第8話 呼び方

 教室で私達が会話をする事はない。なので、翌日も特に私の方から話し掛ける事はなく、そのまま昼休みを迎えた。


 鞄を手に、今日も私は一人教室を後にする。


 いつもの場所に腰を下ろし、いつものようにお弁当を食べ始める。そして早坂さんが来るのを待つ。


 一秒が一分にも一時間にも感じた。


 本当に来るのだろうか? もし来なかったらどうする? 教室で突撃する? けど……。


 頭の中でそんな風に思考を巡らせていると、遠くの方から音が聞こえた。


 階段を登る足音が、程なくして廊下を歩く足音に変わる。段々近付いてくるその音に、私の中の緊張も徐々に高まっていく。そして足音が止まった。


「……」


 不機嫌というよりねたような表情の早坂さんが、私の前に現れた。


「座ったら?」

「……」


 やはり何も言わず、しかし私の言う通りに、早坂さんが階段の一段目に腰を下ろす。


 まずは来てくれた事に安堵あんどする。とはいえ、まだ何も終わっていない。むしろ、本番はここからだ。


 早坂さんが自分の鞄から菓子パンを取り出し、それを食べ始める。


 そのタイミングで私は話を切り出した。


「早坂さんが昨日不機嫌だった理由、私なりに考えてみたんだけど、聞いてくれる?」

「……」


 沈黙。否定しないという事は、聞く気があると捉えて話を続ける。


「早坂さんは自分の問題って言ったけど、でも、昨日の昼休みはここには来なかった。それは不機嫌な理由が私に関係してるから。違う?」

「……」


 これにも否定の言葉はなかった。正解という事だろう。


「私、今週の放課後は図書委員なの。知ってるよね? 早坂さんには話したもの」

「……」

「一昨日、早坂さんは図書室を覗きに来た。それはおそらく、私がいると思ったから。見るだけのつもりだったのか、話し掛けようと思ってたのかは分からない。どちらにしろ、あなたはすぐにその場を立ち去った。なぜか? それはもう一人の図書委員に見られたから」

「……」


 反応はない。当たっているのか外れているのか……。返答がない以上、とりあえず当たっていると仮定して話を進めるしかない。


「目が合ったから立ち去った。けど、本当はそれだけじゃなかったんじゃない? 私達の会話をこっそり聞いていて、その事がなんとなく後ろめたかったから逃げた。違う?」

「……」

「そして早坂さんが不機嫌な理由は、その会話の中にあった」


 会話の内容は他愛のないものだった。別に早坂さんの事を話していたわけではないし、ましてや悪口を言っていたわけでもない。なら、なぜ早坂さんは不機嫌になったのか。それは――


「呼び方」

「!」


 ここに来て初めて、早坂さんに反応らしい反応が生まれる。私が核心を付いたためだろう。


 やはり、璃音先輩の推理は当たっていたのだ。


 この結論にはおそらく私一人では辿り着けなかっただろう。なぜなら、この結論に至る大前提には、当事者である私では気付けない、死角とも言える条件があったのだから。


 その条件とは、早坂さんが私の事をすでに友達と思ってくれており、璃音先輩に嫉妬のような感情を抱いているという、私にとっては荒唐無稽こうとうむけいとも思える予想だった。


 しかし、今の早坂さんの反応を見るに、その予想はどうやら事実だったようだ。


「そういえば、陽ちゃんの時も変な反応してなかった?」


 あの時はあまり気にしていなかったが、今思うとそういう事だったのだろう。


「どう? 当たってた? ソフィアちゃん」

「!?」


 私の言葉を受け、早坂さん改めソフィアちゃんの口が、何か言いたげにパクパクと動く。


おおむね」

「――っ」


 ソフィアちゃんが約二日ぶりに口を利いてくれた事に、私は素直に感激していた。


「でも、不機嫌だったのは、あなたが想像してるような理由ではないわ」

「というと?」

「そんな事ぐらいで、心を揺さぶられてる自分自身に腹が立ったのよ。呼び方なんて本来そこまで気にするものじゃないし、あなたがなんて呼ぼうが自由なわけじゃない? それに対して私が腹を立てるのはお過度かど違いもいいとこだわ」


 弁明というわけではないのだろうが、ソフィアちゃんのその言葉はどこか必死に言い訳しているようにも聞こえた。


 まぁ、そこにはあえて触れないでおこう。変に触れてこれ以上怒られても困るし。触らぬ神にたたりなし。藪蛇やぶへび御免ごめんだ。


「ところでソフィアちゃん。私が名前で呼んだんだから、ソフィアちゃんの方も何か言う事あるんじゃない?」


 およそ一日半振り回されたのだ。これぐらいの意地悪は許されるだろう。


「……いお」

「え?」


 恥ずかしそうにするソフィアちゃんが可愛くて、ついつい更にからかってしまう。


「もう。いお! これでいいでしょ」

「うん。ありがとう。ソフィアちゃん」


 こうして、私達の初めての喧嘩けんか(?)は無事に幕を閉じたのだった。


「あなたって、意外とこういう時調子に乗るタイプなのね」

「そ、そうかな?」


 確かに、自分でも興が乗り過ぎたというかやり過ぎた感はあったが……。


「先が思いやられるわ」

「それはこっちの台詞です」

「何よ」

「何」


 そう言い合い私達は、顔を突き合わすようにして、近距離でお互いの顔をにらむ。そして――


「「ぷ」」


 どちらともなく吹き出した。


「なんで笑うのよ」

「だって、ソフィアちゃんが」

「私が何したって言うの」


 楽しい昼休みは、まだ当分終わりそうになかった。




「そういえば、小説読み終わったから返すわ。ありがとう」


 食事を終え一段落したところで、ソフィアちゃんがそう言って鞄に手を入れる。


「思ったより早かったね」


 差し出された文庫本を受け取り、私はそんな風に言葉を返す。


 受け取った文庫本はそのままの流れで、すぐに鞄へとしまった。


「そうね。読みやすかったと思う。なんて言うか、文字がびっしり詰まってるわけじゃなくて、見た目的にも優しいというか……」


 まぁ、言いたい事は分かる。文字で埋め尽くされたページを見ると、私でも臆する事がある。


「他には?」

「台詞の言い回しが少し独特だったような? 嫌いってわけじゃないけど、なんていうか……芝居しばい掛かってるとも違うんだけど」

「うん。分かる。男性が特にだぜとか言う」

「そう。現実にいたら浮きそうな感じ? で、内容なんだけど……。まず女性は恋愛経験なさそう。男性は少しある感じ? ある意味そこが物語の肝よね」


 ソフィアちゃんがしっかり読み込んでくれている事が嬉しくて、私は彼女の言葉に対してうんうんと頷く。


「恋愛経験ないからこそ男性を振り回す。頭の中が少し子供なのかしら。いわゆるガチの天然よね、彼女」


 天然にも偽物にせものと本物がいる。


 偽物は同性からしてみたら割と分かりやすい。理論的だからという事もあるだろう。このタイミングでこうすれば可愛いと思われるというのが、あまりにも上手く行き過ぎているのだ。


 一方本物は、理論等関係なくやらかす時はやらかす。結果的にその事が可愛さに繋がっているだけで、一歩間違えばただのヤベーやつという事が多々ある。


 中学の時には私の周りにどちらもいたが、同性受けがいいのはどちらかというと後者の方だった。……まぁ、当たり前といえば当たり前だが。


「前半は女性の秘密を男性が怪しんで、それを探ってく感じよね。で、秘密を知られた女性が、ようやくそこから男性に本当の意味で心を開いてくみたいな? 秘密の共有と頼れる男性って辺りが、前半のテーマかしら」


 恋の勉強という意識もあったためか、ソフィアちゃんの感想は凄く的確でまたしっかりしていた。


「後半のテーマは分かりやすかったわ。嫉妬よね。男性の方は高校生で女性の方は社会人。女性に社会人の男性の影が見えると、どうしてもあせってしまい、それが男性の空回りに繋がっていく……」

「うふふ」


 ソフィアちゃんの口から嫉妬という言葉が出て、私の口から思わず笑いがこぼれる。


「何よ」


 私が笑った理由が分かっているからだろう、ソフィアちゃんが言いながら拗ねたように僅かにほおふくらませる。


「なんでもない。続けて」


 そこを掘っても自分に得はないと考えたのだろう、ソフィアちゃんはすぐに表情を戻した。


「で、空回った結果その思いを女性にぶつけて、女性の方は気になってるのはその人じゃなくあなたよって言って、最終的にはキスして付き合うと」


 あの辺の描写は、特に女性作家ならではかなと個人的には思う。言い回しもそうだが、展開も含めて。


「全体的には面白かったわ。物語に引き込まれてく感じもあったし、展開も分かりやすかった。さすが、いおがお勧めした本なだけあるわ」


 そう言われると、なんだか照れくさいものがある。


「それで恋については分かったの?」


 照れ隠しというわけではないが、私はソフィアちゃんに話の締めとして結論を聞いてみた。


「そうね。恋には秘密と嫉妬が大事って事かよーく分かったわ」


 そう言ったソフィアちゃんの顔には、どこか意味ありげな笑みが浮かんでいたのだった。




第一章 恋に大事なもの <完>

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