゃんがマヌルネコのおりの前で、そんな事を聞いてくる。


「うん。そこは大丈夫」


 自分でも何が大丈夫なのかは不明だが、マヌルネコが猫なのは間違いない。


「そう」


 一連の会話をしている間も、ソフィアちゃんの視線はマヌルネコに釘付けだった。


 爛々らんらんと輝く瞳はまるで、ガラスケースの中に飾られたトランペットを見つめる少年のようだ。


 ソフィアちゃんの本命は、まだ他にあるというのに……。この様子だと、ジャコウネコの前に行った瞬間、感極まって泣き出しそうだ。いや、実際にそんな事は起こらないとは思うが、それに近い事を起こりそうである。


「写真撮ってあげようか?」

「うん」


 その素直な返事に、私は少し面食らう。


 普段のソフィアちゃんからは考えられない反応だった。これが、マヌルネコパワーというやつだろうか。


 ソフィアちゃんを檻の前に立たせ、スマホで写真を撮る。


 先程カワウソと写真を撮った時はその顔に微笑を浮かべていたソフィアちゃんだったが、今度はにやけ顔というか、あふれ出す感情が隠しきれない様子だった。


「貸して」


 言われるまま、こちらに近寄ってきたソフィアちゃんにスマホを渡す。


「……」


 少し渋い顔をした後、それでも納得したようにソフィアちゃんがスマホから目を離す。


「いおも撮ってあげる」

「私? あー。じゃあ、お願いしようかな」


 特に断る理由もないので、ソフィアちゃんと入れ替わる形で今度は私が檻の前に立つ。そして、パシャリと一枚写真を撮影してもらう。


「はい」

「ありがとう」


 返ってきたスマホに目をやる。


 可もなく不可もなくといった、普通の写真がそこにあった。


 自分でも分かっていた事だが、カワウソの時程はテンションが上がっていないようだ。画面に映る自分の表情にそれが、明らかに出ている。


 いや、マヌルネコも十分可愛いので、それなりにテンションは上がっているのだが、カワウソの時と比べてしまうとどうしてもそちらには劣る。

 当然、マヌルネコが悪いわけではない。私の好みの問題だ。


 その分、ソフィアちゃんのテンションは上がっているようなので、プラマイゼロという事でここは一つ。


「ねぇ、見て見て。カクカクしてる」


 私の肩をトントンと叩き、ソフィアちゃんが歩くマヌルネコを指差し、興奮した面持ちでそう私に告げる。


「だねー」


 私はそれに対し、孫を見る祖母に似た気持ちで言葉を返す。


 うんうん。ソフィアちゃんが楽しそうで何よりだ。


「なんであんな動きになるのかしら?」

「あぁ。あれは、マヌルネコの狩りの仕方のせいだね」

「狩りの仕方?」


 私の言葉に、ソフィアちゃんが首を傾げる。


「マヌルネコは、薄暗い時間帯に音を立てずに獲物に近付き、気付かれないように一気に仕留めるの」


 その理由は、天敵である猛禽もうきん類がその時間帯は活動を休止するためだ。


「へー。そうなんだ」

「だから、たまにダルマさんが転んだみたいに、動いては止まってを繰り返す動作が自然と出ちゃうんだよ」


 動物園では狩りをする必要はないのであんな動きをしなくてもいいのだが、生まれ持った習性というやつはそう簡単に変わるものではない。きっと、あの動きが遺伝子レベルに刻み込まれているのだろう。


 人間はカクカクしていて可愛いとか言うが、本人は至って真面目に生きているだけで、それなのに可愛いと言われて本当は不本意なのではないだろうか。私も意図しないところで可愛いと言われて戸惑うので、その気持ちは多少分かる。


 マヌルネコと目が合う。


 何か気持ちと気持ちが通じ合った気がした。……多分、気のせいだけど。


「なんか今、いおの事じっと見てたね」

「変なやつがいるって警戒されたんだよ、きっと」

「そうかなー。気に入られたんじゃない?」

「まっさかー」


 その証拠に、マヌルネコは興味を無くしたのか、もう私の方を見てはいなかった。それどころか檻の後方に行ってしまい、あまり見えなくなってしまった。


「行っちゃった」


 ソフィアちゃんが残念そうに、そう呟く。


 その自由きままな感じは、さすが猫科といった感じだった。

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