第18話 水瀬家

 夏休み初日の午後二時。私は家から程近い最寄り駅に来ていた。

 電車に乗るためではない。電車に乗ってやってくるソフィアちゃんを出迎えるためだ。


 待つ事十分。電車の到着の後、少しして乗客がパラパラと階段を上がり、改札へと向かってくる。


 学生は夏休みとはいえ、平日の中途半端な時間帯という事もあって、降りてくる人は少なく、片手で数えられる程だった。


 その中に待ち人であるソフィアちゃんはいた。


 白いTシャツ&白いパンツというシンプルかつ色味のない服装で現れたソフィアちゃんだったが、胸元のロゴに加えて彼女自身の髪色もいい具合にアクセントになっており、十分お洒落さが演出されていた。


 まぁ、ソフィアちゃんは何を着ても似合うのだが。


 こちらに気付き、ソフィアちゃんが手を上げたため、私もそれに応える形で手を上げる。


 改札を通り、私の前にやってきたソフィアちゃんと挨拶を交わし、会話をする間もなく早速駅の出入り口に向かう。


「今日ご家族は?」


 その道中、会話の口火を切ったのはソフィアちゃんだった。


「お母さんはいるよ。お父さんは普通に仕事」


 ウチの父親はいわゆるサラリーマンなので、ド平日である今日は普通に仕事に行っている。帰りはおそらく夜の六時頃になるだろう。


「ねぇ、いおのお母さんってどんな人なの?」

「ウチのお母さん? 別にこれといった特徴のない、普通の母親だと思うよ。ソフィアちゃんの家みたいに属性は付かない感じの」

「属性?」


 私の言葉の意味が分からなかったらしく、ソフィアちゃんが首をかしげる。


 つい口を突いて出てしまったが、考えてみたら、属性は一般人には通じない言葉だった。気を付けよう。


「ソフィアちゃんのお母さんなら、クールなキャリアウーマン系みたいな?」


 正確にはそこに天然要素も加わるのだが、人の親を捕まえて天然呼ばわりはさすがに失礼かと思い、自粛した。


「確かに、そんな感じか。いおには似てるの?」

「顔はまぁ。性格は似てないと思う」


 お母さんはどちらかと言うと外向的で、人見知りなんかとは無縁な人間だ。今でも友達は多いし、たまにランチなんかにも行っている。本当に誰に似たんだか。


 階段を降り、駅の外に出た。そして、家の方に歩き出す。


「歩いて数分だから」

「近いのね」

「そ。立地条件的にはまずまずかな」


 コンビニが近くにないのが玉に瑕だが、飲食店やカラオケ、美容院なんかも割りと近くにあり、小学校こそ遠かったが逆に中学校は家近で、多分予鈴が鳴ってから家を出ても走れば間に合う。さすがに試した事はなかったけど。


 歩きながら、ソフィアちゃんが辺りをきょろきょろと見渡す。


 ソフィアちゃんが住む所よりは幾分いくぶんか田舎なので、物珍しいのだろうか。


「この辺りに公園ってある?」

「あるよ。徒歩圏内に限れば三つかな」


 家から歩いて数分の所に二つと、十分程の所に一つ。自転車移動も考慮に入れれば大きな物が更に二つ。そう考えると結構あるな。


「行って面白いのは遠くにある方だけど、歩いて行くと二十分くらい掛かるから移動手段ないと厳しいかも」


 歩けない距離では決してないが、そこまでして行く価値が果たしてあの公園にあるかと言うと、残念ながら首をかたむけざるを得ない。


 ちなみに、徒歩二十分の価値がないというのは今の時期の話であり、春になるとまた話は変わってくる。春のその公園には、桜が咲き誇り露店がたくさん出店され、市外からも多数の人が訪れる大人気スポットと化すため、その時期ならまぁ徒歩で行くのも有りかもしれない。とはいえ、他の手段があれば当然そちらを選択するが。


「別に、聞いてみただけだから。いおがどんな所で生活してるのかなって」

「そう? なら、いいけど」


 気になるというのなら、後でこの辺りを少し案内してもいいかもしれない。


 私からしてみたらなんの変哲へんてつもなくまた面白みもない町だが、ソフィアちゃんにはまた違った風に映る可能性もあるわけだし。


「後でちょっとこの辺り散策してみようか」

「え?」


 私の提案に、ソフィアちゃんが驚きの声をあげる。


「もちろん、もしソフィアちゃんが良かったらだけど」


 そもそも、ソフィアちゃんのためにとしようとしている事だから、当人が乗り気でないならやる意味がない。


「……そうね。折角だからお願いしようかしら」


 少しの逡巡しゅんじゅんの後、ソフィアちゃんがそう返事をする。


 今の間は一体……。まぁ、いいか。私も頭の中でシミュレーションする事は多々あるし、気にする程の事でもないだろう。


「じゃあ、家着いて少ししたら出掛けるって事で」

「えぇ、楽しみにしてるわ。いおの地元巡り」


 そう言うとソフィアちゃんは、私にからかうような笑みを浮かべてみせるのだった。




 駅から三分も歩かない内に、我が家が見えてくる。


 私のウチは二階建ての一軒家だ。実際にはどうだが分からないが、いわゆる一般的な大きさの家だと思う。


 赤に近いピンク色のタイルで一面をおおわれた外壁は、お母さんの希望らしく、最初は白のモルタルになる予定だったとお父さんから何かの拍子に聞いた。


 私自身、この壁の感じは嫌いではない。


 庭という庭はほとんどなく、その大半が駐車場と化していた。


 その駐車場から家の敷地に足を踏み入れる。

 門は一応あるが、そこから出入りする事はほぼない。


 扉を開け、家に入る。


「ただいまー」


 私が声を出すやいなや、リビングの方から物音、そして足音が聞こえてきた。


「お邪魔しまーす」


 恐る恐るといった感じで、ソフィアちゃんが我が家の敷居をまたいだすぐ後、リビングの扉が開き、お母さんが顔を出した。


「いらっしゃい、あなたがソフィアちゃん?」

「はい。早坂ソフィアです。いおさんにはいつもよくしてもらっていて……」

「あら、礼儀正しい。それに、ホント綺麗。まるでお人形さんみたい」

「そんな……」


 さすがのソフィアちゃんも人の家では気をつかうらしく、普段は見られない大人しさがあった。


「何よ」


 そう言ってソフィアちゃんが、少し怒ったような顔を私の方に向けてくる。


 どうやら、表情と視線で考えている事がバレたようだ。


「ううん。なんでもない」


 思っている事を正直に話すと更に怒られそうなので、私はそんな風にしてその場を誤魔化ごまかす。


「立ち話もなんだし、ソフィアちゃん中に入って。あ、スリッパそれ使ってね」

「ありがとうございます」


 お母さんに促され、ソフィアちゃんが靴を脱ぎ、段差を上がる。

 私もそれに少し遅れて続く。


「テーブルの方に、適当に座って」


 リビングに入るなり、そう言うとお母さんは台所へ向かう。


「あ、はい」


 と言いつつ、どこに座るべきか悩んでいるのか、ソフィアちゃんはなかなか座ろうとしない。


「ソフィアちゃん、ここ」


 そんな彼女に、私は椅子を引き助け舟を出す。


「うん。ありがとう」


 ソフィアちゃんが座ったのを見届けてから、私もその隣に腰を下ろす。


「いおの家、こんな感じなのね」


 辺りを見渡しながら、ソフィアちゃんがそんな事を口にする。


「狭いでしょ」


 ソフィアちゃんの家のリビングと比べると、その広さは八割程で、お世辞にも広いとは言えない。


「でも、落ち着く、いい雰囲気のリビングね」

「そう?」


 長年住んでいる身としては、リビングの良し悪しは分からないが、ソフィアちゃんがそう言うならそうなのかもしれない。


「お待たせ」


 二人分のカップとお皿を乗せたお盆を手に、お母さんがこちらにやってくる。


「すみません」

「いいのよ。どうぞ」


 まずはソフィアちゃんの前に、続いて私の前にカップとお皿が並ぶ。

 カップにはコーヒーが入っており、お皿にはロールケーキとフォークが乗っていた。


 飲み物の方はお母さんからソフィアちゃんの好みを聞かれた私が、コーヒーがいいんじゃないかと答え、それがそのまま採用となった。正直、ソフィアちゃんの好みは未だによく分かっていないが、よく飲んでいるし少なくとも嫌いではないだろう。


 フォークを手に取ると、ロールケーキの一部を切り取り、それを口に運ぶ。


 うん。甘い。美味しい。


 私のその行動を見て、ソフィアちゃんもフォークに手を伸ばす。


「美味しい……」

「良かった。お代わりもあるから、どんどん食べちゃってね」


 ちょうど後ろを通ったお母さんが、ソフィアちゃんの感想に、そう言葉を返す。


「いえ、一つで十分です」

「そう?」


 言いながら、お母さんがテーブルを挟んでソフィアちゃんの正面に座る。


「あ、今日の晩御飯はカレーにしようと思うんだけど、ソフィアちゃん大丈夫?」

「はい。カレー大好きです」


 お母さんとソフィアちゃんのやり取りを横目に、私はコーヒーを口に含み、ひそかに笑う。


 いつもと様子の違うソフィアちゃんをこうして見るのは新鮮で、なんだか楽しい。


「っ」


 なんて事を考えていると、突如、脇腹わきばらひじ小突こづかれた。


 あやうく、コーヒーを零すところだったじゃないか。


「ソフィアちゃんは辛いの平気?」

「はい。激辛とかじゃなければ」


 抗議の意を込めて横を見るも、当の本人は何食わぬ顔でお母さんとの会話を続けていた。


 ふむ。


 ふいに悪戯心いたずらごころく。


 悟られないようにこっそりと――


「ひゃん」


 脇腹を指で突いたところ、想像以上に反応が返ってきた。


「いーおー」

「ごめん。そんなに反応するとは思ってなくて」

「あなた達、仲いいのね」


 怒るソフィアちゃん、謝る私、そんな私達を微笑ほほえましいものでも見るように見つめるお母さん。母と友人の顔合わせは、落ち着いた雰囲気から、いつの間にかにぎやかなものに様変さまがわりしていた。というか、私がさせたのだが。

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