第6話 図書

 月曜日を迎えた私の心境はとても複雑だった。


 選んだ小説を早く早坂さんに見てもらいたいと思う反面、本当にこれで良かったのかという不安な思いも同じくらい抱えていた。とはいえ、服装に関する不安よりかは今回の方が不安は少なかった。ある種、得意分野だからだろうか。


 昼休みになると私は、鞄を手に一人教室を抜け出した。

 向かうはいつもの場所。


 程なくしてやってきた早坂さんと一緒に食事を取る。その間、ぽつりぽつりと他愛のない会話が繰り広げられた。正直、内容はあまり覚えていない。その時、私の頭はこれから渡す小説の事でいっぱいになっていたから。


 そして食事が終わり、いよいよ私は鞄から本を取り出す。


「これ……」


 そう言って早坂さんに差し出した文庫本には、紙のブックカバーが付けられていた。どこで読むかは知らないが、万が一外で読む事があったら表紙を隠したいかもしれないと思ったのだ。


「ありがとう」


 本を受け取り、早坂さんが中身を確認する。


「どういう話なの? これ」

「簡単に言うと、男子高校生が従姉のお姉さんと同棲する話かな? 弟さんもいるから正確には二人きりではないけど」

「ふーん。結構薄いのね」


 早坂さんの言うように、この本はページが比較的少ない。最近の小説は三百ページあるのがざらだが、この本は諸々合わせて二百ページしかない。そういう意味でも初心者にお勧めだ。


「ありがとう。汚しちゃうといけないから、家に帰ってからじっくり読むわ」

「あの、感想聞かせてね」


 自分が勧めた本を読んで相手がどんな感想を抱くのか、勧めた側としてはそこはとても気になる部分だ。しかも、その相手が早坂さんとなると、その感情は更に高まる。


「うん。けど、いつになるか分からないわよ。出来るだけ早く読むつもりではあるけど」

「そこは気にしなくて大丈夫。大きいサイズのやつもあるし」

「同じ本、二冊持ってるって事?」


 私の言葉に、早坂さんが驚きの声をげる。


「うん。サイズが大きいとほら、持ち運びしづらいから」


 理由はそれだけじゃないが、一般人に説明して納得してもらえる理由はそれぐらいしか思い浮かばない。


「へー。そういうもんなんだ……」

「いや、みんながみんなじゃないよ」


 読者家がみんなそうしていると思われたら、他の人に迷惑を掛けてしまう。


「水瀬さんは、月に何冊くらい小説を買うの?」


 鞄に本をしまいながら、早坂さんがそんな事を私に聞いてくる。


「月によってバラバラだけど……大体、四冊くらいかな」

「そんなにひと月に読めるものなの?」

「中には読まずに積み本になっちゃうのもあるけど、月に平均十冊は読んでるから」

「十冊!」


 私にとっては普通な事なのだが、本を読まない人からすればやはり驚くべき事らしい。


「って事は、同じ本何度も読み返してるって事?」

「まぁ、うん。そうなるかな」


 四冊購入して十冊読んでいたら、どう考えても数が合わない。図書館等で借りるという手もあるにはあるが、最近私はそれをしなくなった。読みたい本は買う。いつの間にかそうする事が、私の当たり前になっていた。


「本当に本を読む事が好きなのね」

「趣味が他にないから」


 私はファッションやスイーツにあまり興味はないし、SNSにはそもそもうとい。アイドルやお笑いにドラマ、どれもそれなりにしか興味がかない。だから、私にとって小説は唯一趣味と呼べる貴重な存在なのだ。


うらやましいわ」

「え?」


 羨ましい? 早坂さんが私を?


「私にはそういうのないから」


 そういうのがない?


「でも、早坂さんもファッション誌とか漫画読んでるじゃない」


 それは趣味じゃないのだろうか?


「私はなんとなく読んでるだけだから、とても趣味とは呼べないわ」

「そうなんだ……」


 なんとなくでも好きで読んでいればそれは趣味ではないのかと思うのだが、早坂さんの中で何やらそこに確かな線引きがあるらしい。熱量とかそういう話だろうか。


「あなたみたいになりたい」

「え?」


 今なんて言った? 早坂さんが私みたいに? そんなわけ……。


「ずっとそう思ってたの」

「ずっと?」


 戸惑いながらそう尋ねる私に、早坂さんはほのかな笑みを浮かべてみせるのだった。




 私は図書委員に所属している。


 別に入りたくて入ったわけではない。生徒会役員以外はどこかの委員会に所属する義務があり、他の委員会よりはと消去法でそこを選んだだけだった。


 図書委員の仕事は大きく分けて三つだ。図書室の飾りや展示を担当する企画部、お知らせやPOPを担当する広報部、カウンターや蔵書に関する仕事を担当する総務部。私は最後の総務部に所属しており、今日がその初仕事の日となっていた。


 鞄を手に持つと、私は足早に教室を後にした。


 一応、放課後になってから十分後から仕事を開始する事になっているが、初仕事だし出来るだけ早く着いておいた方がいいだろう。


 図書室は、私達の教室のある校舎とは違う校舎にある。そのため渡り廊下を通り、校舎を移動しなければならない。


 二階の渡り廊下を通り校舎を移動すると、私は職員室の前を通過し、奥へと進んだ。


 職員室の隣が図書室になっていた。


 厳密にはその間に図書準備室が挟まっているのだが、そこはまぁ図書室の一部という事で別にいいだろう。


 図書室に入る前に、一度深呼吸をする。


 よし。


 心の中で気合を入れ、私は足を一歩前に踏み出した。


 室内には早くも複数の人がいて、その中の二人はカウンターの中にいた。図書司書の片桐かたぎりさんと、二年の小林こばやし先輩だ。


 片桐さんは黒髪ロングの大人美人で、落ち着いた雰囲気がまさに図書司書といった感じでポイントが高い。身長は高く、何より胸が大きい。そのため、主に男子生徒から人気がある。


 一方の小林先輩は片桐さん同様高身長ながら、短めの髪と程よく引き締まった体付きに姿勢や立ち振る舞いも相まって、どちらかというと運動部が似合いそうな見た目をしていた。こちらも片桐さんと同じく優しげな感じで、まさに先輩といった雰囲気だった。


 私の存在に気付き、小声で談笑をしていた二人の視線が、こちらを向く。


 私が挨拶をすると、二人からも同様の挨拶が返ってきた。


「水瀬さんは初めてだから、簡単に業務内容を説明するわね」

「はい」


 そこから片桐さんによるレッスンが始まった。

 本の貸し出し、返ってきた本の収納、聞かれた本がある場所への案内。大体、この三つが総務部の仕事だ。


「本の配置はすぐには覚えられないだろうから、今年中に覚えてくれればいいから」


 総務部は二人一組で仕事をする。その時、そのペアの学年が被る事はない。つまり、一年の私は絶対先輩と一緒に仕事をする事となる。しかし、来年度からはそうもいかない。私が一年と組む事も当然あるのだ。今年中にとはそういう事だろう。


「じゃあ、二人共後お願いね。また五十分後に戻ってくるから、それまでよろしく」


 手をひらひらと振り、片桐さんが準備室へと姿を消す。

 閉まってしまった扉を、私はなんとなくそのまま見つめ続けていた。


「座ったら?」

「え? あ、すみません……」


 小林先輩から声を掛けられ、私はようやく我に返り、カウンター内の椅子に座る。


「基本、暇な時はホント暇だからね、この仕事。もっと肩の力抜いた方がいいよ」


 と言われても、初仕事でその上接点のほとんどない先輩と隣り合って座っているわけで、緊張するなという方が無理な話だ。


「水瀬さんはどんな本読むの?」


 私の緊張を解してくれようとしてくれているのだろう。小林さんが私に話しやすい話題を振ってくれる。


「色々です。ラノベも読みますし小説も。中間っぽいのも読みますし」


 私の言う中間っぽいのとは、挿絵がないが表紙はラノベに近いイラストで、内容もまさにラノベと小説の狭間といった作品の事だ。


「幅が広いんだだね。最近読んだ中で一番のお勧めは?」

「最近……」


 小林先輩に言われ、私はここ三ヶ月以内に読んだ本を思い浮かべる。どれも面白く甲乙付けがたいが……。


「新人作家が探偵役みたいなのがあって……」

「あぁ、私も読んだよ。あれは確かに面白かった」

「特に――」


 小林先輩も同じ本を読んでいたという事実に嬉しくなってしまい、私は嬉々として小説の感想を話す。小林先輩も感想や意見を言い、お互いの話を聞く。とても楽しく、有意義な時間だった。


 最初にそんな会話をしたお陰か大分緊張も解れ、図書委員の仕事もそつなくこなす事が出来た。とはいえ、小林先輩にフォローをしてもらいながらという注釈がそこには付くが。


 出ていってからきっかり五十分後、片桐さんが図書室に戻ってきた。


「お疲れー。水瀬さん、初めての仕事はどうだった?」

「小林先輩のお陰で楽しくやれました」

「そっか。それは良かった。じゃあ、明日からもよろしくね」

「はい」


 片桐さんの言葉に、私は力強くうなずいた。


「帰ろうか」

「え? あ、はい」


 小林先輩にうながされ、私は鞄を手に立ち上がる。


 片桐さんに二人で挨拶をし、私達はそろって図書室を後にした。


「水瀬さん、家はどこにあるの?」

切峰きりみねです」

「へー。じゃあ、電車か。私も電車なんだ。途中から方向は違うけど」

「そうなんですね」

「今日は部活があるからダメだけど、部活がない日は一緒に帰ろうか」

「え? あ、はい。是非ぜひ


 こういう時、基本人見知りな私は半分以上断りたい気持ちでいるのだが、小林先輩とは小説談義をしたという事もあって、純粋に嘘偽りのない言葉が口を突いて出た。これは私にしては珍しい事だ。


「じゃあ、私はこっちだから」


 職員室の前を通り、広い空間に出たところで、小林先輩がそう言って階段とは違う方に視線をやった。


「また明日」

「はい。また明日」


 小林先輩と別れ、私は階段のある方へ足を進める。その足取りはいつもより幾分いくぶんか軽かった。

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