⁂3(1) 喝采

 多少のアクシデントこそあったもののトラブルらしいトラブルは特に起きず、文化祭は無事二日目の午後を迎えた。


 ホール係を終えた私は、楓と一緒に控え室として借りている空き教室に向かう。


 衣装が六着しかない関係で二人ずつしか教室を抜けられないため、先に水瀬さんと早坂さんに抜けてもらい、私と楓は後半組が四人全員そろってから教室を抜けてきた。

 途中でその二人とばったり会う。


 歩きながら、「お疲れ〜」と私が、「カップルコン頑張ってね」と楓が声を掛ける。


 早坂さんからは「任せて」という力強い言葉が、水瀬さんからは「が、頑張がんばります」と弱々しい言葉が返ってきた。


 すれ違い、少し距離が出来てから楓が口を開く。


「大丈夫かな、水瀬さん」

「早坂さんがなんとかしてくれるでしょ」

「だといいけど」


 楓は心配している様子だったが、私にはなぜかあの二人なら大丈夫という確信にも似た想いがあった。もしかしたら、それはただの願望なのかもしれない。早坂さんはもちろん、水瀬さんも特別な何かを持った選ばれた人間なんだという。


 空き教室でメイド服から制服に着替え、一息く。


 仕事は終わったとはいえ着慣れない服を着ている間は、どうしても体に力が入ってしまう。そういう意味では、メイド服を脱ぎようやく私はいつもの私に戻ったのかもしれない。


「ねぇ、この後どうする?」


 メイド服に消臭スプレーを吹き掛けながら、楓にそう尋ねる。


「とりあえず、お腹空いたから何か食べる?」

「だね」


 着替えを終え、こちらに近付いてきた楓に消臭スプレーを投げて寄越よこす。


「ちょっと、いきなり投げないでよ」

「近いんだから、いいじゃん」

「そういう問題じゃないでしょ」


 メイド服を机の上に置き、楓を待つ。


「これ、どうするんだろう?」


 私の置いた物の隣にメイド服を置いて、楓がふとそんな事を言う。


「どうって?」

「学校に置いておくわけにはいかないでしょ」

「欲しい人が引き取る」

「こんなのいつ使うのよ」


 確かに、メイド服を使う場面なんて、日常生活においてほぼないと言ってもいいだろう。もし使うとしたら――


「そういう時?」

「そういう時って……バカ!」


 何を想像したのか、楓がほおを赤らめそっぽを向く。


「え? 私はハロウィンとかって意味で言ったんだけど、楓は何を想像したのかな?」

「うるさい。馬鹿な事言ってないで、早く行くわよ」

「はーい」


 これ以上は本当に怒らせ兼ねないため、悪ふざけはこの辺で自重しておく。


 教室を出ると、私は楓に付いて歩き始めた。


「で、どこ行くの?」


 歩き始めたからにはどこか行き先があるのだろうか。


「二年四組がクレープ屋やってるから、そこ行かない?」

「クレープね……」

「何よ。文句あるの」

「いんや、学校委員長様のおおせのままに」


 言いながら、右腕をお腹の前で曲げお辞儀じぎをしてみせる。気分はお嬢様に従う執事のそれだ。


「じゃあ、桜のおごりね」

「それとこれは話が別じゃない」


 さすがに、学級委員長にそこまでの権限はないはず。

 ……まぁ、奢れと言われれば奢るけど。学級委員長は大変な仕事だろうし、文化祭だけを取って見ても楓の苦労は計り知れないものがある。


「ウソウソ。別にクレープも言ってみただけだから、桜が他のが良ければそれでもいいよ」

「楓に言われてもうクレープの口になっちゃったから、今更変更はきません」


 それに、クレープ程度なら一つや二つ食べたところで間違っても満腹になる事はないだろうし、その後に何か入る余地よちは十分あるはずだ。


「じゃあ、行き先は二の四のままね」

「いくつか種類あるのかな?」

「さぁー。現実的に考えたら、あっても三種類くらいじゃない? 種類を増やしたらそれだけ作る工程や手間が増えるわけだし、何より材料が余る可能性が増える」

「あー」


 私達が喫茶店の食べ物をパンケーキ一択にしたのは、まさにその辺りのリスクを回避するためだった。


「ありがとね」


 ふいにそんな言葉が、私の口からこぼれた。


「何、急に」


 当然言われた楓は、戸惑うばかりだ。


「いや、私の思い付きに付き合ってもらったわけだし、一応ね」


 楓がいなければ、ここまで事はすんなり進まなかっただろう。私は基本大雑把おおざっぱなので、細かいところはいつも楓に頼りっきりだ。ホント感謝してもしきれない。


「私も水瀬さんと早坂さんが、一緒にホール係するとこ見たかったし。それに、その方が二人もクラスの輪に加わりやすかっただろうから、そういう意味でも桜の提案は正しかったと思う」

「楓……」

「何よ」

「ほっぺ真っ赤だけど、照れてるの?」

「な!」


 本当はほんのり染まっている程度だが、確かに楓の頬は赤く、彼女の心情はそこからも一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


「もう。知らない」


 ぷいっと顔をらせて、楓がずんずんと大股で先に進んでいってしまう。


「ごめんって。ねー、楓ー」


 笑ってそう言いながら、小走りで楓に追い付く。


 長い付き合いだ、本気で怒っているかどうかはさすがに分かる。とはいえ、落とし所は必要だろう。


「クレープ奢るから機嫌治してよ」

「夏休みに映画一緒に行ってくれるなら、許してあげる」

「映画? いいよ。何か観たいのあるの?」

「ちょうど夏休み前から始まるやつがあって」

「へー。どんな?」


 そこからは楓に寄るストーリー説明が始まった。


 どうやら、原作のある映画らしく、楓はその原作漫画の大ファンのようだ。熱のこもった説明を聞きながら私は、楽しそうだなと話の内容とは全然関係ない事を考えていた。

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