第15話(1) 練習

「これに着替えて」


 そう言ってソフィアちゃんから手渡されたのは、いわゆるトレーニングウェアだった。


 この状況、手にする物こそ違えど、激しくデジャブを感じる。

 あれは忘れもしない六月の中頃、時間帯も場所も状況も同じ、違うのはそれこそ服の種類くらいで……。うっ、その後の事を思い出したら、突然頭が……。


 気持ちを落ち着かせるためにも、改めて自分の今置かれている状況を整理する。


 放課後、ソフィアちゃんにお呼ばれした私は、彼女の部屋でなぜか着替えを強要されていた。

 強要というと言い方はアレだが、私に拒否権は無さそうなので、まぁ結局は言葉遊び、意味は同じだろう。


「えーっと、なんで?」


 とはいえ、一応理由を聞いてみる。

 拒否権は無くても、質問する権利くらいはさすがに認められているはずだ。


「これから練習するから」

「練習? なんの?」

「決まってるでしょ? 走りの、よ」


 いや、確かにそうかもしれないという予想は付いていた。ソフィアちゃんの後二週間あるという言葉も、この状況に対するヒントと言えばヒントだった。

 だが――


「今から?」


 長距離走の練習をするならその辺を走ればそれで済むかもしれないが、短距離走の練習となるとさすがにそうはいかないだろう。もしやるなら、大きな公園もしくは陸上競技場にでもいかないと……。


「安心して実際に走るわけじゃないから。その前段階、体の動かし方を教えてあげる」

「体の動かし方?」


 よく分からないが、それをマスターすればきっと足が速くなるのだろう。

 だとしたら、こばむ理由がない。


 私は制服をぎ、手渡された服に着替える。


 その側では、ソフィアちゃんも同じくトレーニングウェアにお着替え中だった。

 トレーニングウェアはどちらの物も、上は若干タイトめの半袖半袖のTシャツ、下はレギンスと、上半身もさることながら下半身に関してはかなり体のラインが出る格好となっていた。


 ソフィアちゃんの趣味だろうか。こんなの余程スタイルに自信がある人間しか着られない、メンタル強々星人専用装備だ。とてもじゃないが私は、好き好んでこの格好かっこうをしようとは思わない。需要もないだろうし。


「うん。いい感じね」


 着替え終わったソフィアちゃんが、私の姿を見てそう感想を告げる。


「これって……」

「そう。下半身の動きを見やすくするため。これだと股関節の動きもよく分かるから」

「あー。そういう……」


 まぁ、分かっていたけどね。短距離走は特に、細かな動きの確認が大事だから。


 大体、いくらソフィアちゃんでも自分の趣味を優先して、私にこんな服着させるはずないじゃないか。……いや、冷静に考えれば、水着も結局ビキニになったし、ソフィアちゃんならねない、かも。


 いだ制服はハンガーに掛けて、部屋の隅にるす。二人分の制服が仲良く並んだ。


「後、これね」


 次に手渡されたそれは、運動ぐつだった。


「えーっと……」


 これは今いた方がいいのか、それとも外で履いた方がいいのか。そもそもの話、今からどこでその練習をするのか、それさえまだ私は聞かされていなかった。


「あ、それ室内用にしてるやつだから、今履いちゃっていいわよ」


 もう一足の靴を取り出しながら、ソフィアちゃんがこちらを見ずに私の疑問に答える。


「あ、うん」


 言われるまま私は、運動靴に足を通す。


 服同様サイズに問題はなく、履き心地に違和感という程の違和感はなかった。


「じゃあ、行きましょうか」


 靴を履き終えたソフィアちゃんが、そう言って扉の方に歩き出す。


「え? どこに?」


 私の質問に、ソフィアちゃんが足を止め振り返る。


「どこって、リビングに決まってるじゃない」


 それは、まるであの日を再現するかのような台詞せりふだった。


 というか、ソフィアちゃんの中で練習はリビングという、謎の決め事でもあるのだろうか。

 まぁ確かに、(私の知る限りでは)早坂家の中で一番広いスペースが確保出来るのはリビングなので、ある程度動き回すのならばあそこが適当なのだろう。とはいえ、決まっていると言える程かと言われたら……。


「何?」

「ううん。なんでもない」


 ソフィアちゃんの問い掛けに、私は慌てて首を横に振る。


 一瞬、本気で心を読まれたのかと思った。

 多分、態度や顔色から何かを察したのだろうけど、声を発するタイミングが絶妙過ぎて思わずそう錯覚してしまう。なんにせよ、気を付けよう。


「行くわよ」

「うん」


 今度こそソフィアちゃんが部屋を後にし、私もその後に続く。


 行き先はリビング。私が文化祭前に地獄の三日間を過ごしたあの場所だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る