十六 帰ってきた座敷わらし


 石座いすくら神社に神がしずまり、阿夫利神あふりのかみも落ち着いたのだろう。雨が弱くなったと思うと、唐突に止んだ。


 ずぶ濡れになって魂降たまふりを完遂したシシとコマは、ご神体の前から境内へ戻ったものの、烏天狗のいかづちによって壊れたお堂を見て絶望する。これで鏡が割れて常世がほぼ消えたというわけだ。


 好き放題暴れやがって、どうしてくれようか。

 怒りに燃えるシシはトン、と獅子の姿に戻った。ブルブルと身体を震わせて水を払う。嫌そうにコマが離れた。


「俺にかけるな」


 コマも同じく狛犬に戻り、雨水を払う。まったくひどい目にあったものだ。


 神鏡しんきょうや烏天狗についてはそのうち阿夫利神に掛け合いに行くとして、まず心配なのは童子わらしだった。

 神籬ひもろぎは祭祀の榊として使ってしまったから、シシとコマはこのままでは神社を出られない。

 新しく用意しようにも二人とも霊力を使い果たしたに近いし、戻ったばかりの石座神いすくらのかみさわりたくない。機嫌を損ねてさわられても鎮める余力がないのだ。

 仕方なく霊獣のまま、鳥居の脇に控えたけるを待った。人形ひとがたをとるよりは霊力が回復しやすい。


「童子と会えたなら、何かしら報せに来るだろうよ」


 コマは呟いた。

 会えずに、童子が独りで消えたなどとは考えたくない。そして、会えても駄目だったという可能性は口にしたくなかった。




 ほどなくして健はちゃんとやってきた。シシとコマが慌てて立ち上がると、びしょ濡れのままの健は石段の途中で止まって満面の笑顔になる。


「シシさんなの? 二人でそうしてると、まんま狛犬だね」


 そう言う隣に、同じくびしょ濡れのセーラー服の女学生を見て、一対の狛犬は仰天した。


「童子!?」


 健と同じほどの背丈の少女。だが童子がどんな姿だろうとシシとコマが見間違えることはあり得ないし、キラキラと強い瞳も確かに童子のものだった。

 その年頃、その服。それはいったいどうしたことだと思いつつ、一番わからなかったのは童子が健と並んで神社に戻ったことだった。


「童子―――おまえ、健にったのか」


 シシが呆然とすると、童子ははにかんだ。コマが犬のままで喉を鳴らして笑う。

 犬が笑うところなど初めて見て、健は吹き出した。




 童子が健の家に依ったのなら、童子は家から出られない。永く依れば、そこの何かを神籬のように使ってしばらく動くことはできるのだが、今日の今日では無理だ。


 でも童子は健に依った。だから、健の隣を歩くことができる。


「家まで間に合わなかったのじゃもの」


 満たされた霊力によって、乾いたセーラー服を再構成した童子はケロリとして言った。

 本当はほとんど消えそうになったところをギリギリ健がつかみとどめたなどと教えたら、この過保護な狛犬達はひっくり返るかもしれない。


「ものすごい雷が落ちたと思うたら、スゥーッと力が抜けていっての。我が透き通るところなど見たことなかろ?」

「何?」


 面白そうに語ってみせるが、人の姿になったシシとコマは目を剥いた。


「烏天狗のせいか」

「あの神気の枯れた間に童子が失なわれかけたとは! あいつらの翼を喰いちぎってくれる」

「シシさん、落ち着いてたも」


 凶行を宣言するシシをなだめて、童子は嬉しそうに笑った。


「タケルが我をつなぎ留めてくれた。我は本当に幸せ者じゃ」

「―――これが嫁に出すということか」


 二人を見比べたシシがうめいて、健と童子は揃ってボンッと赤くなった。

 「僕が想うから」などと、いくら必死だったとはいえ中学生男子がよく言ったものだ。思い出して健はシュウゥと背を丸め、貸してもらったタオルを頭からかぶった。

 それすらも恨めしげに見て額を押さえるシシをコマがからかう。


「普通の娘よりは、ずいぶん長く家にいてくれたんだ、諦めろ」


 女扱いされたければ姿を変えろだの、健の家に依らせて童子がいなくなれば狸はどうするだの、強気だったわりにはいざこうなるとオロオロするのが情けない。


「あの、でも……僕んちにざーさんが住むって、できるんですか?」


 健がおずおずと言い出して、童子と狛犬達は振り向いた。


「学校ではざーさん、みんなに見えていたみたいだけど。ざーさんは姿を消せるの? 家でも見えるんだったら僕、お母さん達になんて言えばいいんだろう」

「―――そうか、タケルはまだ子どもだったな!」


 シシの目が力を取り戻した。

 呆れたコマが、横を向いてまた喉を鳴らして笑った。






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