幕間

SS1 名前

「いおって名前――」


 ある日の昼休み。いつものように屋上前の階段に上下に分かれて座りご飯を食べていると、ふいにソフィアちゃんがそんな風に私の名前について言ってきた。


「え? 変? 変だよね。でも、インパクトあって覚えやすいかなって。けど、私自身にインパクトないからプラマイゼロ、みたいな? ははは……」

「急にめちゃくちゃしゃべる」


 致命傷を負う前に予防線を張ろうとして、思わずたくさん喋ってしまった。これだからコミュ力のない陰キャは、人の都合お構いなしで困ったものだ。


「そうじゃなくて、どういう由来なのかなって? ほら、変わってるじゃない? ぱっと見由来が分かりづらいし、なんとなくで付ける名前でもないでしょ?」


 確かに、優子ゆうことか美鈴みすずとかなら疑問を持たずに受け入れられるが、いおではそうはいかない。疑問に持つのは当然だし、聞きたくなる気持ちも分からなくもない。


「特にない、です」


 とはいえ、具体的にこれという理由がないのだから、そう答える他ない。


「え? じゃあ、どうしてその名前に?」

可愛かわいいから」

「は?」

「だから、可愛いから」


 恥ずかしいんだから、何度も言わせないで欲しい。というか、自分で言う事ではない気がする。ましてや私のような人間が。


「雰囲気で付けたって事?」

「まぁ……」


 ていに言えば、そんな感じだ。


「雰囲気って言っても、なんか理由はあるんじゃないの」


 理由。理由ね……。


「あ行は優しい感じってお母さんは言ってた」

「優しい? あー。なるほど?」


 言いながら、ソフィアちゃんが小首をかしげる。分かったような分からないようなといった感じだろうか。


「言われてみれば、か行とかた行よりはやわらかい感じかもね」

「後は、これは後付けの理由らしいんだけど、いおって水って意味もあるんだって」

「水ってあの水?」

「そう。だから、全てを飲み込む器の大きさや形に捕らわれない自由さを持って欲しいって」

「素敵な由来じゃない」

「でも、後付けだよ」

「それでもよ。それに、可愛いや優しいだって、立派な理由じゃない」


 そう言ったソフィアちゃんの顔には、とても優しい笑みが浮かんでいた。

 なんかそんな事言われると照れるな。


「じゃあさ、ソフィアちゃんの名前の由来はなんなの?」


 お返しとばかりに、今度は私がソフィアちゃんに名前の由来をたずねる。


「ソフィアって名前は欧米ではよくある名前だから。日本で言ったら、さくらとかりんとか付けるようなものよ」

「でも、何か理由はあるんでしょ」


 日本の名前の、桜や凛にだって理由はあるはずだ。


「両親から聞いた事はないけど、ソフィアには知恵とか叡智えいちって意味があるから、賢い子に育って欲しいとかそんな感じでしょ」

「賢い……。ソフィアちゃんにぴったりな名前だね」

「いおだってぴったりの名前じゃない」

「あぅ」


 可愛い? 私が? 冗談は止めて欲しい。あ、あれか。マスコット的な可愛さって事か。く〇もんやふ〇っしーみたいなゆるキャラとしての可愛さならまぁ、辛うじて?


「みんな違ってみんないいって事で」

「雑なまとめ方」


 早くこの話を切り上げようと、適当にまとめたところ、ソフィアちゃんにそうツッコまれてしまった。


「そんな事言うなら、ソフィアちゃんがまとめてみてよ」

「あー。まとめじゃないんだけど、名前について気になる事があって」

「何?」


 話の方向性が変わるなら、この際なんでもいい。


「いおソフィって何?」

「……え?」


 ソフィアちゃんの口から発せられた衝撃的な言葉に、私はたっぷり三秒程固まってからようやく口を開いた。


「な、なんでその言葉を?」

「廊下で誰かが話してるのをたまたま聞いて……」


 話の方向性が変わればいいとは言ったが、まさかこういう方向へ変わるとは……。


 というか、誰だ! そんな危ない会話を一般人の通る往来でしていた不届き者は。しかも、当の本人に聞かれるなんて骨頂こっちょうもいいとこだ。見つけたら厳重注意しないと。……まぁ、コミュ症の私にそんな事出来るわけないんだけどね。


「えーっと」


 それよりも今は、この状況をどう収めるかだ。まずはどこから説明すればいいんだろう。


「この世界には百合というものが存在してまして」


 覚悟を決めた私は、根本的なところから丁寧に説明する事にした。


「百合? 花の?」

「いや、違くて。物語のジャンルというか――」


 こうして私の昼休みの大半は、ソフィアちゃんに百合について説明する事に消費されたのだった。

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