第9話 ロスタイム

 昼過ぎになり、私達は帰宅の準備を進める。


 どうやら、帰りは望愛さんが駅まで送っていってくれるらしく、典孝さんに連絡しなくて良くなったと先程ソフィアちゃんが言っていた。


「忘れ物ない?」


 ソフィアちゃんに言われ、室内を見渡す。


 とりあえず、見える範囲にはなさそうだ。それに、荷物は目覚めてから何度もチェックしたので、百パーセントではないが、


「多分大丈夫」


 だと思う。


「まぁ、後で見つかったら私の家に送ってもらうようにするから、最悪いいけどね」


 それはそうなのかもしれないけど、逆に旅館やホテルに忘れるより、知り合いの家に忘れる方が仕事というフィルターを介していない分、余計に恥ずかしい気がする。


「行こうか」

「あ、うん」


 ソフィアちゃんに促され、私は部屋を後にする。


「……」


 最後に後ろを振り返り、室内を見やる。


 たった数日とはいえ、長い時間をお世話になった部屋だ。いざ離れるとなると、やはりそれなりの感慨かんがいが浮かんでくる。


「いお?」

「ごめん。今行く」


 返事をし、今度こそソフィアちゃんの元に向かう。


 私が隣に並んだのを見届けてから、ソフィアちゃんが歩き出す。私もその後に続く。


「なんか、あっという間だったね」

「いおは慣れない場所だし、余計にそう感じたんじゃない?」

「確かに」


 見るもの全てが真新しくて、その一つ一つに目を奪われていた気がする。


「中でも一番のお気に入りは?」

「やっぱり、お風呂かな」


 あれはいいものだ。広さ、見た目、そして浸かった感じ。どれを取っても最高という感想しか思い浮かばず、可能であれば毎日あれに入りたいくらいだ。


「いお、相当気に入ってたもんね」

「だって、あんなの旅館でしかお目に掛かれないし、お風呂はやっぱり日本人の魂、じゃない?」

「……そう」


 鼻息荒く熱弁する私に、ソフィアちゃんが若干引いたような反応をみせる。


 どうやら、ソフィアちゃんは気付いていないようだ。自分がいかに恵まれた立場にいるかを。望めばあのお風呂に入れるなんて、美人な転校生と友達になるくらいの幸運だというのに。


「まぁ、また来ればいいんじゃない? おばあちゃんもいおの事気に入ったみたいだし」

「うん……」


 友達のおばあちゃんの家にそう何度も訪れる機会があるとは思えないけど、いつかまたそういう機会があれば是非。


 玄関に着くと、ライラさんと望愛さんが私達を待ち構えていた。


 望愛さんには駅まで送っていってもらうのでお別れはもう少し先だが、ライラさんとはここでお別れとなる。


「お世話になりました」


 ライラさんに向かって、私はそう言ってしっかりと頭を下げた。


「いえ、大したおもてなしも出来ませんで」


 そんな事を言い、今度はライラさんが頭を下げる。


 そして私達は、次の瞬間、どちらともなくクスリと笑い、視線を合わせる。


「また来てください」

「はい」


 自然と口から零れ出たその言葉に、先程のような迷いや戸惑いは一切なかった。


「そろそろ行きましょうか」


 望愛さんの言葉を掛け声に、私達は靴を履き、外に出る。


 二人分の荷物を(車は違うが)来た時同様トランクに積み込むと、望愛さんは運転席に、私は後部座席の左側に乗り込んだ。


「ソフィアもまた来てね」


 車に乗ろうとしたソフィアちゃんに、ライラさんがそう声を掛ける。


「私はいおのおまけ?」

「そんなわけないじゃない」


 ソフィアちゃんから返ってきた言葉に、ライラさんが苦笑を浮かべる。そして――


「あなたは私の大事で可愛い孫なんだから」


 優しい笑みを浮かべ、ソフィアちゃんにそんな言葉を告げた。


「冗談よ。またね、おばあちゃん」


 ライラさんとの会話を終え、ソフィアちゃんが後部座席の右側に乗り込む。照れているのか、その頬はほんのり赤く染まっていた。


「じゃあ、行くよー」


 望愛さんの声と共に、エンジンが掛かり、いよいよ車が発進する。


 その間際まぎわ、ソフィアちゃんがボタンを押し、自分に一番近い窓を開けた。


「バイバイ、おばあちゃん」

「本当にありがとうございました」


 ソフィアちゃんの方に体を乗り出し、私もソフィアちゃんに続いてそう口にする。

 それに対してライラさんは、笑顔で手を振り応えたのだった。



 数十分後。車が駅のロータリーに停まる。

 車を降り荷物を受け取ると、私達は望愛さんと向き合った。


「色々とありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」


 私の発したお礼の言葉に、望愛さんが少しおどけた感じでそんな風に言葉を返す。


「じゃあね、ミア姉」

「あ、ちょっと待って」


 さっと駅に向かおうとしたソフィアちゃんを、望愛さんが呼び止める。


「二人共後ろ向いて」

「?」


 首を傾げる私とは対象的に、ソフィアちゃんはまるでそう言われる事が分かっていたかのように、すんなり望愛さんに背中を向けた。それを見て、私も望愛さんに背中を向ける。


 次の瞬間、背中に少し強めの衝撃が走った。


「???」


 え? 何? 叩かれた? なんで?


「よし。行ってらっしゃい」

「ほら、行くよ。いお」

「え?」


 何がなんだかよく分からないまま、私はとっとと先に行くソフィアちゃんの背中を追い掛けて駅へと向かう。


 ちらりと後ろを振り向くと、望愛さんが笑顔でこちらに手を振っていた。


「あはは」


 とりあえず笑顔を作り、手を振り返しておいた。


「今の何?」


 言いながら、私は勢いよく顔をソフィアちゃんの方に向けた。


「おまじない?」

「なんで疑問系?」

「私もよく知らないから。気にするだけ損よ。ただの景気付けくらいに思っておきなさい」

「うん……」


 納得したわけではないが、深く考えたところで答えが出るものでもないし、ソフィアちゃんの言うように軽い気持ちで捉えよう。


 改札を潜り、ホームに立つ。


 周りに私達以外の姿はなく、ホームは閑散としていた。


 電車は一時間に一本。乗り遅れないよう早めに来たため、待ち時間は三十分程ある。

 という事で、私達はベンチに並んで腰を下ろし、その時を待つ事にした。


「家帰ったら何する?」

「何よ急に」

「いや、なんとなく」


 ただの思い付き、世間話の一環だ。最早気を遣うような間柄でもないし、これくらいの話題ぐらいがちょうどいいだろう。


「そういういおは、何するのよ」


 質問に質問を返すとは。まったく、ソフィアちゃんはマナーがなってないな。


「とりあえず、自分の部屋でゴロゴロするかな」


 とはいえ、特に気にする事でもないので、普通に答える。


「ゴロゴロね」

「じゃあ、ソフィアちゃんは何するの?」


 何やら私の答えに対して思うところがありそうな感じのソフィアちゃんに、私は再び同じ質問をぶつける。


「……ダラダラ」

「一緒じゃん!」

「もう、うるさいわね。いいでしょ、別に」


 いや、別にいいけど。反応が反応だっただけに、何か違う答えが返ってくるものだとばかり思っていたので、正直肩かしを食らった気分だ。


「でも、丸二日以上ソフィアちゃんと一緒だったから、いざ一人になったら違和感覚えるかも」

「大げさ。たった数日じゃない」

「まぁ、そうなんだけどさ」


 ふと思っただけで、私だって実際にそうなるとは思っていない。ただ、そうなるかもというだけの話で。


「寂しかったら、電話してもいいわよ」

「えー。して欲しいの?」

「じゃあ、しなくていい」

「うそうそ。します。させてください」

「たく、最初から素直にそう言えばいいのよ」


 素直? どの口がそんな事を言っているのやら。……小ぶりで瑞々みずみずしい赤いお口でした。


「いおってこの後予定あるの?」

「予定? ないけど」


 というか、今まさに二泊三日の旅行から帰ろうとしているのに、この後の予定も何もないと思うのだが。


「じゃあさ、ウチ寄っていかない?」

「え?」


 なんで? そんな話に?


「ほら、積もる話もあるだろうし」

「いや、そういうのは久しぶりに会った相手にするものだから」

「言葉の綾ってやつよ」


 つまりは、単に私と離れたくないという事か。ホント、ソフィアちゃんは可愛いな。


「いいよ。ソフィアちゃんがそうして欲しいなら」

「別にそういうわけじゃ……」

「違うの?」

「あー、もう。来るか来ないかはっきりしなさい」

「分かった。行くから」


 私は笑いをみ殺し、そう返事をする。


 後、約二時間、そこにプラスアルファが加わり、まだまだ私とソフィアちゃんの初めての旅は終わりそうになかった。




第一章 目には見えないもの <完>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る