第3話 服装

 それは本当に忘れた頃にやってきた。


「そういえば、今度の土曜日。ウチに来てもらうから」


 昼休み。いつものように食事を取った後、各々がそれぞれの方法で時間を潰していると、早坂さんが急にまるで今思い付いたかのような口調でそう話を切り出してきた。


「へ……?」


 突然の事に私は、文庫本から顔を上げた姿勢のまま数秒固まる。

 ついでに思考も固まった。


「えー!?」


 早坂さんの言葉の意味をようやく理解した私は、驚きのあまり大声を出してしまった。


「声大きい」

「ごめんなさい。じゃなくて、ウチってどういう事?」

「そのままの意味だけど。あ、都合悪い。だったら、別の日でもいいけど」

「いや、そういう問題じゃなくて……」


 何がどうしたらそんな突拍子とっぴょうしもない話になるのだ。


「ウチの、特に母親が心配症で、また転校させてゴメンね状態なのよ。だから、新しい学校でもう友達出来たから、心配いらないよって見せたいわけ」

「なるほど……」


 理屈は分かった。内容は違うが方向性としては、この前の私のパターンと同じ感じか。


「ていうか、これはこの前の貸しのやつだから、あなたに拒否権とかないから」


 あー。そういえば、そんな話になっていたな。すっかり忘れていた。というか、忘れた事にしていた。


「で、今度の土曜日暇なの? 暇じゃないの?」

「……暇だけど」


 むしろ、私に暇じゃない休日などあるのだろうか。あ、家族で出掛ける時か。……なんか悲しい。


「じゃあ、土曜日で話進めておくから。詳細は明日って事で」


 た、大変な事になってしまった。同級生の家に行くってだけでも緊張するのに、相手はあの早坂さんで、しかもお金持ちと来ている。バフが二重三重に掛かり、私ごときでは到底太刀打ち出来そうにない。何か策を講じなければ……。


「今、アホな事考えてるでしょ」

「アホな事じゃないよ。だって、早坂さんのウチだよ。きっとメイドとかいるよね?」

「そんなのいるわけないじゃない。バカじゃない」

「じゃあ、番犬は?」

「いないし、いたらなんなの。別に金持ちと番犬関係ないじゃない」


 確かに、言われてみればそうだ。


「じゃあ、セコム」

「……それは入ってる」

「ほらー」


 私はここぞとばかりに、早坂さんの顔を指差す。


「人の顔指差さない」

「痛っ」


 私の人差し指が、早坂さんの手のひらによって撃ち落とされる。


「とにかく、普通にしてくれればいいから」

「普通……」


 普通ってなんだろう? 大体、私と早坂さんの普通は果たして同じものなのだろうか? 金銭感覚が違うのだから、その辺の感覚ももしかしたら違うかもしれない。ラフな格好でいいと言われて、のこのこTシャツとGパンで出掛け、恥を書く男子大学生みたいな、そんな目に合うかもしれない。


「私、ドレス持ってないんだけど……」

「普通でいいって言ってるでしょ。どこのパーティに参加するつもりよ」

「……早坂さんはパーティ参加した事ある?」

「何よ急に。あるわよ。なんのパーティだったかは覚えてないけど」


 あるんだ。さすが早坂さん。さすはやだ。


「もう。そんな事はどうでもいいのよ。普段着。普段着で来なさい。変にめかした格好で来たら、罰としてめちゃめちゃガーリーな服着せるから」


 何その罰ゲーム。下手したらトラウマになるレベルの、鬼畜仕様じゃないか。


「というか、早坂さんそういう服着るんだ」


 意外だ。早坂さんはもっとこう、スタイリッシュな服を着るイメージがある。まぁ、早坂さんなら、そんな服も似合うんだろうけど。


「はぁ? そんな服、私が着るわけないでしょ」

「え? でも、持ってるんだよね?」

「親が勝手に買ってくるのよ。着ないって言ってるのに。で、結局タンスのやしってわけ」

「それはまた……」


 勿体もったいない話だ。私なんて親が買ってきた服でも、平気で着ているというのに。……いや、中には着ない服もあるか。可愛い過ぎて似合わなやつとか。そう考えると、私も人の事は言えなかった。


「何? 着たいならあげるわよ。どうせ私は着ないし」

「いや、私じゃなくて、早坂さんが着たら可愛いだろうなって」

「いいわよ、おべっかは。自分でも似合わないの分かってるから」

「そうかなぁ?」


 そんな事ないと思うけど。


「はい。この話はおしまい。とにかく普通の格好で来なさい」

「うん……」


 普通の格好か……。まいったな。帰ったら、お母さんに相談してみようかな。




 普通をネットで調べてみた。


 特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。


 なるほど。分からん。


 というか、こんなものを調べたところで服選びのヒントになるはずがなかった。


 ベッドに仰向けに寝転んでいた私は、スマホを枕元に置いた。


 こんな事をしている場合ではない。早坂さんの家に着ていく、服を選ばなければ。

 自分の手持ちの中でこれぞ勝負服という服を、何着かタンスから出しベッドに並べる。


「うーん……」


 服だけ見るとなかなか良さげだが、私が着た途端その評価が一変するから不思議だ。

 試しに白のノースリブブラウスと紺のロングスカートを体に当てて、着た感じを姿見で確認してみる。


「……」


 似合わない。絶望的に似合わない。馬子にも衣装という言葉があるが、どうやら私にはそれが適用されないらしい。


 だったらなんでそんな服を買ったんだと言われそうだが、この服は私が買った物ではない。というか、ベッドに並べられた全ての服が、私が買った物ではなくお母さんが買ってきた物だ。これらの服は、私に似合いそうとか私にはこれが似合うとか言って買ってきてくれるものの、私にはとてもそうは思えず結局タンスの肥やしとなっている。


 なので、お母さんに服装の事を聞くのは実のところ避けたかった。


 全部が全部ではないが、お母さんの勧めてくる服は私には似合わない物も多い。確率的にはニ割といったところだろうか。そう考えると低く思えるが、こと気合を入れなければいけない場面ではその確率がほぼ百パーセントに跳ね上がる。以前、友達の誕生日会にお呼ばれした時は、美人にしか着るのを許されないようなコーディネートを勧められ、一周回ってこれはありなのかもしれないと頭が混乱し、危うく目も当てられない醜態しゅうたいさらすところだった。


 とはいえ、他に相談出来る人もいないし……。

 そう思った時、頭に浮かんだのは陽ちゃんの顔だった。彼女ならあるいは……。でも……。


 少し迷った挙げ句、私は陽ちゃんにラインを送ってみる事にした。


『相談に乗ってもらいたい事があるんだけど……』


 まぁ、返事はすぐには来ないだろうから気長に待とう。

 私のその予想を裏切り、ものの数秒で返信が届く。


 パンダがいいよと言っているスタンプだった。


『実は早坂さんの家にお呼ばれして、何着ていければいいか悩んでて』

『お金持ちって言ったけ? 確かに悩むよね』


 続いて、分かると変な生き物が言っているスタンプが押される。


『じゃあさ、何着か着てみて写真送ってよ』


 写真? 確かに、実際に着た姿を見てみない事には判断が付かないのかもしれないけど……。仕方ない。


 私は、クマが了解と言っているスタンプを送った。

 すぐに、ネコがドキドキしているスタンプが送り返された。


「……」


 意を決して撮影を始める。姿見に自身を映して、スマホで五パターンの写真を撮った。無難な物では意見を聞く意味がないので、一応自分としては少し攻めたものをチョイスして撮影したつもりだ。


「……」


 数分後、五枚の写真をラインで送る。

 程なくして既読は付いたが、返答はすぐには来なかった。写真を見ているのだろう。


 気分はまるでオーディションの結果を待つ出場者だ。なんのオーディションかは分からないが、私が出るくらいだから大したものではないだろう。商店街規模? 内容まではちょっと想像出来ないが。


 スマホを握りしめ待つ事数分、ついに審判の刻が来た。


 恐る恐る画面を見る。


 全部無しって言われたらどうしよう。また考え直し? というか、もう着ていく服がないから、最悪買わなきゃ。

 そんな事を考えながら、私はその時を迎える。


 果たして、結果は――


『三番かな』

『一とニはちょっといおには大人っぽ過ぎる気がする』

『四と五は普通過ぎて、私の家来るならいいけどって感じ』


 三番というと、このコーディネートか。私としてもこれならまだ着てもいいかなと思っていたので、正直ほっとした。


『ありがとう。じゃあ、この服にするよ』

頑張がんばってね〜』


 同時に、ファイトと書かれた旗を振るネコのスタンプも送られてきた。


 陽ちゃんに相談して良かった。これでもう着る物に悩まず、土曜日を迎えられる。

 とはいえ、完全に不安が解消されたわけではない。当日、早坂さんの反応を見るまでは気を抜けない。


 こうなると、早く土曜日になって欲しいような、なって欲しくないような……。

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