第5話(3) 風景

 その後、三十分程水遊びを楽しんだ私達は休憩きゅうけいを取るべく、一旦川を上がる。

 そして、靴を履き、二人で望愛さんの元に向かった。


「お帰りー」


 そう言って出迎えた望愛さんの右手には、スケッチブックが。もう一方の手に握られた鉛筆えんぴつと合わせて考えれば、私達が水遊びにきょうじている間、望愛さんが何をして時間をつぶしていたかは明白めいはくだった。


「ちょっと休憩」


 言いながらソフィアちゃんが、砂の上に腰を下ろす。

 それに私もならう。


「何書いてるんですか?」

「風景画」


 私の質問に答えている間も、望愛さんの視線はスケッチブックに落とされたままで、その手は今も動き続けていた。


「ミア姉は美大生なのよ」

「へー。そうなんだ」


 美大生と聞いて、望愛さんを見る目が少し変わる。

 芸術方面に縁遠い私にとって、美大とは凄い人が通う場所であり美大生とはすべからく尊敬に値する立派な人だ。もちろん、美大生全員が才能にあふれた天才ばかりではないのかもしれないが、それでも一つの事を極めようとするその心はやはり尊敬に値する。


「見る?」


 私の視線に何かを感じ取ったのか、望愛さんがそう私に声を掛けてくる。


「いいんですか?」

「もちろん」


 その笑顔に誘われるように、私は立ち上がり、望愛さんの背後に回る。


 それは確かに風景画だった。

 空にくも、木々に川、砂に石。まるで目に映ったものをそのまま写し取ったような、リアルな情景が神一面に広がっていた。


 ん?


 風景画の中に異質なものを見つけ、思わずまゆをひそめる。


 川の中央にいる、二人の水着姿の少女はおそらく私達だろう。それはいい。問題はその奥、川の向こう側に立つ人影。人? いや、あれは――


河童かっぱ?」


 風景画なのに、どうして急に空想上の生き物であり河童の姿が?


「これって、風景画ですよね?」

「そうよ。見たままでしょ」

「え? でも、ここに……」


 そう言って、私は絵の中の河童を指差す。


「あぁ。今はいないわね」

「今は?」


 それではまるで、さっきまではいたかのように聞こえるが……。


「ミア姉。風景画に目に見えないもの描き込むの好きなのよ」

「あ、そうなんだ……」


 まぁ、絵なんてものは、そもそも描き手の感性によって生み出されるものだし、風景画に存在しないものが紛れ込んでいても、それはそれで芸術らしくていいのかもしれない。


「うふふ。二人が遊んでる様子があまりにも楽しそうで、混ざりに来たのかしら」

「えーっと……」


 望愛さんの言葉の真意を確かめようと、ソフィアちゃんの方を見る。

 私と目が合うなり、ソフィアちゃんは肩をすくめてみせた。


 気にするなという事だろうか。あるいは、相手にするだけ損、とか? どちらにしても、これ以上は深追いしない方が良さそうだ。


「ありがとうございました」


 ここが潮時しおどきとばかりに、私は望愛さんの元から離れ、ソフィアちゃんの隣に戻る。


「あれってマジなの?」


 ソフィアちゃんの顔に自分の顔を近付け、小声でそう尋ねる。


「さぁ? でも、昔からあんな感じだから、私はもう慣れてるけどね」

「へー……」


 ちらりと視線を向ける。


 望愛さんは自分の世界に入ったかのように、黙々と鉛筆を走らせていた。その姿はまさに何かを生み出す芸術家のそれだった。


「ほら」

「ひゃっ」


 意識外からひんやりとした物を首筋に当てられ、思わず変な声が出る。


 見ると、ソフィアちゃんが飲み物の入った水筒のふたを手にして、こちらに向けていた。


「水分取っておきなさい」

「あぁ、うん」


 言われるまま、それを受け取り、口に運ぶ。


 久しぶりに取った水分が、口とのどうるおし、そして体に浸透していく。


 ちなみに、水筒はソフィアちゃんが家から持参した物で、中身はライラさんの家にあった麦茶を入れてある。


「ん」


 からになった蓋を返す。するとそこに麦茶をそそぎ、ソフィアちゃんが今度は自分の口へと持っていった。


 その様子を何とはなしに見つめる。


「何?」

「ううん。なんでもない」


 そう。なんでもない。なんでもないのだ。

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