第7話(1) 答え

 水曜日になり、図書委員の仕事もちょうど中間の三日目に突入していた。


 三日目ともなると、貸し出し作業はそれなりにこなせるようになり、棚に本を戻す配架はいか作業の方も迷いながらもなんとか一人で行えるようになった。


「貸し出し期限は一週間になります。ありがとうございました」


 そう言って本を借りに来た男子生徒を見送った後、私は心の中でほっと息を吐いた。


 決められた台詞せりふとはいえ、人見知り気味な私にはまだ少しハードルが高く、口にする前には心の中で一つ気合を入れて、口にした後はこうして一息吐いている。


 隣に座る小林先輩のようにスラスラと言えればいいのだが……。


「何?」

「あ、いえ――」


 小林先輩の横顔をマジマジと見てしまっていた私は、慌てて言い訳を取りつくろう。


「堂々としていて羨ましいなって思って」


 まぁ、先程の自分の感情を言語化するとそんなところだろう。上手く言葉に出来て良かった。


「なんやかんや言って、去年もやってるしね。水瀬さんも二年生になれば、自然とそうなるよ」

「そうでしょうか?」


 二年になろうが三年になろうが、私はいつまでも私のままな気もするが……。


「水瀬さんはきっと真面目まじめなんだね」

「え? はい。よく言われます」


 いい意味でも悪い意味でも……。


 後は、他にめるところがないので、そう言われる事が多い。地味で人見知りな私には、そこぐらいしか褒めるところがないのだ。


「私は図書委員の仕事なんてミスがなければいいくらいにしか思ってないし、ミスをしたところで取り返しの付かないミスはほぼないと思ってる」


 まぁ確かに、ミスと言っても、精々が二冊あった内の一冊のバーコードを通し忘れてしまったとか、本を戻す場所を間違えてしまったとかその程度のもので、取り返しの付かないミスかと言われればそこには疑問を挟まずにはいられない。


「もちろん、ミスはしちゃいけないけどさ、何も退学になるわけでもないし、ある程度は気楽にやったらいいよ」


 驚いた。私の中で小林先輩はもっと優等生然としたタイプなのかと思っていたが、実はそうではなかったらしい。


「小林先輩って意外と――」

「いい加減?」

「いえ、そんな事は」


 まぁ、似たような事を言おうとはしていたが、言葉のニュアンスが大分違った。


「いい加減にも二つの意味があるからね。適当って意味と、文字通り良い加減って意味の二つが。私は自分では後者のいい加減でやってるつもり」

「いい加減といい加減」


 なるほど。いい加減と言うと、得てして悪い意味で使われがちだが、本来は後者の意味合いの方が強かったという。つまり、何事も程よい力加減が重要という言葉だろう。


「後、ずっと気になってたんだけど、小林先輩っての止めない?」

「え?」


 じゃあ、なんて呼べば……。


「図書委員にも小林って何人かいるじゃない? だから、名前で呼んでよ」

「名前ですか?」


 それはまた、私にとっては難易度の高い提案だ。とはいえ、向こうからそう言ってくれているのだから、ここで呼ばないという選択肢を選ぶ方がもっと難しいし、空気読めないなこの子と思われそうだ。


 よし。小林先輩の下の名前は確か……。


璃音りのん先輩」

「うん。よろしい」


 私が名前を呼ぶと、小林――璃音先輩はおどけた様子でそう言った。


「ついでに、私も下の名前で呼んでもいいかな?」

「え? あ、はい。どうぞ」

「ありがとう。いおちゃん」


 いおちゃん。なんて素敵な響きだ。年上のしかも美人な先輩からちゃん付けで呼ばれるなんて、私は前世でどれだけ徳を積んできたのだろう。おおげさだが、それぐらい今私は感動していた。


「ん?」


 急に璃音先輩が出入り口の方を見て声を上げる。


「どうかしました?」


 それに反応して私も璃音先輩の視線の先に目を向けるが、特に気になるものは何もなかった。


「いや、なんでもない。私の気のせいだったみたい」

「そう、ですか?」


 璃音先輩がそう言うなら、そうなのだろう。




 その日の早坂さんはどこか様子がおかしかった。


 不機嫌そうと言えばいいのだろうか、まぁ早坂さんの教室での仏頂面は今に始まった事ではないのだが、それでも私にはその様子がいつもと違うように見えた。


 昨日の放課後、教室を後にした時はそんな事を感じなかったので、何かがあったとしたらその後、家でという事になる。何があったかは知らないが、お昼にでも少し探りを入れてみるか。


 ――などと思っていたのだが、待てど暮らせど昼休みに早坂さんは私の前に現れなかった。


 という事はつまり、早坂さんが不機嫌な原因は私?


 身に覚えがなさ過ぎて、最早もはやパニックだった。


 そもそも、昼休み以降早坂さんとは接触していないし、不機嫌にさせるタイミングが存在しないはず……。


 あれか。これはぞくに言う何もしなかったからダメパターン? いや、もしそうだとしたら完全にお手上げだ。何か予兆があったのならまだしも、ノーヒントでそんな事を言われた日にはさすがの私もあきれて徹底抗戦もさない、かもしれない。


 まぁ実際、それが判明した時にどういう態度を取るかは、自分でも実のところ分からないのだが……。


 とりあえず、『どうかした?』というラインを送ってみた。

 それに対する返答はすぐに来た。


『別に』


 うん。これはまた面倒な返事が来たな。この一文だけではなんの予想も立てられないので、更に探りをいれなければならなくなった。


 なんて送ろう?


『私、何か早坂さんを怒らせるような事したかな?』


 もう少し遠回りな文章を送る事も考えたが、結局直球で行く事にした。


 腹の探り合いは私の得意とする分野ではなかった。


『これはどちらかというと私の問題だから』


 私の問題? どういう事だ? そこに私は関わっているのか関わっていないのか。


 その後に送る言葉は思い浮かばず、二人のやり取りはそこで途切れた。


 教室に戻ってから何度か直接の接触を試みようとしたが、どうしても勇気が出ず、そうこうしている内に私はいつの間にか放課後を迎えていた。


 ホームルームが終わると、早坂さんはいつものようにとっとと帰って行ってしまう。私はそれを、ただただ見送る事しか出来なかった。


「……」


 勇気のない自分に嫌気がする。


「はー」


 溜め息を吐き、私はようやく自分の席を離れる。


 本当に訳が分からなかった。その理由に少しでも思い当たる節があれば納得も反省も出来るのだが、今回は全くそれがなく私は戸惑う事しか出来ない。

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