第8話(2) 写真

 その後、私達は一度部屋に戻って準備を整えると、すぐさまお風呂へと向かった。


 脱衣所で服を脱ぎ、いつものように先にソフィアちゃんが体を洗う。その間、私は湯船に浸かり――以下略。


 体を洗え終えた私は、ソフィアちゃんの正面に腰を下ろす。


 手足を存分に伸ばせる事もあり、お湯の心地良さが五臓ごぞう六腑ろっぷに染み渡る思いだった。


「どうかした?」


 対面に座るソフィアちゃんから、ふとそんな問い掛けが飛んでくる。


「何が?」

「いや、おばあちゃんの部屋を出た辺りから、なんか変だから」


 さすがソフィアちゃん、私の事を良く見ている。

 まぁ、私の態度が分かりやすかっただけという可能性もあるが。……というか、その可能性の方が高い。


「……」


 私は少し悩んでから、


「仏壇の上に写真があったじゃない?」


 と口を開く。


 角度的に部屋に入る時は気にならなかったが、出て行く時にふと目に付いてしまった。


「あー、おじいちゃんの」

「やっぱり……」


 あれは、ソフィアちゃんの亡くなったおじいさんの写真だったんだ。状況的にそうではないかとは思ったが、まさか本当に……。


「それがどうかした?」

「うん。私、川から帰ってきて昼寝したじゃない?」

「あぁ、うん。したね」


 お風呂に浸かって気がゆるんでいるからか、ソフィアちゃんの返答はどことなく気の抜けたものになっていた。


「それで起きた後、トイレに向かったでしょ?」

「うん。それで?」

「その途中で会ったんだよね」

「誰と?」

「あの写真に映ってたおじいさんと」

「……」


 私の突拍子とっぴょうしもない話に、ソフィアちゃんの表情がわずかにくもる。


 そりゃ、そうだ。私だって、言っていて自分の言葉がおかしい事くらい自覚している。すでに亡くなった人に会ったなんて、普通に考えれば、寝ぼけて見間違えたか激しい思い込みをしているかのどちらかだろう。けれど、なぜか思い返してもそうは思えず、確かに写真の人物だったという確信めいた思いが私の中にうず巻いていた。


「まさかあれって……」


 幽霊?


「いおって霊感ある人?」

「さぁ? 昔、熱にうなされた時にそれっぽいのは見たけど、何せ発熱中だから夢現だっただけかも」


 あれは小学生の頃、インフルエンザに掛かり、自分の部屋ではなく両親の部屋で昼間に布団で寝ている時だった。ふと気配を感じ窓の方を見ると、窓は閉まっているのにカーテンが揺れ、そこに黒い人影らしきものが浮かんだ。その人影はすーっと私の方に近付いてくると、枕元を通り扉の方へ姿を消した。その後私が、慌てて一階にいた母親の元に泣きつきにいったのは、子供として当然の行動だろう。


「後は、誰もいないのにいるって思ったり? 家の近くの道路脇なんだけど、毎回同じ場所なんだよね。ほら、あの階段の下。刷り込みや思い込みの類なんだろうけど」


 一回いるかもと思ったら最後、その場所に意識を取られてしまう。これもなんちゃら現象の一種なのだろうか。


「ちなみに、どこで見たの? その人」

「部屋を出て、廊下の角を曲がった少し先。廊下の真ん中辺りにポツンと立ってて」


 思えば、気配がひどく希薄だったような気がする。そのせいで、最初からそこにいたのに気付くのに遅れてしまった。


「なんでそんな所にいたのかしら」

「花を見てたみたい」

「花?」

「確か、キバナコスモスとかいう」

「あぁ……」


 ソフィアちゃんの反応を見るに、その花には何かしらの情報ないし意味があるように思えた。


「おばあちゃんが好きな花なのよ。それでおじいちゃんがあの場所に植えたの」

「じゃあ――」


 私が会ったあの人はやはり……。


「幽霊の正体見たり枯れ尾花ってね」

「私の勘違いって事? でも、私はこの目で写真に映ってる人を見たんだよ」

「けど、いおは写真に映った人とは直接会ってないでしょ?」

「それは……」


 もちろんそうだけど。


「ほら、マッチングアプリで会う約束して、実際に会って見たら全然違う印象の人が来たって話よく聞くじゃない? 写真なんてその一瞬を切り取ってるに過ぎないんだから、そのままその人の姿をそこから見て取るのは不可能でしょ」

「つまり、私が会ったのはそっくりさんって事?」

「そう。というか、普通に考えたらそれしか考えられないじゃない」

「でも、じゃあ、あの人は一体……」


 誰だったんだろう?


「お客さん」

「え? あぁ……」


 ソフィアちゃんの一言で思い出した。そう言えば、あの時お客さんが来ているからとソフィアちゃんに言われたっけ。


「そのお客さんが、ソフィアちゃんのおじいさんに似てたって事?」

「まぁ、兄弟だからね。それなりには似てるでしょ」

「なるほど」


 つまり、私の早合点。昼に変な話を聞いたせいで、思考がそちらに行きやすくなっていたのかもしれない。


「良かった……」


 やはり、幽霊の正体は所詮しょせん枯れ尾花という事か。


「とはいえ、いおが幽霊を見たという可能性も捨てきれないけど」

「ソフィアちゃん」


 私は怒った感じを言葉に乗せて、目の前の少女の名前を呼ぶ。


「ごめんごめん。いおがあんまり怖がるから、からかいたくなっちゃって」

「もう」

「でも、もし本当におじいちゃんの幽霊だったら、私も会ってみたかったな」

「……」


 亡くなった人にもし会えるなら。それは大事な人を亡くした、ほとんどの人が思う事だろう。しかし、それは夢物語。実際には実現しない空想のお話だ。


「そう言えば、浩一こういちおじさん――あぁ、今日来たお客さんね。おじいちゃんより五歳年が若いから、ちょうどあの遺影撮った時と同じ年齢なのよね。だから、余計似てたのかも」

「そうなんだ」

「もう七十七か。そう考えると若いわよね。背中がちょっと曲がってきちゃってるけど、薬も特に飲んでないみたいだし、ホント凄いわ」


 七十七か。先の事過ぎて想像も付かない。その頃には今より半世紀以上の刻が経っているわけだから、そもそもどんな世界になっているかも分からない。タイムマシーンはさすがに無理だろうけど、漫画やアニメの未来が現実になっている可能性だってある。


「五十年後に私達、まだ一緒にいるのかな……」

「そんな先の事分からないわよ」


 私がぽつりとこぼしたたわごとに、ソフィアちゃんがそう律儀りちぎに言葉を返す。


「そりゃ、そうだよね」

「けど、五十年後もこうして一緒にお風呂に入れたらいいわよね」

「……うん」


 自分で言っておいてがらではないと思ったのか、ソフィアちゃんが視線を私から逸らす。彼女の頬が赤いのはお風呂の熱のせいかはたまた……。

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