第6話 仲良く

「……」


 どうやら、いつの間にか眠っていたようだ。


 川から帰ってきて、ソフィアちゃんと一緒にお風呂に入ったところまでは覚えている。それから……。


 顔を右に動かす。ソフィアちゃんが座椅子に座り、本を読んでいた。


「おはよう。よく眠れた?」


 本を閉じ、ソフィアちゃんがこちらを向く。


「私、どのくらい寝てた?」

「四十分くらい? 一時間はってないと思う」


 四十分……。まぁ、それくらいなら。


 体を起こす。すると、タオルケットが足の上に落ちた。


 ソフィアちゃんが掛けてくれたのだろうか。


 タオルケットを畳んで下に置くと、私はおもむろに立ち上がった。


「どこ行くの?」


 私のその行動を見て、ソフィアちゃんがそう声を掛けてくる。


「トイレ」


 思えば、川に行く前に行ったきり、ずっと行ってなかった。水分も取ったし、そろそろ頃合いだろう。


「お客さん来てるみたいだから」

「ん」


 鉢合はちあわせたら粗相そそうのないようにしろという事だろう。寝起きの私にそのミッションをどこまで完璧に遂行すいこう出来るかは分からないが、出来る限りの努力はしよう。


 部屋を出て廊下を歩く。外側は上部が硝子がらす張りの障子しょうじになっているため、外からの光が入ってきて、また景色もよく見える。


 松やしば、大きめな石に灯籠とうろう等が置かれた、日本庭園とも呼べるその光景は、何度見ても心を奪われる。不便がある事は分かるが、こんな所に住めたらどれだけ幸せだろうか。


「!」


 外の景色に気を取られていたためか、廊下を曲がった先にいた人物に気付くのが一瞬遅れた。


 いきなり目の前に現れたような錯覚さっかくを覚え、思わず変な反応をしてしまった。


「こ、こんにちは」


 数メートル先に立ち、外の景色を見ていた人物に私は心を落ち着かせながらそう挨拶をする。


 すると向こうは私の存在に気が付いていなかったのか、こちらを見て驚いた表情をその顔に浮かべた。


 年は八十には届かないくらいだろうか。背は私より高く、百七十程。線は細くせ型。姿勢は良く、背筋はピンと伸びていた。白く染まった髪はうす――もとい、とても短く、肌が見え隠れしている。


「こんにちは、おじょうさん。すまないね。声を掛けられるとは思ってなくて」


 優しい笑みを浮かべ、おじいさんがそんな風に謝罪の言葉を口にした。


「いえ、こちらこそ驚かせてしまったみたいで、申し訳ないです」

「では、お互い様という事でここは一つ」

「そうですね」


 おじいさんが笑い、私もそれに釣られて笑う。


 不思議な雰囲気の人だ。しかし、嫌ではない。むしろ、話していると、落ち着きや安心を覚える。


「何を見てたんですか?」


 だからだろう。そんな質問が自然と口を突いて出たのは。


「花を見てたんです」

「花?」


 言われ、私も同じおじいさんと同じ方を見る。


 庭の一角に、黄色い花がたくさん咲いていた。見

た事あるようなないような、とにかく綺麗な花だ。あれは、なんていう名前の花なんだろう?


「キバナコスモスと言います」


 私の思考が顔や態度に出ていたのか、おじいさんがそう花の名前を教えてくれた。


「花好きなんですか?」

「そうですね。特にあの花は」

「何か思い入れでも?」

「えぇ」


 私の言葉にうなずいたおじいさんの表情はどこか寂しげで、それ以上の深追いはとても出来そうになかった。


「ところでお嬢さん。どこかに向かってる途中だったんじゃないのかい?」

「あ」


 そうだった。


「すみません。私はこれで」

「あぁ。仲良くしてくれてありがとう」

「え? あ、はい」


 頭を下げ、当初の予定通りトイレに向かって足を進める。


 仲良く、か。


 少しオーバーな気もするが、言いたい事は分からないでもない。あのくらいの年の人は若い子と話す事で元気をもらえるって言うし、きっとそういう事が言いたかったのだろう。……当然、私にはまだ分からない感覚だが。




 部屋でくつろいでいると、ふいに遠くの方からエンジン音が聞こえてきた。その音は徐々に大きくなり――そして止まった。


「来たみたいね」


 それを合図に、おもむろにソフィアちゃんが立ち上がる。


 出迎えに行くのだろう。


「私も」


 その姿を見て、私もそう言って立ち上がる。


「そうね。一緒に行きましょ」


 部屋を後にすると、ソフィアちゃんを船頭せんどうに、廊下を進む。向かった先は玄関だった。


 そこで私達はしばし待つ。


 程なくして、扉が開き、典孝さんと金髪碧眼の美女が姿を現す。


 状況的にこの女性が、ライラさんの娘さんであり望愛さんのお母さんなのだろう。


 容姿は親子という事もあって、望愛さんによく似ている。いや、望愛さんがこの女性に似ているのか。


 金髪碧眼。身長は百七十程。髪は長く、後ろ髪は肩甲骨辺りまで伸びている。スタイルはいいが、モデルというよりは女優さんにいそうな風貌だ。その辺りの違いは、バランスやら雰囲気やら、とにかくそんな感じだろう。

 全体的に優しそうというかおっとりした感じで、ママと呼びたくなるオーラをまとっていた。……どんなオーラだ、まったく。


「お」

「あら」


 私達の姿を見て、典孝さんと女性がそれぞれ声をあげる。


「やぁ、二人共元気だったかい?」

「お陰様で。マヤさんお久しぶりです」


 典孝さんの軽口を適当にあしらい、ソフィアちゃんがもう一方の人物に挨拶をする。


「あら、ソフィアちゃん、少し見ない内に益々ますます綺麗になって。……もしかして、そちらが?」


 言葉と共に、ソフィアちゃんに向けられていた視線が、ふいに私の方に移る。


「は、初めまして、水瀬いおと言います。ソフィアちゃんとは学校のクラスメイトで……」

「ご丁寧にどうも。柊マヤです。ソフィアちゃんのお父さんの姉をやってます」


 姉? そうか。姉か……。雰囲気も相まって、勝手にジョウジさんの方が年上だと思ったのだが、言われてみれば……。うーん。


「ホント可愛い子ね。お人形さんみたい」


 私に顔を近付け、望愛さんと同じ事を言うマヤさん。さすが親子と言うべきか。


 それにしても、近い。こんな至近距離で美女に見つめられたら、同性とはいえ照れるし恥ずかしい。


「さ、こんな所で立ち話もなんだし、中に入ろう」


 そんな私の気持ちを知ってか知らずが、典孝さんが手を叩き、アリシアさんにそう促す。


「それもそうね」


 ようやく、マヤさんの顔が離れ、私は秘かにほっと胸をで下ろす。


「じゃあ、二人共また」

「またねー」


 家に上がると、典孝さんは手を上げ、マヤさんは手を振り、私達の元から去っていった。


「なんか凄い人だね」


 二人の姿が完全に見えなくなったのを見計みはからい、私はそう口を開く。


「まぁ、悪気とは無縁な人だから、その辺りは安心して」

「それは、うん。なんとなく分かった」


 そこは全く心配していない。ただ対応に困る事は今後も多々あるかもしれない。


「とりあえず、部屋戻ろうか」

「あ、うん」


 ソフィアちゃんと連れ立って、玄関から部屋に向かう。


 部屋に戻ると、私達はそれぞれ座椅子に腰を下ろした。机を挟んで向かい合う形だ。


「典孝さんとライラさんは仲良くないって話だったけど、その、大丈夫なの?」


 昨日今日内情を知った赤の他人がとやかく言う事ではないと分かってはいるが、実際その二人がこれから顔を合わすとなると、どうしても気にはなってしまう。


「大丈夫……。うーん。喧嘩けんかになる事はないと思うけど、おばあちゃんの小言は確実に二つ三つ飛ぶだろうね。とはいえ、そこはほら、お互い大人だし、一線は越えないよう弁えてると思うよ。それに――」

「それに?」


 なんだろう?


「なんだかんだ言って、仲は悪くないと思うんだよね、あの二人」

「そうなの?」


 昨日話を聞いた感じでは、ライラさんが典孝さんをいい風に思っていないという事だったが。


「それも含めてお互い楽しんでるっていうか、そういうコミュニケーションなんじゃないかなって、最近は思い始めてる」

「ふーん」


 まぁ、私よりはるかによく知る身内が言うなら、きっとそうなのだろう。


「ほら、よく言うじゃない。喧嘩する程なんとやらって」


 なるほど。つまり、ライラさんと典孝さんはじゃれ合っているだけという事か。それなら、心配する必要はおろか気にする必要もないのかな。

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